「おとなの恋の測り方」
今回も以前から観たいと思っていた作品で、Amazonプライムで観られるようになっっていたので観てみた作品です。
おとなの恋の測り方(字幕版)
おとなの恋の測り方
作品データ(映画.comより)
監督 ローラン・ティラール
原題 Un homme a la hauteur
製作年 2016年
製作国 フランス
配給 松竹
上映時間 98分
映倫区分 G
ストーリー(公式サイトより要約)
敏腕弁護士のディアーヌは、女たらしの夫と3年前に離婚。だが仕事のパートナーでもある彼とは毎日オフィスで顔を突き合わせるため、口論が絶えない。今日もむしゃくしゃする気持ちで帰宅した彼女のもとに、一本の電話が入る。相手の名はアレクサンドル。ディアーヌがレストランに忘れた携帯を拾ったので、渡したいという。彼の知的でユーモラスな口調に気分も一変、ほのかなときめきを覚えたディアーヌは、さっそく翌日彼と会うことに。久々にドレスアップをして、期待に胸を膨らませて待っていた彼女の前に現れたのはしかし、自分よりもずっと身長の低い男性だった。
ふたりの距離は急速に縮まっていったが、周囲の反応は穏やかではなかった。ディアーヌにいまだ心惹かれている夫は、相手が背の低い男と知ってショックを受け、アレクサンドルを侮辱する。ディアーヌの母親は、社会的体裁を気にして反対する。そんなムードにディアーヌ自身の心も揺れ始める。自分は周りの目を気にすることなく、この人とつきあって行けるのだろうか。アレクサンドルと本当に心を分かち合えることができるのか。そんな彼女の気持ちを敏感に察知して、アレクサンドルは尋ねる。「僕たちまだ続けられるかな」。彼の複雑な気持ちを垣間見て、ディアーヌの心はますます彼への思いと不安のあいだで引き裂かれて行く―。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆
感想
物語の基本はとてもシンプルです。
性格はぴったりなのだけれど、見た目が特異な相手と結ばれることが出来るのか、という男女の恋愛を描いたものです。
極端に背が低いアレクサンドルは136cmということで、周りから奇異な目で見られます。
彼の仕事は建築家で大きなプロジェクトを任されているし、大きな息子もいるし、車の運転も出来る大人です。
背の低さを「障がい」として描きたかったのでしょうが、作品中では元の大きさをそのままの比率で小さくしているので、いわゆる小人症のような違和感はありませんでした。
小人症自体「障がい」と言ってしまって良いのか判断出来ませんが、とりあえず、この作品の中ではアレクサンドルは仕事もこなし、直接描かれてはいませんが女性とセックスも出来、車の運転も出来るので、背の低さがそんなに「障がい」となるのか、いまいち僕には伝わってきませんでした。
大学時代の知人にアルビノの男性がいましたが、彼はアルビノによって紫外線に弱く、視力が極端に低かったので、それらは生活する上で「障がい」となるような気もしましたが、本人は特に「障がい」と捉えていなかったので、僕も「障がい」とは捉えていませんでした(参照:アルビノの子を産んだ母は、僕をどう育ててきたか | ハフポスト)。
その知人のように、作中で描かれるアレクサンドルもその背の低さを「障がい」とは捉えている様子がありません。
なので逆に、なぜディアーヌがそんなにも彼の背の低さを気にするのか、そんなに彼の背の低さを気にしているディアーヌに対して、知的でユーモアにも溢れたアレクサンドルが惹かれるのかが分かりませんでした。
耳が聞こえづらいディアーヌの継父が「障害は君の心の中にある」と言う場面があるので、「障がい」について考える物語のように見せているものの、結局は、「理想の相手」を巡る物語なのかな、と思いました。
ディアーヌとアレクサンドルがこんな会話をしていました。
デ「大切なのは私たちで 他の人はどうでもいい
でも頭に植え付けられた 理想の恋人像を消せないの」ア「植え付けたのは君だ」
ディアーヌは「背」にこだわっていましたが、結局このやり取りからも「理想の恋人像」とのズレで悩んでいることが分かります。
