映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「マンディンゴ」

 以前書いた、町山智浩さんの『トラウマ映画館』で触れられた作品なのですが、公開当時(約40年前)かなり議論を巻き起こしたようで、近年ようやくDVDになったようです。
 Amazonでは有料でも観られなかったので、TSUTAYAで借りて観ました。


マンディンゴ [DVD]

 
作品データ映画.comより)
監督 リチャード・フライシャー
原題 Mandingo
製作年 1975年
製作国 アメリ
配給 東宝東和

解説Yahoo!映画より)
 19世紀半ばのルイジアナの大農園を舞台に、奴隷問題にメスを入れたK・オンストットのベストセラーを映画化。牧場のように黒人奴隷を育て売買する農園主マクスウェルとその息子ハモンドハモンドは名門の娘ブランチと結婚するが、彼女が処女でなかったために怒り狂い、愛情を美しい黒人女に注いでいた。そしてブランチは、夫のお気に入りである“マンディンゴ”と呼ばれる優良種のミードを寝室に引き入れる。やがて黒人女はハモンドの子をみごもり、ブランチは黒い赤ん坊を産み落とす……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 
上に載せた解説にある「牧場のように黒人奴隷を育て売買する」とか、文字に書いてあることは読めるけれど、何を言っているのか分からない、ということが、本当に描かれます。
 アメリカでは黒人が奴隷になっていたと言う歴史は、学校の授業でも習いましたしその際に写真を見たり、映像を見たりしてきたので、歴史的な出来事としては分かっているつもりでしたが、それでも衝撃的でした。

 それは、「牧場のように黒人奴隷を育て売買する」との言葉通り、黒人を「人」ではなく「言葉が通じる家畜」のように考えているところで、強い黒人奴隷を求めるために、奴隷市場で買い求めたり、動物のブリーダーのように、掛け合わせようとします。
 しかも、自分の性的な欲求のためには、黒人女性たちに身体を求める。
 動物を掛け合わせて、人間が求める「種」を生み出そうということは、今でもやっていることで、当然のように農園主のマクスウェルが「黒人」にそれをしているのを観ていると、このマクスウェルがおかしいのか(当然おかしいのですが)、今の人間たちも相当おかしいのではないか、と訳が分からなくなってきます。

 マクスウェルの息子ハモンドは、その時代においては、他の白人たちとは違って、黒人女性に愛情を持って接し、マンディンゴであるミードを他の黒人と戦わせつつも、深く傷を負うとそれをやめさせようとし、高値で売ってくれと言われても拒否するような人物でした。
 けれど、結婚相手のブランチが「処女」ではなかったことに怒りだし、ブランチが何度求めても応じず、その結果ミードに身体の関係を求めたので、2人ともを殺してしまいます。

 何もかもが「異常」に映るのですが、この作品を観ていて感じたのは、黒人への蔑視ということではなく、そもそも、人間自体を蔑視しているのではないか、ということです。
 ハモンドのブランチへの態度、あるいはマクスウェルのハモンドへの態度、それらには愛情というようなものは感じられず、感じられるのはむしろ、人間全体に対しての蔑視です。
 人間そのもの(もしかしたら自分自身)をも蔑視しているからこそ、どんなにひどいことも出来るし、そもそもひどいとも感じない。

 最近所々で取り上げられるようになってきた「インセル」(参照:インセル - Wikipedia)も、根本には自分自身を蔑視しているからこそ、周りの人たち(インセルの場合特に女性)に対して差別的な行動を起こすのではないかと思います。
 黒人差別ももちろんまだまだ未解決な問題なのですが、様々な差別ということを考えるとき、この自分自身への蔑視、人間全体への蔑視、ということが要なのかもしれない、というようなことを教えてもらった気がします。