保育園のクラス懇親会で気づいたこと。
先週末は予定が目白押しで、ムスメM(3歳)が通う保育園のクラス懇親会がありました。
2日前までは天気予報が雨や曇りだったのでどうなることかと気を揉んでいましたが、天気も良く、開催場所には木が沢山あり日陰があったのと、水もあったので、誰1人熱中症になることもなく良かったです。
懇親会には、何故かツレは「自分は行かないと思っていた」という発言が直前にありかなり驚きましたが(というか僕は怒りを覚えました)、ボーイスカウトのあった長男T(8歳)以外の4人で参加しました。
次男S(6歳)も3ヶ月前まで同じ保育園にいたので、みんなから「Sくん!」と呼ばれ、みんなのお兄ちゃん的存在になっていました。
さて、この懇親会で改めて気づいた点がありました。
男親が少ない=女親ばかり
これは懇親会だけでなく、あらゆる場面でのことなので改めて書くこともないかも知れませんが、男親(父親)が少ないです。
それでも男親単独で連れてきている人も数人いましたが、逆(女親単独で連れてきている人)の数を考えると差は歴然です。
理由は知りませんが、なんでこんなことになるのだろうか、と前日の授業公開に来ている保護者を見ても思いました。
保護者が子どもを見ていない
懇親会=保護者(特に女性)の懇親会という位置づけなのでしょうか。
子どもを放置し、保護者同士で話に興じている人の多いこと。
こういう光景は以前参加した育成室のキャンプでもあったのですが(「水辺のキャンプに子どもを連れて行くなら」)、子どもがどこにいるのか、何をしているのか把握していない保護者が結構いました。
泥酔したり、車や自転車で来たのでなければ昼間からお酒を飲んでいようが保護者同士での話に夢中になっても構わないのですが、子どもがどこにいて、何をしているのか把握するのは保護者としての最低限のつとめだと思います。
ある子がみんながいるところからは離れているトイレに行っていました(僕は数人、しかも大人も一緒だったので、一緒には行きませんでした)。
その子の保護者が、トイレから帰ってきた子をつかまえて「どこに行ってたの!」と言って怒っていました。
なぜその子の保護者が怒ったのかといえば、保護者からすれば「子どもが勝手にどこかにいった」と言うことなのでしょうが、子どもからすれば「トイレに行ってただけ」です。
しかも、子どもたちはまだ、3歳や4歳になったばかり。
自分の目の届くところに子どもをいさせたいと思うのなら、保護者が話しに夢中になるのではなく、どこにいて何をしているのかを把握しておくべきでしょう。
他にも、ケンカが始まったので、僕がとめたということもありました。
暴力を振るっていた子に注意した後、それぞれの保護者も気づいてやってきたので、その後は保護者が対応していましたが、そもそもは「ケンカの前触れ」がありました。
僕は「このままだとケンカになるだろうな」「暴力に発展するだろうな」と思っていたので、その子たち(というか原因になり得るものを持っていた子)に注意というか、牽制というか、アドバイスをしていました。
何回かそういうやりとりがあったあと、僕から少し離れた場所でケンカ(というか暴力)が起きてしまいました。
これも、僕からすれば、保護者が話しに夢中にならずに、ちゃんと「子どもたちが何をしているか」を見ていれば起きなかったことだと思います。
起こった出来事を中心に書きましたが、そんな親たちの様子を見て僕は「やっぱ、他の保護者と親しく懇談なんかしてらんないな」と思いました。
子どもたちを遊ばせながら、一緒に遊びながら、その保護者と仲良くなる、という方法だったらもちろんありなのですが、子どもたちを放っておいて話に興じたり、酒を飲む気には全くなれません。
ツレみたいな(懇親会に行く気すらそもそも無かった)子どもに関して無責任でいられる立場の人はそれで良いのかも知れませんが、子どもたちの安全(大きく言えば命)を預かっている身としては、無理だな、と。
万が一、話に興じていて行方不明になってしまったなんてことが起きてしまったら、死んでも死にきれません。
と、なんだか話が広がってしまいましたが、僕が「保護者の社交の場に積極的に入っていく気になれない理由」はこれが一番の理由かも、と改めて気づきました。
もちろん、もともと社交とかが苦手ということもありますが、家ではない、どこに何があるのか分からないようなところで、子どもといるときに話に興じるとか、酒を飲みまくる、とか、まず出来ないな、と思ったのでした。
でも、僕のように感じているかは分かりませんが、(育成室のキャンプでもそうだったのですが)社交に興じることなく、「子どもたちをそっとちゃんと見ている」という保護者もいて(今までの経験だとみんな男親)、そういう人には「やるな、おぬし」とか、訳の分からない仲間意識を感じています。