相手の収入や年齢、学歴、容姿等々、「理想の」恋人やパートナー像というものを持っている人がいることはよく聞きますし(と言っても、実際の知り合いからその手の話を聞いたことは男女ともにありません)、目の前にいる相手が、その「理想」に足りない所があるときにどうするのか、ということを描いてるのかなと。
作品の最後でディアーヌがこんなことを言います。
でも分かったの 人がどう思うかは関係ない
誰を愛するかは私が決める 私の人生よ
それに対して、アレクサンドルがどういう態度を取ったのか、是非観てみてもらいたいのですが、僕にはとても悲しい感じがしました。
それは、「人がどう思うか関係ない」と言っているディアーヌ本人が一番「理想」とのズレに悩んでいたからです。
ディアーヌ自身が「背の低さ」を「障がい」に感じていたのに、「人がどう思うか関係ない」というのは違うんじゃないかな、と。
ちなみに僕がこの作品で一番「障がい」を感じたのは、背の低さではなく、年齢差(というか子どもの有無)です。
お互いの年齢は見た目からしか分からないものの、一方には成人している子どもがいて、一方は結婚経験はあるけれど子どもがいません。
成人している子どもがいる相手と結婚するのは、もし子どもを授かりたいと思っている女性にとっては結構大きなハードル(「障がい」)なのではないかと思います。
でもそれをハードルと感じるのは、日本とフランスという文化の差によるものなのかも知れません。
老いを感じる身体の変化
1ヶ月ちょっと前に誕生日を迎え、いよいよ中年を自覚する年齢になりました。
この年齢になると、多くの人は結婚し子どもがいて、僕のように12年の結婚生活後に離婚という経験をしている人は周りに1人もいないので(離婚自体がまだあんまりいません。結婚自体していない人も多いです。)、余計に小さな子どもを連れている家族を見かけると、絶望的な気分になります。
社会的には結構良い年齢になったのですが、すごろくで言えば振り出しに戻った感じで、すごろくだったらまたやり直しの可能性もありますが、人生で振り出しに戻ると、年齢を重ねている分、マイナスが多いので、やり直しはかなり大変です。
社会的には年齢を重ねるごとにかなり厳しい状況にななるな、と実感しているものの、何とか自分としての矜持を保てていたのは肉体です。
小さい時から覚悟している禿げもまだ来ていないし、30歳を過ぎてから多少体重管理が必要になってきたとは言え、お腹が出ているわけでもなく、うつ病ではあるものの、20代とはあまり変わらない体型を維持出来ていると思います。
が、やはり年齢というのは少しずつ肉体に変化をもたらすようで、自分の中で結構ショックに感じたことがありました。
それは、体毛が白くなっていたことです。
白髪自体はちょこっと出てきていて、去年は結構大変な1年だったので少し増えたな、と思ったものの、父は70歳くらいから白髪が目立ち始めたものの、母は結構若いときから白く、僕は母方に似ているので白髪自体は若干のショックはあったものの、まぁこんなものかな、と思っていました。
が、ちょっとお風呂に入って自分の身体をみていたら、見つけてしまいました。
髪の毛ではなく、他の体の部分にも白い毛が生えていることを。
一本だったら良いのですが、じっと見ていると、何本かありました。
確実に肉体が老化してる!と実感しました。
結構ショックではあったものの、こうして少しずつ「老い」(というといろんな人に怒られそうですが)を受け入れていくのかな、と思います。
「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」
一昨年の公開時から見たいと持っていた作品がAmazonプライムで見られるようになっていたので、早速見てみました。
ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (字幕版)
映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』公式サイト 9.5[WED]Blu-ray&DVDリリース!
