映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「ガーンジー島の読書会の秘密」

 年始に子どもたちに会った際に頼まれていた、クレヨンしんちゃんの映画、当初は4月末から公開ということだったのですが、緊急事態宣言の影響で公開が延期され、ゴールデンウィークあたりには映画見つつ、子どもたちに会えるかな、と思っていたら、ずるずると時間が経ち、子どもたちとはすでに4か月以上も会っていないので、暇をしています。
 ならば一人で映画館にでも、と思うのですが、緊急事態宣言の影響で公開されている作品も少ないため、見に行きたいな、という作品もなく、ひたすらAmazonで見ています。
 で、おすすめ作品になっていたので観たのがこの作品です。

 


ガーンジー島の読書会の秘密(字幕版)

 

『ガーンジー島の読書会の秘密』公式サイト


作品データ映画.comより)
原題 The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society
監督 マイク・ニューウェル
製作年 2018年
製作国 フランス・イギリス合作
上映時間 124分
配給 キノフィルムズ
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
1946年、終戦の歓びに沸くロンドンで暮らす作家のジュリエットは、一冊の本をきっかけに、“ガーンジー島の読書会“のメンバーと手紙を交わすようになる。ナチに脅えていた大戦中は、読書会と創設者であるエリザベスという女性の存在が彼らを支えていた。本が人と人の心をつないだことに魅了されたジュリエットは、読書会について記事を書こうと島を訪ねるが、そこにエリザベスの姿はなかった。メンバーと交流するうちに、ジュリエットは彼らが重大なひみと隠していることに気気付く。やがて彼女は、エリザベスが不在の理由にたどり着くのだが……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 いろいろと映画やドラマ、アニメを見ているのですが、この作品のことを書こうと思ったのは、ラストシーンが良かったからです。
 物語の内容は公式サイトに書いてあるものではあるものの、重要な要素が抜けていて、それは、ジュリエットをめぐる男女関係です。

 ジュリエットに関わる男性としては、担当編集者のシドニー、婚約者のマーク、そして、「“ガーンジー島の読書会“のメンバー」であるドーシーの三人になります。
 他にも読書会メンバーの少年イーライや高齢の郵便局長エベンも男性ですが、男女の関係というような視点で見ると、上に書いた三人がジュリエットと深く関わることになります。
(と言っても、シドニーも途中でゲイであることが分かります。)

 もともとジュリエットが持っていて、戦争によって手放してしまった本がドーシーの手に渡り、それによって、ジュリエットとドーシーの文通が始まります。
 ジュリエットは職業作家として自立していて、仕事の予定(朗読会・サイン会)もあったのだけれど、「ガーンジー島の読書会」に興味を惹かれ、島に行くことに。
(ちなみに僕はこの映画を観るまでガーンジー島の存在、場所を知りませんでした…)

 急に行ったので、歓迎ばかりではなかったものの、少しの期間ですぐに帰るかと思われていたジュリエットはそのまま島に残り、読書会に参加し、さらに戦争下の島の様子を調べ続けるうちに、メンバーとも打ち解けていきます。
 そこで、「秘密」が明らかになっていくのですが、僕がこの作品で良いな、と思ったのはその「秘密」に関することではなく、ジュリエットの姿です。
(単にジュリエットを演じるリリー・ジェームズが好きということもありますが。)

 そもそも一人の作家として自立していて、けれど、やはりそこには時代の影響で「女性」というだけで低く評価されてしまう現実があり、男性のペンネームで仕事をしています。
 最初のシーンで、読者からも「なぜ男性の名前を使っているの?」と聞かれ、それに対しても微妙で曖昧な返事をしています。
 また、ガーンジー島へ旅立つ際には交際しているアメリカ兵のマークからプロポーズされ、一目で高価だとわかる指輪を渡され、それに対して「イエス」と言います。
 けれど、その指輪をはめていたのは島へ行くまでの間だけで、島についてからは、逆に目立ってしまうことから、指から外して財布の中にしまいます。

 ジュリエットが中々島から帰って来ないことにしびれを切らしたマークが突然島にやってきて、「なぜ指輪をしていないのか?」と問い、それに対するジュリエットの答えに納得しないマーク。
 そうして二人は飛行機で島を離れるのですが、その時に描かれるのは、ジュリエットのベルトを締めるマークの姿です。
 それは、女性を守る男、また、女性を高価な宝石で飾る(いわゆるトロフィーワイフ)男という価値観の象徴でもあります。
 実際に婚約指輪だけでなく、島にやって来たときも、ロンドンでもマークはジュリエットに真っ赤なバラを渡していて、まさに「飾り物としての女性」という価値観を持っていることが分かります。

 冒頭から描かれているように、ジュリエットは作家として担当編集者もいて、今後のスケジュールも埋まっているような仕事をこなしている人間です。
 それは「守られる存在」だったり、誰かに「飾られる存在」ではなく、自立した一人の人間です。

 そして、ラストシーンでどうなるのか、というと、ジュリエットを探しに来たドーシーを見つけたジュリエットが、自分から「結婚してくれる?」とプロポーズします。
 この、ジュリエットの姿がとても良いな、と僕は思いました。
 僕なんかはプロポーズなんかどっちがしたって良いと思っているのですが、日本だけではなく世界的にも、プロポーズは男性からするもの、みたいな価値観があるように思います。
 女性は守ってあげないと、とかトロフィーワイフみたいにする男性、あるいは、守られることやトロフィーワイフ扱いされることを拒む女性でさえ、プロポーズなどの場面では、なぜか男性がするものみたいな価値観を持っている気がします。

 そういう価値観がある中で、ジュリエットはドーシーにプロポーズします。
 そしてその前のシーンでは編集者のシドニーに、どのくらい印税が残っているか聞き、そのお金で島に家を買うことを決意していて、直接は描かれていないものの、島で暮らすことになる家もジュリエットが購入したことが分かるようになっています。

 この、ジュリエットが最初は男性の名前を使わないといけなかったこと、そして、守られたり、飾られる存在であったものから、自分はそのような存在ではない、と守り、飾ろうとする価値観や行為を拒み、自分自身の意思で結婚を申し込み、自分の稼ぎで家を買う。
 その行為は、何かを手放すわけでもないということが、プロポーズ後の最後のシーンでも描かれていて、それがとても良いな、と思いました。
 他にも、最後のシーンの3人がみんな血縁関係にはないけれど、「家族」であるというのもとても良いな、と思ったポイントです。