映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

#私を救ってくれた本

先日、cakesで以下の記事を読みました。

 

cakes.mu

 

翻訳家、エッセイスト、洋書書評家の渡辺由佳里さんの記事で、有名人の自死の報道からご自身のうつの経験を綴り、「「うつ」の処方箋としての「読書」」というものを紹介していました。

 

私にとって効果があったのはフィクションだった。幼い頃、学校でいじめにあっていた私を救ってくれたのは『秘密の花園』と『小公女』だったし、『赤毛のアン』、『若草物語』、『高慢と偏見』は心を癒やしたくなったときに必ず読み直す本だ。今ではそれらの本は原書を読むが、それを目指すのも子供時代の「生きる理由」のひとつだった。

 

また、この記事等の呼びかけで、Twitterでは #私を救ってくれた本 というハッシュタグで多くの人が投稿しています。 

 

この記事やTwitterでの投稿を見てみて、自分にとってうつに効果があった本って、何だっただろう?と考えたのですが、うまく思いつきませんでした。

うつに限らず広い意味で救ってくれた本は何か、というと、高校生の時に読んだ村上春樹の小説だったと思います。

 

その当時出版されていた村上春樹の小説はすべて読み、その後も読むようになるくらい

どの作品も好きなのですが、とりわけ残っているのは、リアリティ小説である『ノルウェイの森』でした。

 

 

初めて読んだときには、この小説がかつてものすごく売れたということも知らずに読んだのですが、主人公「僕」の生き方というか考え方が許される、ということに救われたような気がしました。

 

中学生の時、男の中でも誰と友だちなのかで周りからの評価が変わったりすることにもうんざりしたり、女子と話すだけでなんか言われたり、そもそも男同士で「つるんでいる」ということ自体にうんざりした気持ちを持っていました。

 

高校で男子校に入ったので、「女子」との関わりだとか、「恋愛」だとかの話が周囲からほぼなくなったのはとても快適だったのですが、もう一つの男子同士で「つるむ」ということについては、高校に入ってもありました。

 

そんなうんざりした気持ちを持っていたときに読んだのが『ノルウェイの森』で、その中で出てくる「僕」は誰かと「つるむ」ということはせずに自分の考えで行動しているように見えました。

一般的に批判されているように、村上作品ではなぜかすぐに女性と寝ることができるという点は、僕にとっては現実的ではなかったものの、それでも、誰か(基本的に複数)と「つるむ」ということが強要されているように感じていた僕にとっては、誰とも「つるむ」ことのない「僕」にとても勇気づけられたことを覚えています。

 

最初に読んだときは「救ってくれた」というほど感動したり、大きく心揺さぶられた、というのではないのですが、「あぁ、これで良いんだ」ということを思わせてくれたのは、その後の僕にとってとても大きな意味があったと感じています。