作品データ(映画.comより)
監督 スティーブン・スピルバーグ
原題 The Post
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 東宝東和
上映時間 116分
映倫区分 G
ストーリー(公式サイトより)
1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていた。国防総省はベトナム戦争について客観的に調査・分析する文書を作成していたが、戦争の長期化により、それは7000枚に及ぶ膨大な量に膨れあがっていた。
ある日、その文書が流出し、ニューヨーク・タイムズが内容の一部をスクープした。
ライバル紙のニューヨーク・タイムズに先を越され、ワシントン・ポストのトップでアメリカ主要新聞社史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)は、残りの文書を独自に入手し、全貌を公表しようと奔走する。真実を伝えたいという気持ちが彼らを駆り立てていた。
しかし、ニクソン大統領があらゆる手段で記事を差し止めようとするのは明らかだった。政府を敵に回してまで、本当に記事にするのか…報道の自由、信念を懸けた“決断”の時は近づいていた。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★
感想
原題は「Post」=ワシントン・ポスト紙のことを指しています。
ワシントン・ポスト紙はワシントンD.C.の地方紙ではあるものの、日本でもよく知られている新聞社だと思います。
上に載せた公式サイトのストーリーには、日本語タイトルになっている「ペンタゴン・ペーパーズ」、つまり国防総省の文書についてのみ触れられていますが、物語では同時に、夫の死後(自死)、経営を継いだキャサリン・グラハムの様子と、株式公開というタイミングが重なってることも描かれています。
なのでこの作品のテーマは大きく3つ、「政治に対する報道の役割」、「女性への風当たり」、「経営と報道とのバランス」となっています。
ペンタゴン・ペーパーズに関してはニューヨーク・タイムズが最初に報じたものの、国からの訴えで、差し止められてしまいます。
後追いしようとしたワシントン・ポストにも政治的な圧力がかかるのですが、それは直接ではなく、内部の経営陣からの声として出てきます。
編集主幹のベンに対し、取締役の1人が報道しないように、こんな言葉をかけます。
「株式公開や子会社のテレビが危うくなる 放送免許を失うぞ」
「テレビなど知るか」
「新聞より稼いでるテレビを失えば社は売却だ
政府が勝てば会社は重罪犯 ポストは消滅する」「政府の顔色を見ろと言うなら ポストはもう消滅したも同じだ」
政治的な圧力だけでなく、同時に株式公開というタイミングだったことで、株の買い手がいなくなり、会社自体がなくなってしまうと危惧する取締役の考えも分かります。
「経営」ということを第一に考えたものだったのでしょう。
しかし、ワシントン・ポスト紙は会社ではあるけれど、新聞社です。
「報道」が使命の会社にあって、報道しないという判断がありえるのか。
編集主幹ベンが言う「政府の顔色を見ろと言うなら ポストはもう消滅したも同じだ」という言葉は、日本の報道機関に関わるすべての人に聞いてもらいたい言葉です。
また、社長であるキャサリン(ケイ)は、創業家一族とは言え、突然の夫の死で社長に就任したこともあり、他の取締役から「軽く」見られている様子も伝わってきます。
そもそも、取締役たちはキャサリン以外全員が「男」です。
そんなキャサリン自身が取締役たちを前にして「父の会社ではなく、私の会社だ」と言い切る場面も良かったのですが、印象的だったのは、ベンの妻がキャサリンについて語った言葉です。
“ふさわしくない”と皆に思われてる
何度となく“能力がない”と言われ 意見は軽んじられる
まともに相手にされず 彼らには存在しないも同じ
そんな日々が続けば“違う”と言えなくなる
40年前の、アメリカでの出来事ですが、今も同じような状況に、多くの女性たちが置かれていると感じてします。
多くの女性たちもそうですが、同時に例えば「非正規」の人たち、あるいは何らかの「障がい」のある人たちも同じです。
