映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

『コウノドリ』9巻

先日、『きのう何食べた?』を本屋さんで買った時に、こちらも新刊が出ていたので買いました。

 

コウノドリ(9)

 

今回はなんというか【重い話】は殆どありませんでした。

たとえば、「障がい」とか。

 

裏表紙に載っているテーマでは、【研修医】、【インフルエンザ】、【出産予定日】となっていました。

 

その中で僕が面白いな、と思ったのは、【出産予定日】です。

 

我が家の子どもたちは長男T(8歳)を筆頭に、次男S(6歳)も2週間から10日くらい出産予定日よりも早めに産まれてきました。

上の2人がそんな感じだったので、ムスメM(3歳)も早めに産まれてくるのかな、と思っていたら、(なかなか産まれてこず)出産予定日ちょうどに産まれてきました。

 

ツレも僕も、「出産予定日に子どもが産まれてくる」と勘違いしたことはありませんが、「赤ちゃんは出産予定日に産まれてくると思っていた」というのは結構耳にする話です。

 

この話を読んでいて思い出したのは、(漫画とは全く関係がありませんが)国内現役最高齢助産師である、坂本フジヱさんのインタビュー記事です。

 

【坂本フジヱ】「男と女が同じなら、そらセックスもせん」日経ビジネス

 

この中で良いなと思った言葉をいくつか引用してみます。

 

 私は古い人間ですから、昔の考え方が強いんやと思います。今の方は皆さんお産をものすごく大仰に考えている。ご飯食べて、うんこして、寝て、起きてという生活のその一コマでお産があるとは思っていないんです。でも当たり前ですけど、大昔、病院のない時代から人間はずっとそうしてきている。何万年と、自分の体のプログラムに沿って、みんな生まれてきたんですよ。

 でも、生きるための根本の力が欠けていれば、それはそれまでの命です。それまでの命の子供は絶対に息はしませんよ。そのまま死んでいく。

 

 今の人たちはそんなの考えられんでしょう。でも人の命というものは、生まれたらあとは死ぬしかないんです。何歳で死ぬかは自分も誰も分かりませんよ。私も3人目の子を流産しましたけれども、いつかは必ず死ぬということが、人間の体に必ず起こってくる出来事です。こればっかりはどうしようもない。

子供というのは神の意思でなかったら、なかなか授かれんです。それを「やっぱりもうちょっと楽しんでから結婚しようか」という人が増えたでしょう。子供も「つくる」って言うようになりましたね。でも年いってからあわてて子づくりしても大変ですよ。

 

子どもを「つくる」という表現が一番端的に表していると思いますが、命をコントロールしようということや、コントロール出来ると思っている人たちが多くなっているのではないか、と思っています。

だから、出産予定日も子どもが産まれてくる日だと信じ込んでしまっている。

 

これは、命が生まれてくるということだけではなく、死んでいくということとも同じなのですが、僕は小さい時から割と身近な死を見てきたからか、他の人と感覚が違うな、と思う時があります。

最終的には「生きてりゃ死ぬだろ」と思うのですが、そういうことを言うと「冷たい」とかそんなことを言われることもしばしばです。

 

もちろん、突然の死に驚き、悲しむことはありますが、それに意味づけをしたりすることはありませんし、コントロールしようとも思いません。

最近の話題で言えば、心臓の病気を抱えている小さな子どもの【心臓移植】をアメリカで受けるために2億円とかそんなお金を募っている友人たちを見ても心が動かされることはありませんでした。

 

それは、

・お金を集めれば助かり、集められない人は死ぬという経済論理が強く影響していること

・【心臓移植】ということは【脳死】の人がいるということ

なども非常に気になるからですが、一番はなんと言っても、誰しもがいつか死ぬんだから、そこまでする必要があるのか、ということを思うからです。

 

「自分の子どもでも同じ事を言えるのか?」という批判が来るでしょうが、どんな問題でも(たとえば犯罪被害など)冷静な時に考えるということが必要だと思っています。

もし、自分の身に起きた時に、客観的に考えた時と全く違う考えになったのなら、その差が何故生まれたのかを考えなくてはいけませんし、違いがないのなら軸が通っていたということにもなるのではないかと思います。

 

話が大分ずれてしまいましたが、こんなことを思い巡らすことが出来るきっかけを与えてくれるので、とても良い漫画だなといつもながら思います。