映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

荻上チキ『いじめを生む教室』

 毎日聴いているラジオ番組(荻上チキSession-22|TBSラジオ)のパーソナリティで評論家の荻上チキさんがこの夏新著を連続で出されていて、その中の一冊がこれは読まなければ、という内容だったので、出版早々読みました。

 

いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識 (PHP新書)

 

 僕がこの本を読んでみようと思ったのは、チキさんが「おわりに」で書いているように、「いじめ研究について、理論やデータを紹介しながら、具体的対策や政策提言などについて触れた一般書がほとんど見当たらない状況だったからです」。
 勉強熱心な教員や、あるいはそういう教員が管理職の学校では研修などで理論やデータを紹介しつつ、どう対応していけるのか、話し合ったり、取り組んで行っているのかも知れませんが、周知の通り、教員は多忙ですし、僕自身が学校の中で常々感じているのは、教員としての仕事がチームワークよりも個人に負うところが多く、「いじめ」に対してどのように対応すべきか、ということの知識や認識が各教員間で大きな違いがあるということです。

 

 非常勤で専任教員よりも学校内では時間的余裕がある僕個人も、常に研究論文を探したり、最新の研究結果や調査を調べられているかと言われれば、現実的には難しい情況です。
 なので、「いじめ」についてこれまでの研究、理論、データがまとめられ、そこから具体的な対応としてどのようなものが考えられるのか、ということがコンパクトにまとめられたものを欲していました。

 

 さて、この本のスタート地点はすごくシンプルです。

 

いじめについて議論をする際、しばしば「どうせいじめを減らすなんて無理だ」という反応が見受けられます。しかし、「いじめを増やすなんて無理だ」と思う人は少ないのではないでしょうか。実際、ワークショップなどでこうした質問を投げかけると、いじめを「増やす」ための、具体的で現実的なアイデアの数々が、参加者の中から出てきます。いじめを「増やす」ことができるのであれば、「いじめの数は、条件によって増減する」ということが確認できます。そして、「いじめを増やす要因」について考える作業は、そのまま「どの環境を改善すればいじめを抑制できるのか」という発想につながります。 (24-25頁)

 

 例えば、仲の悪い者同士を近づけるなどすれば、「いじめ」が増えると予想出来ますが、増やすことが出来るのならば、減らすことも出来るのではないか、ということです。
 それでは、教員がどのような教室を作っていけば「いじめ」が減らせるような、「いじめ」発生を予防できるようになるのかというと、これもすごくシンプルな答えが導き出されています。

 

わかりやすい授業をする
多様性に配慮する
自由度を尊重する
自尊心を与えていく
ルールを適切に共有していく
教師がストレッサーにならず、取り除く側になる
信頼を得られるようにコミュニケーションをしっかりとる(108-109頁)

 

 はっきり言って、すごく「当たり前なこと」です。
 逆に言えば、この「当たり前なこと」が出来ていない教室では、「いじめ」が発生しやすいとも言えます。

 

 この本の中では、もっと詳しく、どういう属性を持った人がいじめの加害者・被害者になりやすいのかや、いじめの内容(暴力や恐喝などの暴力系なのか、いやがらせや悪口というコミュニケーション操作系なのか)も調査から得られたデータを使って説明がされています。
 そもそも、この調査から得られたデータ自体を教員が共有しているとは言えない現実の中で、「いじめ」が発生したということで、場当たり的に担任やその学年の教員の経験や力量によって対応されているのを僕は目にしてきました。
 「いじめ」が明らかになったときに、教員個人の知識や力量に過度に頼ることなく、チームとして関わっていくこと、また、そもそも「いじめ」が発生しないような教室運営=いじめの予防をどのようにしていくか、ということもこの本ではデータに基づき述べられています。

 

 読んでいたら付箋だらけになってしまったので、これ以上紹介しようとすると、ほぼすべて触れることになってしまうような気がするので、とりわけ僕が興味深く感じた点をあげてみたいと思います。
 まずは、なぜ「いじめ」が発生してしまうのか、ということについて。

 

いじめという形でストレスを発散していた人が別の発散方法を手に入れると、いじめをしなくてもすむようになることがわかっています。問題は、学校では「クラスから離脱する」ことも、「ゲームやスマホなどを持ち込み、ストレス発散する」ことも禁じられていることです。
 日本軍人の手記や戦争体験記などを読むと、戦時下においては大人同士でもいじめが頻発していたことがわかります。固定化された組織の中で、ストレスの発散手段が非常に限られており、いじめという形で発散するしかなかったという点で、教室ストレスと似た側面があります。
 いじめが起こりにくい環境にするためには、そうしたストレス要因を取り除くと同時に、より多くの児童が持つそれぞれの特性に対して寛容で、自由度の高い教室を作っていくことが重要なのです。(94-95頁)