「ふさわしくない」、「能力がない」と軽んじられ、いないかのように扱われていく日々が続けば、「自分の意見」など言えなくなってしまうのです。
これは多くの「女性」たちが置かれている状況が未だに改善されていないことを表すとともに、女性に限らず、多くの人たちが経験している出来事だと思います。
最後に、ワシントンポスト紙は国からの報道差し止め裁判で勝ち、ペンタゴン・ペーパーズを報道し続けることが出来たのですが、その裁判での1人の最高裁判事の意見が
印象的でした。
“民主主義における基本的役割を果たすためだ 報道が仕えるべきは国民だ 統治者ではない”
日本の現状を考えると、この基本的役割を一体どのくらいの報道に関わる人たちが自覚しているのでしょうか。
暗澹たる気持ちにもなりますが、民主主義を守るためにも、それを自覚している報道関係者や機関を応援し続けたいと思います。
オカヤイヅミ『ものするひと 1』
以前から気になっていた漫画がKindle版だと半額以下だったので、読んでみました。
最初に知ったのは、下の番組なのですが、年末にもこの漫画についてどこかで話を聴いた気もします。
マンガで文学を知るための3冊【宇垣アナも感動】:アフター6ジャンクション
ものするひと 1 (ビームコミックス) Kindle版
ものするひと 1 オカヤ イヅミ:コミック | KADOKAWA
内容(KADOKAWAホームページより)
杉浦 紺、30歳、職業、小説家。
雑誌の新人賞を受賞後、警備員のバイトをしながら、小説を書いている杉浦紺(30)。
“先生”でも“天才”でもない、若き純文作家の日常をのぞいてみませんか?
◎巻末対談 「ものするひとたちのリアリティ」 滝口悠生(作家)×オカヤイヅミ
もの・する【物する】ある動作をする。ある物事を行う。「言う」「食べる」「書く」など種々の動作を婉曲にいう語。(『広辞苑』第七版より)
感想
内容紹介にも書いてあるように、雑誌の新人賞を受賞して、単行本も出ているけれど、作家としての収入だけでは生活が出来ないので、警備員としても働いている30歳の小説家が主人公です。
警備員としての職場では「せんせい」とは呼ばれているものの、作品について話をすることもなく、そもそもなぜ「せんせい」と呼ばれているかもあまり知られていません。
けれど、まだ新人ということもあり、本人も新しい小説を作る意欲もあり、担当編集者とのやりとりもあり、それらの小説に関わることを考えたり、書き残していたり、担当編集者や小説家仲間とのやりとりという、駆け出しの作家の日常が描かれています。
小説自体は今までも読んできましたが、身近に小説家という存在がいないので(中学校の部活の先輩のお父さんが小説家だったくらい)、どのような暮らしをしているのか全く知りませんでした。
なので、この作品で描かれる、小説家の日常、言葉を考えている様子、その言葉を書き残している様子、小説家仲間とのやりとりや彼らと会う場所(文壇バー)が僕にとっては全く知らない世界のことだったので面白かったです。
同時に、主人公と出会う女子大学生が(これからなるかも知れませんが)恋愛とかではなく、小説家という生き方に触発されて、これからの生き方を少しずつ考えていくという展開も、続きが楽しみになる内容でした。
「パン職人と美女(Beauty and the Baker)」シーズン2
一昨日の続きで 「パン職人と美女(Beauty and the Baker)」のシーズン2を見ました。
パン職人と美女 シーズン2
作品データ(IMDbより)
企画 アッシ・アザール
原題 להיות איתה:Lehiyot Ita:"Being with Her"
放送年 2014年
制作国 イスラエル
各話約40分、全10話
内容(Amazon作品紹介ページより)
アモスとノアが交際を始めて半年が経った。平凡なパン職人だったアモスの生活は一変し、今ではノアの豪邸で暮らしている。2人の愛はますます深まり、ノアは次の段階へ進むことを決意する。しかしあまりにも境遇の違う2人に、さまざまな試練が訪れる。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
シーズン1のラストでパン職人というか、家族経営の商店で働くアモスと、富豪の娘でモデルや俳優として活躍するノアが付き合うことになりました。
