映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

初めてネットで本を売ってみた

 本を売りました。
 基本的に僕は本を売らずに取っておくというか、蔵書がありすぎて大変だったので(多分数千冊)、殆どの本はいわゆる「本の自炊」(裁断し、スキャンし、電子化)をして、データとして残し、紙は廃棄し、ここ数年はそもそも電子書籍で買うことも多くなりました。
 なので、手元にある、本棚に入っている本は基本的に、「この本は紙の本として残しておきたい」というものです。

 けれど、昨年からいくつか資格試験を受験する中で勉強に必要な本を買いました。
 あくまでも試験対策の本なので、合格後は読み返すこともなく、売ろうかと思っていたのですが、近所に古本屋はなく、メルカリなどのフリマアプリも面倒なのでイヤだなと思っていたら、ネット上で大体の査定をして引き取りに来てくれる会社があったので利用してみました。

 

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 どの会社かというと、自分も古本を買うときに利用したことのあるバリューブックスです。
 本のISBNを入力するかバーコードを読み取ると、その場で大体の値段が表示され、全体で1500円以上の値段がつき、5冊以上の場合、引き取りに来てくれます。
 自分で段ボールを用意し、その中に売りたい本を詰めておけば、引き取りに来てくれます。

 僕は5冊売って、大体3千円で買い取ってくれました。
 しかも、元々少しでも値がつけば良いと思ってのことなので、査定からすぐに入金という方法にしていたら、すぐに入金されました。
 捨てるのはイヤだけど、フリマアプリとかは面倒だという、僕にとってはとても良いサービスでした。

 漫画は全巻揃っていないと買い取ってくれないようですが、今後もしばらく資格取得のための勉強が続くので、合格して必要のなくなった本はこうして処分していこうと思います。

「葛城事件」

 前回書いた「ヤング≒アダルト」、その前に書いた「ミッション:インポッシブル フォールアウト」に続き、『POPEYE』(2019年 7月号)で取り上げられていたので観てみた作品です。
 オススメしていたのは、TBSの山本匠晃アナウンサーです。
 Amazonプライムで観られるようになっていたので観てみました。

 


葛城事件

 

youtu.be

 

映画『葛城事件』公式サイト

 
作品データ(映画.comより)
監督 赤堀雅秋
製作年 2016年
製作国 日本
配給 ファントム・フィルム
上映時間 120分
映倫区分 PG12

ストーリー(公式サイトより)
普通の家族が、なぜ崩壊し、無差別殺傷事件を起こした死刑囚を生み出してしまったのか
どこにでもありそうな郊外の住宅地。ボソボソと「バラが咲いた」を歌いながら、葛城清(三浦友和)は、古びた自宅の外壁に大量に落書きされた「人殺し」「死刑」などの誹謗中傷をペンキで消している。やがて庭へと移動し庭木にホースで水を撒きながら、ふと、この家を建てた時に植えた、みかんの木に生(な)る青い実に手を延ばす―――。
親が始めた金物屋を引き継いだ清は、美しい妻・伸子(南果歩)との間に2人の息子も生まれ、念願のマイホームを建てた。思い描いた理想の家庭を作れたはずだった。しかし、清の思いの強さは、気づかぬうちに家族を抑圧的に支配するようになる。 長男・保(新井浩文)は、子供のころから従順でよくできた子供だったが、対人関係に悩み、会社からのリストラを誰にも言い出せずにいた。堪え性がなく、アルバイトも長続きしない次男・稔(若葉竜也)は、ことあるごとに清にそれを責められ、理不尽な思いを募らせている。清に言動を抑圧され、思考停止のまま過ごしていた妻の伸子は、ある日、清への不満が爆発してしまい、稔を連れて家出する。そして、迎えた家族の修羅場…。葛城家は一気に崩壊へと向かっていく。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆

感想
 山本アナウンサーがオススメしていたというか、どういう理由で選んでいたのかと言うと、「冷え切った食卓を描写する映画」というくくりだったのですが、まさにそれがあてはまる冷え切った食卓シーンだけでなく、この映画では何度も食事の風景が出てきます。

 家族の誰もいなくなった家で1人食事をする父・清。
 まだ家族が揃っていたときに食事をする母・伸子と清、そこに長男・保や次男・稔に声をかけて「食べないの?」と聞くシーン。

 後から言われれば確かに「冷え切った食卓を描写する」映画だったかな、と思います。

 物語の内容としては、理不尽な言動を繰り返してきた父の元で生活してきた家族がバラバラになっていく、というもので、母は精神を病み、長男は仕事を解雇された挙げ句に自死、次男は引きこもりの末に無差別殺傷事件を起こし死刑、といくら何でも「詰め込みすぎでは?」と思う感じでした。
 詰め込みすぎなのは、まだ確かにこういう家庭もあるのかもしれないと思いつつも、この映画を観ていると、あたかもすべての元凶が父・清にあるかのように描かれているのが気になりました。

