「チェイシング・エイミー」
この夏人気ブロガーと人気AV男優が結婚(事実婚)を発表し話題になっていました。
人気ブロガーはあちゅうがAV男優のしみけんと結婚を発表 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
会ったこともない人たちが結婚して特に何か僕が言うことはないのですが、この話題で興味を引いたのは、男性側が数千本ものAVに出演している=何千人もの人とセックスしたことのある人であり、なおかつ結婚したということで男性側(しみけん)には羨望などの反応があった一方、女性側(はあちゅう)に対しては、侮蔑の反応が沢山見られたことです。
はあちゅうという人がネット上で会ったり対話したこともない人を一方的に批判したり、その一方で批判していた方が殺された時には手のひらを返すような反応をしたり、と一貫性がなかったりすることで、元々批判されていたのですが、結婚を発表しただけで侮蔑の言葉が投げつけられる、という異常な状態に見えました。
さて、今回観た映画は、この男性は女性に「処女性」を求める一方、男性自身は沢山経験することに価値を置く、ということに絡んだ映画です。
チェイシング・エイミー (字幕版)
作品データ(映画.comより)
監督 ケビン・スミス
原題 Chasing Amy
製作年 1997年
製作国 アメリカ
配給 エース ピクチャーズ
上映時間 114分
ストーリー(映画.comより)
無二の親友同士のホールデン(ベン・アフレック)とバンキー(ジェイソン・リー)は共作したコミックが人気を呼んで、マンハッタン・コミック・フェアに招かれた。会場内でゲイの黒人漫画家フーパー(ドワイト・ユエル)からレズビアンの女性漫画家アリッサ(ジョーイ・ローレン・アダムス)を紹介される。ホールデンは彼女に一目惚れ。あっけらかんと女同士のセックスについて語るアリッサと奥手なホールデンは友達になった。ある晩、ホールデンは思わずアリッサに愛を告白する。一度は拒絶するが、とうとうホールデンを受け入れた。ひとり取り残されたバンキー。彼はゲイで、秘かにホールデンのことを愛していた。嫉妬にかられたバンキーはアリッサが学生時代、誰とでも寝る女だったということをホールデンに教えた。たまらず探りを入れたホールデンに、怒ったアリッサは大声でセックス・クイーンだっことをぶちまける。しばらくして、ホールデンはバンキーとアリッサを呼んで新しい3人の関係を提案した。アリッサのことは今も愛している。そして、実はバンキーが自分に惚れていることも……。何週間も悩んで考えた唯一の解決方法は、3人でセックスすることだった。バンキーは嫌々OKするが、アリッサは傷ついた。1年後のコミック・フェア、独立して売れっ子になったバンキーにホールデンが会いに来た。そして、隣のアリッサのブースの前に自作『エイミーを追いかけて』を置く。それはふたりの体験を描いた作品だった。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
もともと奥手だった男が一人の女性に出会って恋をする。
相手の女性はレズビアンで恋人もいるのだけれど、彼の好意を知っているのかわざとはぐらかしているのか、友だちになろうと言ってくる。
最初は彼女と一緒に過ごせるだけで十分だと思っていた彼だが、会うたびに彼女への気持ちは膨らむ一方で、彼女に思いを伝える。
断られたかと思ったが、彼女は彼の気持ちを受け入れてくれて、ついに結ばれる…。
と、ここで終わればハッピーエンドですが、彼の親友であり、仕事上のパートナーでもある(実は彼のことを恋しているが告白出来ないでいる)彼の友だちが、彼を奪われたと思い、彼女の過去を彼にぶちまける。
彼女の過去とは、レズビアンどころか、高校生の時にはだれのペニスでも差し出されればしゃぶるということで有名だったこと、男2人のペニスを同時にしゃぶったこともあるということ。
レズビアンだったから、処女だと思っていた彼には衝撃的で、彼女の男性経験は自分が初めてで、女性経験の乏しい自分でも彼女をリード出来ていると思っていた彼は彼女の過去を受け入れることが出来ない。
でも、なんとか受け入れようとし、彼と彼女、そして彼の親友(本人は隠しているつもりだけれど、彼に恋している)の3人でセックスしようと提案する。
それは、彼にとっても、彼女にとっても初めての経験になるし、親友の秘められた思いにも応えることが出来る。
彼にとっては、彼女の優位には立てなくても、対等な関係を築くための提案だったのだけれど、彼女にとっては、他の好きでもない男とセックスすることになり、とても受け入れられず、そんな提案を本気でしてくる彼との決別を決める。
この作品を観て、オスカー・ワイルドの言葉を思い出しました。
男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。
男がなぜ女性に処女性を求めるのかいうと、支配したいとか、独占したいとか、優位に立ちたいとかそういうことなのだろうと思います。
だから、過去の経験を知りたいと思うし、それを聞くことで嫉妬に駆られるとしても、自分が今支配している、独占している、ということを確認したいのだと思います。
もちろん、そんな支配欲だとか、独占欲だとかを露骨に表す人ばかりではないものの、やはり心のどこかでは気になってしまう、という、そのどうしようもなさ、がこの作品では描かれていました。
そして、そんな男の気持ちが理解出来ず、自分は今目の前にいる彼のことしか見ていないにも関わらず、なぜ彼は分かってくれないのか、という女性の気持ちも。
その男と女のすれ違いがとてもバランス良く描かれていた作品だと思います。