このシーズン2ではその続きからなのですが、冒頭から、プロポーズの場面から始まります。
シーズン1もプロポーズの場面から始まったので、それと対比させているのですが、興味深いのは、どちらもプロポーズが女性から申し込んでいるということです。
イスラエルは女性からプロポーズする文化なのかと思ったら、シーズン1の途中で男性から申し込む場面も出て来るので、必ずしも「女性だけ」に限られたものではないということがわかるのですが、日本にいると、「プロポーズは男性からするもの」という「決めつけ」みたいなものがあるので、「結婚したいという強い思いを持っている側が相手に申し込む」というシンプルさが良いな、と思いました。
結婚することが決まり、婚約したけれど、ノアが人種差別発言で炎上し、1年に1回くらいしか会わなかったノアの父親が戻ってきて、さらにノアの旧友(男性)がノアを誘いと、アモスとノアの関係を壊そうとする人たちの様々な策に2人がどう向き合うか、というものを描いています。
ラスト自体はハッピーかもしれないけれど、それに至るまでの展開は、とても自分じゃ受け入れられないように感じたので、ほかの人たちがどう受け止めたのか知りたい展開でした。
というのも、僕は一度過ぎ去った恋愛関係は戻らないと思っていているからです。
自分のしたことを信じてもらえなくて、ちょっと関係が離れている間(数週間)に他の男性と肉体関係を持ったということ自体が僕には受け入れられませんが、それとともに、気持ちが一度冷めたのに、復縁するということはかなり難しいと感じます。
この点については、渋谷でバーを営んでいる林伸次さんのコラムが的を射ていると思っています。
恋愛の季節は戻らない|ワイングラスのむこう側|林伸次|cakes
ノアの人種差別発言だけでなく、異教徒(このドラマではキリスト教徒)との関係や、イスラエルのユダヤ人は様々なルーツを持っているので、ちらほらと出て来る多民族国家ゆえの、人種差別とまではいかないのかもしれないけれど、ユダヤ人同士での他のルーツへの微妙な関係なども感じ取れて興味深かったです。
『木根さんの1人でキネマ 1』
以前から気になっていた漫画がKindle版で1巻目が無料だったので読んでみました。
気になっていた理由は、タイトルにあるように、1人で映画を観ている人が主人公で、それが自分と共通するからです。
木根さんの1人でキネマ 1 (ジェッツコミックス) Kindle版
内容(白泉社作品紹介ページより)
30ン歳独身OL・木根さんの趣味は1人で映画を観ることと感想ブログ。映画愛がこもりすぎててこじらせちゃってる木根さんの生き様(笑)をみよ!ターミネーター、スター・ウォーズ、バッドボーイズ2バッド…、濃いラインナップ揃ってます♪
感想
1人で映画を観ている30代女性の木根さんが主人公で、性別以外の部分が僕自身と共通しているので興味があったのですが、手に取るのを留まっていたのは、平均的には割と高い評価なのに対して、低い評価が結構ついていたからです。
また、映画を扱う作品だとしても、どのような作品が出てくるのか、どのように作品が扱われるのか分からなかったのも、ちょっと不安に感じていました。
無料で読めた1巻目が面白かったら続きも手に取ってみようということで読んでみました。
読んでみると、確かに、主人公木根さんと僕とは年齢も近いので、小さなとき(小学生くらい)に観て印象に残っている作品などは重なりました。
また、様々な映画のタイトルが出てきて、その作品名にまつわる話が展開されるのですが、名前が出てくる映画を語るというよりは、映画好きなことに対して木根さんが経験してきた周囲からの扱いや、それによるトラウマがメインでした。
なので、例えば僕自身があまり好きではない作品を、木根さんが延々とここが良かった!、という点をあげ続けてとしても、楽しめたと思うのですが、映画ばかり観ていることに対しての周囲の態度がメインなので、学生の時にうまく周囲と話がかみ合わなかった経験などがそのときに観ていた映画が触れられつつ物語が進みます。
映画好きでも、時間があれば映画を観続ける生活をしている人でも周囲の人たちと良好な関係を築いている人はいるので、映画を理由にされると、それはそれで1つのニーズはある物語ではあると思いますが、僕が望んでいた内容ではありませんでした。