 確かに、現実に家族の中でひどい態度を繰り返す人物(特に男性)がいて、その人物の言動に苦しんできた人も数多くいるのは分かります。
 その人物のことをいつまでも許せなかったり、関わることがなくなってもずっと苦しんでいる人も沢山います。

 けれど、何もかもをその人物だけの問題にするのが果たして良いのか、特に、川崎市での無差別大量殺傷事件で「ひきこもり」がクローズアップされたことから、敏感に感じてしまったのかもしれません。
 「ひきこもり」はきっかけは1つに絞れるとしたとしても、「ひきこもり続ける」にはもっと色んな要因があるでしょうし、ましてや「ひきこもりの末の無差別大量殺傷事件」という流れは短絡的に感じました。
 2000年代に入ってから、特に都市部で無差別大量殺傷事件がいくつか起きていますが、それらの要因をあげるとしたら「絶望」です。
 だけれども、この作品を観ていても、その「絶望」があまり感じられませんでした。
 ひどい言動を繰り返す父の姿を描いているけれど、そこから逃れることは出来たように見えますし、家族以外との「つながり」がなかった訳でもない。

 何もかも父を理由にすることは簡単ですが、現実はそんなに簡単に理由を見いだせるものなのか、ということが最後まで疑問として残り続けました。

今年度個人目標達成

 仕事の話ですが、今年度の個人目標を達成しました。
 個人目標にしていたのは、ある国家資格と、もう一つの資格取得だったのですが、無事に国家資格取得後に受けたもう一つの資格試験も合格し今年度個人目標を達成しました。

 

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 はっきり言って、もう一つの方は簡単すぎたのですが、まぁ、上司と面談して決めたことですし良しとしたいです。
 面談でも簡単過ぎるのでは?と僕からも言った内容で、実際に1年での目標がこんなにすぐに達成してしまうような設定で良かったのかちょっとモヤモヤは残りますが、今年度の残りの期間は違う試験を受けようかと思っています。

 というのも、とにかく「正社員」ということを優先して就職した会社なので(それ自体とても感謝しています)、待遇が良いわけではないのと、何せ全く違う業種、職種になったので、スピードを上げてステップアップしていかないと、と思っているからです。
 資格取得をして今の会社での待遇がどれほど上がるかは分かりませんが、3年くらいで一定程度の資格と実績を積んで、待遇に満足がいかなかったら、転職しようかな、と。

 ということで、これからも日々勉強に励んでいきます。

「ヤング≒アダルト」

 この作品はAmazonプライムで観られることは知っていたけれど、レビューの評価が分かれていて、観ようか悩んでいたら、先日の「ミッション:インポッシブル」と同じで、雑誌の『POPEYE』(2019年 7月号)しまおまほさんが勧めていたので観てみることにしました。
 


ヤング≒アダルト (字幕版)

 
作品データ映画.comより)
監督 ジェイソン・ライトマン
原題 Young Adult
製作年 2011年
製作国 アメリ
配給 パラマウント
上映時間 90分
映倫区分 G

あらすじシネマトゥデイより)
37歳でバツイチ、恋人もいない、執筆中のヤングアダルトシリーズは終了間近で新作の予定も決まっていない自称作家のゴーストライター、メイビス (シャーリーズ・セロン)は、うかない日々を過ごしていた。そんな中、高校時代の恋人バディ(パトリック・ウィルソン)の妻から子どもが生まれたという内容のメールが届く。バディとヨリを戻し青春時代の輝きを取り戻そうと考えた彼女は、故郷の町へ舞い戻るが……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 
「痛い」(イタイ)です。
 ただただ痛い。
 何が痛いのかと言えば、主人公のメイビスの行動のすべてです。

 元彼から届いた「赤ちゃん生まれました」というメールに「復縁があり得るんじゃ?」と勘違いし、赤ちゃんのお祝いにかこつけて地元へ帰る。
 なんとか元彼に連絡し、会う約束をし、めい一杯着飾って元彼に会い、自分に惹かれさせようとする。

 が、そんな彼女が元々(特に高校生の時)、美人だけど高飛車だということを皆知っていて、自分は仕事で成功して、都会に住んで、何もかも充実した生活を送っていると盛っていることも知っている。

