映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「運び屋」

 ゴールデンウィークになったからなのか、仕事を辞めることが決まり、後任も正式に決まったことからか(でもまだ入ってきていない)、文章を書く気が少しずつ戻ってきました。
 僕はこうして文章を書いてきたし、これからも書ける生活をしていきたいなと思っています。
 ということで、今回も映画館で見たいと思っていたけれど、色々あった2018年公開で見られなかったクリント・イーストウッド監督作品の「運び屋」です。
 


運び屋(字幕版)

 

クリント・イーストウッド監督・主演最新作『運び屋』公式サイト 大ヒット上映中!

 

作品データ映画.comより)
原題:The Mule
監督 クリント・イーストウッド
製作年 2018年
製作国 アメリ
上映時間 116分
配給 ワーナー・ブラザース映画
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
90歳になろうとするアール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、ないがしろにした家族からも見放され、孤独な日々を送っていた。ある日、男から「車の運転さえすれば金をやる」と話を持ちかけられる。なんなく仕事をこなすが、それはメキシコ犯罪組織によるドラッグの運び屋。気ままな安全運転で大量のドラッグを運び出すが、麻薬取締局の捜査官(ブラッドリー・クーパー)の手が迫る……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 クリント・イーストウッド監督作品は基本的に全部見ていて、特にこの20年あまりに発表された作品はどれも心に残っています。
 なので、当然のようにこの作品も見たいな、と思っていたところ、Amazonで観られるようになっていたので見ました。

 この作品を見たまず最初の感想は「クリント・イーストウッドがおじいさんになった。」ということです。
 現時点で90歳、作品の設定年齢も90歳なので、おじいさんになった、というのは当たり前の感想ですし、わざとそのように見せていたのかも知れませんが、それでも今までのクリント・イーストウッドとは明らかに違う「おじいさん」という感じがありました。
 それは背筋だったり、体躯だったり。あるいは、クリント・イーストウッドが放つ覇気というか、ドスが効いた感じというか。
 それでもこうして監督・主演をするということは本当にすごいなと思います。

 作品の内容としては、すごくいい話でも、大きな波がある訳でもないのですが(まぁ、あるといえばある出来事はあります)、仕事を優先し、家族を二の次にしていた人が、たまたま出会った仕事が法に触れる仕事で、なおかつ大金を手に出来る仕事だったので、ずるずるとその仕事を続けていく、というものです。

 大金というか、金銭的に余裕が生まれてきて、そうすると、今まで放っておいた家族のことも考えることが出来るようになって、家族と邂逅することが出来、この点が多分多くの人が「良い物語」として捉えるのかも知れませんが、僕としては、やはり「経済的な余裕が他の余裕も生む」という現代社会の状況を如実に現しているように感じました。

 DVや虐待など、あるいはそこまでいかなくても、家事育児などのワンオペの問題など、家族にまつわる話題だけでも事足りませんが、それらの多くは「お金」が関わっているというか、「お金があったら違っていた」ということがあります。
 お金があることによって気持ちに余裕が出来、暴言や暴力をすることもなかったり、不安になることもなく、誰かや何かに依存したりすることもなくなる。
 家事や育児の負担もお金があれば「外注」したり、機械などで済ますことが出来る。

 でも、実際にはその「お金」がないから、お金を稼ぐために仕事を優先することになり、結果として余裕がなくなり、追い込まれ、それが他のところにしわ寄せが行く。
 この作品は、まさか90歳の老人が運び屋だとは考えもしない麻薬取締局との駆け引きとしての痛快さや、最終的に元妻との別れの時間を持てたり、裁判で自ら有罪だとするところなど、見所はあるのですが、僕としてはどうしても、この現代社会の「お金」というものが持つ、「お金」そのものの価値だけではない様々な面が如実に表れているように感じました。