それと、最初こそ「1人でキネマ」というタイトル通り、「1人」なのですが、すぐに同僚・同期の佐藤さんが木根さんの家に居候してくるので、「1人」ではなくなります。
佐藤さんが加わる展開は、やっぱり映画って誰かと一緒に観たり、感想を共有するのが良いんだよな、ということを実感させてくれたのですが、この漫画のようには1人じゃなくなる展開にはならないので、もっととっつきやすい方法が示されると良かったな、と思いました。
「パン職人と美女(Beauty and the Baker)」
Amazonのドラマ「マーベラス・ミセス・メイゼル」を観ていたらオススメとして表示された作品です。
ドラマは映画よりも観終わるのに時間がかかるので敬遠しがちなのですが、「マーベラス・ミセス・メイゼル」が面白くて、ドラマも良いなという気分だったので観てみました。
パン職人と美女
作品データ(IMDbより)
企画 アッシ・アザール
原題 להיות איתה:Lehiyot Ita:"Being with Her"
放送年 2013年
制作国 イスラエル
各話約30分、全10話
内容(Amazon作品紹介ページより)
ある偶然の出会いから、この奇想天外な恋の物語は始まる。いまだに両親と暮らし家業を手伝う28歳のパン職人アモス。ホテル王の娘であり、有名な女優でもあるノア。2人の偶然の出会いは、互いにとって忘れられないものとなる。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
物語のプロットとしては、富豪の娘でモデルをしているノアと父親が開いた小さな商店を家族で営んでいるアモスとが出会い、お互いに惹かれ合っていく、というものです。
アモスは「イケメン」ということなので、現代&男女逆版のシンデレラといった感じです。
実際の人物をあげて説明するならば、パリス・ヒルトンが郊外で家族経営の商店で働く同じくらいの年齢のちょっと格好良い男と出会って恋をする、という感じです。
話の展開としては、男女を別にすればシンデレラのように容易に想像がつくのですが、この作品が僕にとって面白かったのは、舞台がまずイスラエルだということです。
ヘブライ語は習ったことはあって、ちょっとだけなら読むことも出来ますが、しゃべることは出来ませんし、イスラエルにも(主に政治的な理由で)行ったことはありません。
普段見ている映画も大体は英語なので、ヘブライ語でしゃべっている人たちを見たり、あるいはイスラエルで暮らす人たちの様子というものをほぼ知らず、文字だけは知っていて、ちょっとだけ読めるというものだったので、ヘブライ語をしゃべり、イスラエルで暮らす人たちが出てくるだけで興味深かったです。
また、ノアとアモスがお互いに惹かれ合っていく様子というか、関係が縮まっていく様子も、いきなりセックスとかではなくて、28歳という年齢にしてはかなりゆっくりとしていて、その少しずつ近づいていく様子もとても良かったです。
ノアがアモスに声をかけた理由もなんとなく、という感じで、その「なんとなく」には恋愛に発展するだろうという期待もあるのですが、それをお互い言うことなく出会って、お互いに惹かれ合っていくという、そのステップの進み方が、(富豪の娘で有名人のモデルと庶民ということではなく)誰かと恋愛をするということの良さを観ている人にうまく伝えていると思いました。
また、アモスの周りにいる人物として登場するのは友人ではなく家族で、弟は「良い女」がいれば誘いセックスしようとし、後先考えることもなく、周りに迷惑をかけるのだけれどなんだか憎めない奴で、高校生の妹はアモスにだけレズビアンだということを最初伝えているという設定です。
ユダヤ教の解釈については詳しくありませんが、娘がレズビアンだと父親にカミングアウトする場面では、「ラビ(ユダヤ教の指導者)に会いに行こう」「ラビに会って同性愛が治った人を知っている」ということを言います。
当然娘からは反発というかあきれられるのですが、特定の宗教や国に関わらず、セクシャルマイノリティの人たちを巡る状況というのはあまり変わらないのだな、と感じました。
ちなみにこの作品は1話30分ほどで終わるので、1話がサクッと終わるのも良かったです。