 メイビスだけがそれに気付かず、地元を田舎だと見下し、そこでの生活に満足しいている人たちを軽べつもしている。
 けれど、見下している彼ら彼女らが手に入れている、結婚や子どもや友人や安定した仕事というものを実は持っていないということに気付かざるを得ない。

 気付かざるを得ない情況になり、メイビスも容姿だとか若さだけではない人生の価値を知ったのかと思いきや、予想外の、でもメイビスらしいラストが待っていました。
 このラストが人によって全く受け止め方と評価が分かれるところだと思いますが、僕自身は、メイビスがどんな価値観で生きていようが(僕はメイビスのような価値観で生きてはいかないものの)、誰かに「それでいい」と言ってもらうこと、認めてもらうことの大切さを描いているという意味で良いラストだと思いました。

床屋迷子

 実家を出てからかれこれ6回引っ越しをしています。
 その度にその土地の、例えばゴミの分別方法や出す日、あるいは安くて便利なスーパーやドラッグストアがどこにあるかなど、生活に慣れるまで探検が必要なのですが、いつも一番困るのが床屋です。
 

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 僕、別に髪型にこだわりがあるわけではないのですが、短いので、1ヶ月とか1ヶ月半に1度床屋に行くことになります。
 そこで重要になるのは、何と言っても「安さ」なのですが、いわゆる普通の床屋さんだとカットとシャンプーで3000円とかになります。

 毎月そんなお金を払えない(払いたくない)ので、安いところを探しているのですが、じゃあ、1000円カットで良いじゃないか、というと、それも結構困るのです。
 1000円カットの床屋って、シャンプーがありません。
 シャンプーがないと何が困るかというと、短く切ってもらうので、シャンプーをしてもらわないと(というか髪を洗い流してもらわないと)、めちゃくちゃチクチクするのです。

 ということで、前に住んでいたところには、(かなり待つときもありましたが)カットとシャンプーで1400円のところがあったので、空いている時間帯を狙って行っていたのですが、今住んでいるとこの近くにはそもそも1000円カットのお店すらありません。
 近くにあれば、短い髪の毛のチクチクが残ったとしても家に帰って洗い流せば、まぁ、良いかな、と思うのですが、そもそもそういう床屋さん自体がない…。

 家からか行ける範囲に何件か床屋はあるのですが、最安3000円でした。
 引っ越すときに、近所にどんなスーパーがあるかは調べたのですが、床屋は完全に見落としていました。
 ということで、床屋迷子になっています…。

「ミッション:インポッシブル フォールアウト」

 最近(元々?)雑誌を読む機会がないのですが、久しぶりに雑誌を読みました。
 読んだのは『POPEYE』(2019年7月号)で、『POPEYE』自体読んだことがなかったのですが、映画特集だったので読んでみました。
 そこで色んな方が好きな映画だったり、オススメの映画を載せていて、気になる作品をAmazonのウォッチリストに入れていたら、既に観られるようになっていたのがこの作品です。 

 


ミッション:インポッシブル フォールアウト(字幕版)

 

youtu.be

 

映画『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』DVD公式サイト|パラマウント


作品データ
監督 クリストファー・マッカリー
原題 Mission: Impossible - Fallout
製作年 2018年
製作国 アメリ
配給 東和ピクチャーズ
上映時間 147分
映倫区分 G
上映方式 2D/3D

ストーリー(公式サイトより)
盗まれた3つのプルトニウムの回収に成功したIMFのエージェント、イーサン・ハント。だが、仲間を救出する際にプルトニウムを再び奪われてしまい、同時核爆発を未然に防ぐ新たなミッションが下される。手掛かりは“ジョン・ラーク”という男の名前と、彼が接触する“ホワイト・ウィドウ”と呼ばれる謎めいた女の存在のみ。世界に刻一刻と迫る〈終末の危機〉。チームの仲間や愛する人までもが危険にさらされ、幾つもの〈フォールアウト(予期せぬ余波)〉がイーサンに降りかかる…!

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 この作品というか「ミッション:インポッシブル」シリーズをオススメしていたのは、TBSラジオの蓑和田ディレクターです。
 僕も「ミッション:インポッシブル」シリーズは結構好きなのですが、去年は映画館で観る気が起きなかったのですが、もうAmazonプライムで観られるようになっていました。

 作品の展開というか、物語の流れも不自然な所はなく、とにかくトム・クルーズが走りまくるのが印象的でした。
 少し物足りないとしたら、最初から怪しいと思っていた人物がやっぱり敵だったということで、誰が黒幕なのか分からないような展開にしつつ、結局黒幕が最初から分かっているという点です。

