映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『Baby-mo』2012年5月号

例によって最新号の『Baby-mo』が送られてきたので、紹介します。


Baby-mo (ベビモ) 2012年 05月号 [雑誌]Baby-mo (ベビモ) 2012年 05月号 [雑誌]
(2012/04/14)
不明

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率直な感想を書いてしまうと、前回もそうでしたが、今まで楽しみにしていた連載が4月号からなくなってしまったので、今回も特に興味を引くものはありませんでした。

育児グッズももうあまり興味が無いし(一応新しいものはチェックしますが)、離乳食もそんなに熱心に作る気がしないし、子どものイヤイヤは「あるよねー」と言うくらいで終わってしまうし。

強いて言えば、最近紫外線が気になってきたので、各種クリームが紹介されていたので、見比べたくらいでしょうか…。

と、思っていたら、最後の方のモノクロ記事の「いま、そこにある離婚危機」を冷やかし半分目を通していたら、身近なあの方が。

あの方とは、ファザーリング・ジャパン代表理事で、よく保育園の送りで目にする、安藤哲也さん。

「あー、安藤さんだ!」と思って、安藤さんの意見を読んでみたのですが、それに対する感想は書いておくのはあえてやめておきます(色んな意味で今後が恐いので)。

まぁ、1つ言えるのは、これは安藤さんだけではないのですが、良く耳にしたり、目にしたりする意見として、「男は親になる見本がないからわからない」というものがあります。

僕はこれに関しては以前からかなり違和感を抱いていました。

僕は、別に見本があったから「主夫」になったわけではないし、僕という見本があったからと言って、我が家の子どもたちが「シュフ」になるとも思えません。

「見本がない」というのは、本当に何の根拠もない言い訳なのではないか、と。

例えば、女性が結婚した後、「見本がないから、教えてもらわないと、家事や育児はわからない」と言ったら、多くの男性(というか周りの人たち)はどう思うでしょうか?

(この例えは、自分で書いていても、いろんな論点がありすぎるのと、僕の感覚ともそぐわず適当ではないのですが…)

僕らの父親の世代(団塊よりちょっと上)は確かに、現在父親をする時に求められている役割にとっては「良い見本」にはならないと思います。

高度経済成長期にどっぷり浸かり、父親=稼ぎ手、母親=専業主婦、子ども2人というような家族像が「一般的」と考えられていたので、そこで要請されていた社会人として、また父親としての役割が、今と全く違うのはあたり前です。

そのように働き、家族の中での役割を担っていた父親たちを「父親としてダメだ」と言うことは出来ないでしょう。

僕らにとって、確かに、その父親は「良い見本」ではないかもしれませんが、僕らの父親たちにとっても、祖父たちが「良い見本」ではなかったと思います。

祖父たちの多くはまだ「サラリーマン」では無かったと思いますし。

それに、もし、男性たちが「見本がない」と言ったら、女性たちはどうなるでしょうか。

パートナーである女性たちの母親たちの多くは「専業主婦」だったでしょう。

しかし、パートナーである女性たちの多くは「見本がない」中で、専業主婦ではなく働いています。

もし、父親たちが「見本がない」と言って正当化してしまうと、母親たちも「見本がない」と言って正当化しても良いと言うことになります。

「(自分の母親は専業主婦だったけれど、自分は働いているから)親になる見本がなくわからない」と女性が主張したらどう反応するのでしょうか?

「確かにそうだね」と言えるのであれば、男性自身も「見本がないからわからない」と言えるのかもしれませんが、女性がこのような主張をしたときに、少しでも違和感や疑問を感じるのならば、男性自身がこのように言うのもやはり違和感や疑問があるということになるように思います。

それに、なんと言っても、目の前にいる子どもは当たり前のことですが、それぞれ違います。

目の前にいる子ども(というか人間)とどのように向き合うか、付き合って行くかは、相手によって当然変わってきます。

どれだけ「良い見本」があって、どれだけのことを教わったとしても、それがその相手(子ども)に通用するとは限らないわけです。

なんだか、延々と偉そうなことを書いてしまいましたが、要は「目の前にいる子どもはそれぞれ違うんだから、なんだかんだ言い訳しないで、ちゃんと向き合おうよ」ということを言いたいのでした。