映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「二十六夜待ち」

 購読している朝日新聞では毎週金曜日の夕刊に映画評が載っています。
 そこで気になったのが、「夕陽のあと」という作品です。

(評・映画)「夕陽のあと」 「母」2人、交錯する眼差し:朝日新聞デジタル

 この映画評を読んでいたら、観たことのある(感想は書いていませんが)「アレノ」「海辺の生と死」の監督作品だと言うことで、まだ観ていなかったこの「二十六夜待ち」がAmazonプライムで観られるようになっていたので観てみました。

 


二十六夜待ち

 

作品データ映画.comより)
監督 越川道夫
製作年 2017年製
製作国 日本
上映時間 124分
配給 フルモテルモ
映倫区分 R18+

あらすじFilmarksより)
由実(黒川芽以)は、震災による津波によって何もかもを失い、今は福島県いわき市の叔母の工務店にひとり身を寄せていた。心に傷を抱える由実は、少しは外に出なければ、と叔母に促されるように路地裏にある小さな飲み屋で働くことになる。
その店の名前は「杉谷」。しかし、店主の杉谷(井浦新)には謎めいたところがあった。彼は、記憶をすべて失い、失踪届も出されていなかったため、どこの誰とも分からない。はっきりしているのは、手が料理をしていたことを覚えていることだけ。今では小さな小料理屋をまかされるまでになったが、福祉課の木村(諏訪太朗)をはじめとしたあたたかな人々に囲まれながらも、彼の心はいつも怯え、自分が何者なのか分からない孤独を抱え込んでいたのだった。
孤独な、傷ついた魂を持つ杉谷と由実。ふたりは、やがて“月”と“海”がおたがいを引き寄せ合うように、その心と体を寄り添い合わせるようになるのだが、震災の辛い記憶を忘れたい由実と、我を失う事を畏れる杉谷は、お互いを思いやっていても、微妙にすれ違っていく…。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 原作が佐伯一麦さんの小説『光の闇』の中の一章だということなのですが、佐伯一麦は僕にとってとても特別な小説家です。
 僕が小説というか物語(活字)を読むようになったのは、高校2年か3年かの時で、2年生一杯でバイトも辞め、大学の系列校だったので受験勉強する必要もなくヒマだったので、学校の図書館が充実していたこともあり学校では小説を読み、家に帰ってからは映画を観るという日々を送っていました。
 その時に出会ったのが、佐伯一麦『木の一族』です。
 他にも村上春樹の作品群、石原慎太郎『弟』は自分の中で特別な作品になっています(一応書いておくと石原慎太郎と政治思想は全く違います)。

 かといって、それ以降村上春樹のように佐伯一麦の作品を読み続けてきたわけではないのですが(僕はその後海外文学を読むようになったこともあり)、今でも佐伯一麦は僕の中で特別な作家の一人です。

 さて、この映画、R18+になっているように、セックスシーンが多いです。
 が、それが逆にすごく気になりました。
 何が気になったのかというと、胸というか、乳輪部分や陰毛などが悉く見えないようにされています。
 リアルなセックスシーンだなとは思うのですが、リアルなセックスだと思うからこそ、それが何度も描かれるからこそ、そのちょっとした部分を何故隠すのか分からないというか、この役を引き受けたならそこを見せないようにする?ともやもやしました。
 もしかしたら、この人の乳首はないのかな、とか乳輪の形が他の人と違うとか(三角形とか、それじゃ輪じゃないか…)、悉く見せないようにしているからこそ、逆に気になってしまいました。
 なので、リアルなセックスだなとは思うものの、R18+じゃなくて、R15+で良いんじゃないかと。

 それと気になったのは、「えっ?こんな簡単にセックスしちゃうの?」「受けいれちゃうの?」と思ったことです。
 僕の感覚ではセクハラというか、下手したら性暴力になるような踏み込み方で、それをする方も受けいれる方も、なんというか僕とは全く感覚が違っていて、戸惑いました。

 批判ばかりになってしまいましたが、最後の方の「今日は好きなようにして」というセリフがとても良かったです。
 エロティックな言葉・シーンでもあったのですが、それは単にセックスの話ではなくて、杉谷の全てを受けいれるという由実の覚悟が現れていて、こんな相手がいたら最高だな、とそれがたとえ1日の、一瞬の出来事だとしてもそれだけで生きて行けそうな気がしました。