 けれど、この映画はもうなんというかそういう所はもう抜きにして、トム・クルーズがスタントなしで(スタントを付けると、逆に保険料が高くなりすぎるので自分でやっているとのこと)、様々なアクションをこなしていることです。
 もちろんCGの部分もあるものの、シリーズ1作目から容姿含めて殆ど衰えを感じさせないトム・クルーズにただただ圧巻されるというだけで、それだけでもう満足でした。

 2時間半近い作品ですが、アクションシーンが豊富なので、時間を忘れて観ることが出来ました。

息子が通う公立中学校の運動会で組体操の人間ピラミッドをしていた件

 梅雨に入る前、長男が入学した公立中学校で運動会がありました。
 僕が通っていた公立中学校では「体育祭」でしたが、運動会と体育祭の違いってなんなんだろうか、とか思いながら、あるいは、長男の走り方のフォームがいつの間にか綺麗になってるなぁ、とか思いながら見ていたのですが、最後の最後でかなり驚きました。

 驚いたのは、一番最後の種目にあった「組体操」で人間ピラミッドをしていたことです。
 下に載せた写真がそれです。

 

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 一番上の生徒が立った瞬間に大きな拍手が沸き起こっていましたが、僕の中では嫌悪感と何かが起きたらどうするつもりなんだという怒りで一杯でした。

 組体操の人間ピラミッドの何が問題なの?と思うかもしれません。
 この件に限らず学校での事故については名古屋大学准教授の内田良さんが積極的に発信しておられるので、この記事(国連も問題視する「組み体操」が、それでも巨大化しているナゾ(内田 良) | 現代ビジネス | 講談社(1/3))など読んでほしいのですが、僕が今回のような人間ピラミッドに怒りを覚えている点を箇条書きしてみます。

・学習指導要領に載っていない(学校が「勝手にやっている」)
・重大事故発生率が高い(重大事故とは死亡や麻痺、骨折など)
・「成功したんだから」、「感動的」という言葉で美化される
・やりたくない生徒へも強制参加させている

 
 大きくはこの4点です。
 学校、特に義務教育課程では、学校で教えることは明確に決められています。
 その内容は学習指導要領というものに載っていて、それに基づいて教科書が作られ、授業もそれに則って行っています。
 しかし、組体操、ましてや人間ピラミッドは学習指導要領に載っておらず、学校が「勝手に」行っています。
 僕も学校で教えていましたが、学習指導要領に載っていないことを授業で「勝手に」行っていたら、学校内だけでなく、教育委員会からも指導が入ります。
 けれど、何故か行われている。

 そして、学習指導要領に載っていない「勝手にやっている」、この人間ピラミッド、とても重大事故率が高いです。
 参考に2つの資料を載せておきます。
組体操による事故の概要
組体操等による事故の状況

 上に載せた資料をさらっとでも見てもらえば分かりますが、過去には死亡事故も起き、毎年「障害見舞金」を払う事故(つまり「障がい」が残った生徒が出ている)が発生していることがわかりますし、障がいが残らないけれどケガをした生徒でいえば、毎年9千人も出ています。
 こんなにも沢山のけが人を出し、障がいが残る生徒まで出す危険なことを、なぜ国の指針もなく「勝手に」やっているのか、意味が分かりません。

 そして、そもそも日本の公立学校の殆どでは、例えば制服の着用など、あらゆる場面で様々なことを強制されます。
 組体操には参加したくないなど言うことは実質、生徒には出来ないでしょう。

 最終的に成功し大きな拍手が沸き起こってましたが、僕は怒りしか感じませんでした。
 何でこんな危険なことを観ている人たちに拍手してもらうためにやるのか。
 やりたいなら「感動した」とか言って拍手したり、生徒たちに強制参加させている教員がやれば良い。

 成功したんだから、あるいは、けが人いなかったんだから、何グチグチ言ってんの?という反論するかもしれません。
 けど、そもそも「成功したから」「けが人がいなかったから」美談で済んでるけれど、もし、「失敗したり」「けが人が出たら」誰がどうやって責任を取るのでしょうか?
 頸椎を損傷し、首から下を動かせなくなり、車椅子生活を送る生徒に対して、教員や観衆は責任を取れるんですか?
 その生徒が死ぬまで面倒みますか?面倒見られますか?
 そんなの出来ないし、しないでしょう。

 組体操は人間ピラミッドなんかしなくても綺麗に見せる方法はあります。
 それに、今回、息子の通う学校では「男子」だけで「トリ」として行われていましたが、男女混合でもできるものもあります。
 学校が「勝手に」やるのなら、せめて今の最新の情況を学んだ上で行って欲しい。
 それをしないのなら、教員たちは学校で教える立場にいる資格は全くないと僕は思います。