映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「それでも夜は明ける」

TSUTAYAディスカスから送られてきたので見てみました。

 

12 Years A Slave/それでも夜は明ける

 

本題に入る前に、日本の映画ってなんで原題を変えちゃうんでしょうか。

この作品はDVDには「12 Years A Slave」と書いてありますが、検索するときは「それでは夜は明ける」じゃないといけなかったのと、そもそも、原題が最初と最後にしか出てこないので、「12年間奴隷として」というのをふっと忘れてしまいそうな時がありました。

それでも夜は明ける」はそのタイトルを考えた人のメッセージ性が強すぎるというか。

 

さて、映画の内容ですが、原題の通り、「12年間奴隷として」生きることになった19世紀後半のアメリカでの実話です。

北部(ニューヨーク州)で【自由黒人】として生活していたソロモン・ノーサップが、ある日拉致されて南部のプランテーションに売り飛ばされ、奴隷として過ごした日々が描かれています。

最終的にはノーサップが【自由黒人】だということが証明されて、家族の元に帰ることが出来るようになりますが、単なる【苦境に陥ったが最終的には脱し、ハッピーエンド】というようなお涙頂戴ものではありませんでした。

 

見終わった後にも考えさせられるというか。

たぶん、僕以外の人も引っかかるのは、「ノーサップは【自由黒人】と証明されて【奴隷】ではなくなったが、【苦境】にいるままの【奴隷】たちはその後も【奴隷】のままで何も解決していない」ということです。

ノーサップは良かったけど、他の奴隷はそのまま【物】として扱われ、ひどい暴力のもとにさらされ続けている、映画が終わってもこのことは頭から決して離れることはありません。

 

僕自身が考えさせられたのは、奴隷を所有物と言ってのける【白人】も、奴隷である【黒人】も【敬虔なクリスチャン】ということです。

アメリカは言うまでもなく、キリスト教ユダヤ教)社会ですし、南部は特に福音的キリスト教の根強い社会です。

 

聖書を読みながら、「黒人たちは白人の所有物だとここに書いてある!」と平然と言ってのける農場主、その奴隷である黒人も引き離された家族のことを「キリスト教の神」に祈るのです。

なんとも異様な光景に映りました。

仲間の黒人(奴隷)が亡くなったときにみんなで歌ったのは「黒人霊歌」であり、自分たちを抑圧する白人たちが信じている【神】と自分たちが信じている【神】は同じキリスト教の【神】なのに、それを平然と受け入れている、という状況がキリスト教の神を信じている僕にとってもとても不思議な光景でした。

 

こんなにも簡単に受け入れている(ように見える)のは、むしろ【同じキリスト教の神】という意識はなく、【白人の神】と【黒人の神】という認識だったのでしょうか。

この点は、ご本人たちに聞かない限りよく分からないことですが、ちょっと不思議な光景でした。

 

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)

★★★★★

 

2014年に観た映画ランキング

1「それでも夜は明ける」 2「そして父になる」 3「小さいおうち」