映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

山崎啓支『マンガでやさしくわかるNLP』

先月いただいたコメントで「参考になるかも」ということで紹介していただいたEMIさんのブログで触れられてた、NLP神経言語プログラミング)というもの、ネットの検索だけでは定義ややり方などよく分からなかったので、本を読んでみました。

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と、僕が書いた記事→EMIさんの漫画「パラダイムシフト」

 

マンガでやさしくわかるNLP Kindle版

 
全く聞いたことがない言葉だったので、どの本が良いのかもよく分からなかったのですが、各種サイトのレビューや評価、そして、価格から選びました。

結果的には、僕自身が求めていたNLPとは何かいう定義のようなものは分かりませんでした。
一応、「言語学と心理学を効果的に組み合わせた実践手法のこと」という説明があるのですが、この説明だとNLP以外にも当てはまるものが多数ありそうです。

従って、定義はいまいちよく分からなかったのですが、考え方、実践の方法は具体的に書かれていました。
タイトルに「マンガで」と書いてありますが、マンガの部分はそこまで多くなく、文章の説明がメインで、その文章のところがどのように考える方法なのか、どのように実践していくのかについて「やさしく」書かれていました。

僕がこの本の中で一番良い意味で気になった考え方は以下のものです。
 

 そもそもプログラムは「特定の五感情報=良い(悪い)」という形で記憶されているのです。そして、驚くべきことにその記憶はパソコンのデータのように上書き保存できるようになっているのです。私のリフレーム体験で「出来事(X)」=「意味(Y)」の「意味(Y)」が変わった時に、同じ仕事でも感じ方が一変したとお伝えしました。これは、出来事の意味が上書き保存されたことを意味します。ここで大切なことは「脳は最新のことが真実だと認識する」ということです。


各個人の考え方、物事の捉え方を「プログラム」と言ってるのですが、そのプログラムは書き換え可能であり、上書き可能である、と。
「最新のことが真実だと記憶」される、ということは、今も時々やってくる、過去のネガティブな出来事もポジティブに捉える(上書きする)ことが可能だということです。
その実践方法も書かれていたのですが、僕は今までネガティブな出来事を思い出すときに、なるべく思い出さないようにと思いつつも、けれどそんなことは出来ないので、いかにそのネガティブな思い出に振り回されないで過ごすか、ということを考えて来ました。
ネガティブ思い出をポジティブな思い出に書き換える、という発想自体がなかったので、それが実際に可能かどうかは、これから試してみるとしても、書き換えるという発想自体を知ることが出来たのはとても良かったです。

他に気になった言葉もいくつかあげてみます。
 

コミュニケーションの成否は言葉を深く受け取ってもらえるかどうかで決まる


これは、以前から僕も考えていたことで、コミュニケーションは相手がいて成り立つものなので、自分の言葉をどう相手が受け取ったかが重要だということです。
逆も同じで、相手が「そんなつもりじゃなかった」ということもありますが、自分はこのこと(相手がどう受け取るかが重要)を分かっていても、相手がそれを理解していない時にはどうすれば良いのかが一番悩ましい課題です。
そもそもコミュニケーションの前提がお互い違うということなので。

次は、かなり自己啓発というか、「教え」っぽいものですが、似たような考え方なので、2つ続けてあげてみます。

 結局人間は自分の中にある価値観で他者を評価し、同時に他者を裁くのです。同様に全く同じ価値観が自分を受け入れ・自分を否定する尺度ともなっているのです。
 自分の中にある価値基準が自他共に受け入れ、自他共に裁く物差しになる。
 まずはこれをしっかりと理解してもらいたいのです。
 つまり、自分の中の光だと思っている健全な価値観すらも、それが極端に大切なものになる時、ストレスの原因になってしまうのです。

 

キリンはキリンであるがゆえに独特で比較のしようがない独自の価値があるのです。同様に、唯一無二のかけがえのない存在であるあなたは、誰かと較べてすばらしいというのではなく、良い・悪いを超えた独特な存在なのです。だからこそ尊いのです。


うつなどの症状で、自分はダメだという思いに囚われてしまうことがあるのですが、そのような「ダメ」と判断している基準をどのように考えるか、というものです。
そのそも自分の中に何かの「価値基準」があるから、それで自分をも照らして「ダメ」だと判断してしまう。
それではその「価値基準」が「価値基準」であるということを認識し、その「価値基準」が普遍のものなのか、自分がどのような過程で持ったのかを思い出し、1度リセットしてみよう、というものです。

しかし、実際、「キリンはキリンであるがゆえに独特で比較のしようがない独自の価値がある」のと同じで、「あなたは、誰かと較べてすばらしいというのではなく、良い・悪いを超えた独特な存在」だと言われたとしても、中々そう思えない現実があります。

頭ではもちろん理解出来ますが、社会とわずかでもつながらないと生きていくことが出来ない現実にあって、日々いろんな「価値基準」にさらされています。
それは、収入だったり、容姿だったり、暮らしている場所だったり、仕事の内容だったり。

独特の存在だと言われ、それが分かっていても、1人でいられるかというとまた別の問題です。
1人だけで生きていける人であれば、荒野に1人死ぬまで暮らすことも出来るかも知れませんが、ほとんどの人にはそれは無理です。

NLPでは、個人それぞれが「比較のしようがない独自の価値がある」存在なので、何かの(誰かの)「価値基準」に惑わされないようにしようと伝えているのですが、他者と関わるということは、同時にその何かの(誰かの)「価値基準」に接触せざるを得ないという現実があります。
1人だけで生きていけない以上、「価値基準」を手放そうという一方で、何かの「価値基準」に接触せざるを得ないという矛盾をはらんでいるのではないかと思います。

この時、誰かの「価値基準」に振り回されないために、宗教などの「教え」を信じるという人もいますが、それも結局それらの「教え」が「価値基準」になっただけです。

そうすると、どうしたら良いのか。
とりあえず、「価値基準」があるということを認識するだけで良しとする、ということなのでしょうか。