 

 著者の荻上チキさんや名古屋大学の内田良さんなどの働きで「ブラック校則」が可視化されるようになりましたが、いじめと校則を関係付けて考える視点は、今の学校にはほとんどないのではないかと思います。
 僕の勤務校(私立)では中学生は携帯の持ち込み禁止(持ってきた場合は登校時に教員に預ける)、高校生は学校内電源OFF、また、授業中の飲み物禁止、あるいはスカート丈やネクタイなど制服着用のルールもあり、化粧や染髪も禁止とされています。
 

 僕が通っていた高校(私立男子校)では、服装の規定はなく、染髪やピアスをしている生徒が沢山いましたし、もちろん携帯もみんな持っていましたし、僕自身も使っていました。
 なので、今の勤務校で働くことになったときに、僕が通っていた高校と全く違って、決まりばかりのようで、僕自身も驚きました。
 今年に限った話ではなく暑い日などには、自分の担当している授業中は生徒が着用しているネクタイを外しても構わないし、飲み物を飲んでも構わないと伝えたところ、他の教員に「甘い」、「教員全員が同じ対応を取らないと困る」と怒られたこともあります。
 

 この「校則」については、僕が通っていた公立の中学校では理不尽だと感じる校則があったので、高校が天国のように感じられました。
 その経験があったにも関わらず、自分自身が学校で勤務するようになってからは、校則がある方が「教員が生徒を管理しやすい」という事情があることも分かりました。
 しかし、この本で指摘されているように「いじめ」が様々なストレスの発散として行われているという事実は、ストレスの原因としての抑圧的な教師の態度だったり、学校運営者や教員の「生徒を管理しやすい」という理由での過剰なルールというものを見直すきっかけになると思います。

 

 この他にも、「いじめ」被害などのハイリスク層へのサポートとしてセクシャルマイノリティや「発達障害」、吃音や外国人児童などが取り上げられていて、これらを未だに「いないことにしている」学校が多い現状で、どのようにサポートが出来るのか、具体的なアプローチが示されていることもとても良いことだと思いました。

 

 もう一つ、新しい発見だと感じた点をあげてみます。

 

本の読み聞かせや読書時間を導入することで、児童の抱える学校ストレスが減る、という研究結果もあります。読書時間や読み聞かせの時聞が、子どもたちにとっては誰からも評価をされないですむ息抜きの時間だからです。こうした自由な時間を与えられたことによって、子どものストレスが減ったのだと考えられます。そうしたことも踏まえると、レクリエーションとして、読み聞かせを通じて多様なルーツについて教えながら、それぞれの違いを認め合おうというような授業を展開することには、非常に有効な意味があると思います。(177-178頁)

 

 道徳が教科になった現在、「子どもたちにとっては誰からも評価をされないですむ息抜きの時間」というものは学校にほとんどありません。
 なので、僕個人が出来るかも知れないこととして、「子どもたちにとっては誰からも評価をされないですむ息抜きの時間」をどのように作ることが出来るのか、そのときに「多様なルーツについて教えながら、それぞれの違いを認め合」うことが出来るような時間を持つことが出来るのか、ということを考え、実行していきたいと思いました。

 

 最後に、学校で働いているものとしてありがたかったのは、「いじめ予防」という観点からも、教員の多忙に触れ、緩和策として具体的な教員体制やサバティカル制度の導入などについて触れられている点です。 
 僕自身もそうですが、学校では教員の数が減る中、非常勤が増えるという情況が起きています。
 働き方の1つとして、非常勤講師をあえて選ぶ人もいますが、非常勤であるからこそ経済的にも社会的にも不安定であり、そして、関わる生徒たちにも中途半端にしか関わることの出来ない現状があります。
 チキさんは具体的に「2+α 制度」(担任2人とサポートの必要な生徒児童のために+α)を提案していますが、このような体制を取るということは、教員の全体数が減る中、非常勤ばかりが増加し、そこで働く教員自体も不安定だという情況の改善につながるのではないかと思います。

 

 単に教育予算を増やせ、といっても通じないかも知れませんが、この本でふれられているような根拠を示しつつ、具体的提案を行うことで、教育予算の増加を求めていく、という方法が取れるのではないかと思います。