映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「色即ぜねれいしょん」

 小学校から考えると大学院まで18年間も学校というところに通っていたのですが、いつが一番良かったかというと、高校生の時でした。
 中学生は柔らかなスクールカーストのようなものがあったり、教員も生徒も男女という性別を過剰に意識していて、教師は何か自分たちに力があるかのように振る舞い、実際に「成績」や「内申点」(公立高校に進学する人にとっては死活問題だった)という力を使って、生徒たちを支配しようとしていました。

 そんな中学時代を過ごしていたので、高校は本当に楽で良かったです。
 男子校だったので、男女の性別を意識する人もおらず(その頃は女性の教員さえほとんどいなかった)、マイルドヤンキーみたいなのが文化系を軽く扱う傾向はあったし、噂ではイジメもあったもののスクールカーストみたいなものも感じませんでした。
 教員も何かしらの「力」を盾に支配しようとしてくることはなく、疑問に感じた点を聞きに行けば何度でも答えてくれました。
 また、服装や容姿に関しても特に制限はなく、髪の毛を染めようがTシャツと短パンで学校に行っても何も言われることはありませんでした。
 近年、どんどん校則が厳しくなっているという情況にあって(参照:校則:昔より今が厳しく 眉毛、下着の色…細かく規制 - 毎日新聞)、本当にあのときにあの高校で良かった、と実感しています。

 今回観た作品は、僕が高校を過ごした時代よりもっと前の1970年代の話ですが、主人公が通うのは僕と同じく宗教系学校で、男子校です。
 時代の懐かしさは同じではないし、全く違う宗教ではあるものの、男子校の自由な雰囲気、ヤンキーと文化系とが仲良くなる場面など懐かしさを感じるものでした。


色即ぜねれいしょん

 

作品データ映画.comより)
監督 田口トモロヲ
製作年 2009年
製作国 日本
配給 スタイルジャム
上映時間 114分

あらすじシネマトゥデイより)
1974年京都、仏教系男子校に通う高校生・乾純(渡辺大知)はボブ・ディランにあこがれロックな生き方を目指しつつも、幸せな家庭で何不自由ない平凡な日々を送っていた。そんなある日、同じ文科系の友人に旅に行こうと誘われる。夜行列車とフェリーを乗り継ぎ、浮かれ気分で隠岐島を訪れた彼らを待っていたのは……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 
この作品、とても良かったのは、主人公乾を演じる渡辺大知です。
 僕が渡辺大知の演技を初めて観たのは「毒島ゆり子のせきらら日記」が初めてだったのですが、そのときもとても印象に残りました。
 ロックバンド・黒猫チェルシーのボーカルなので歌が上手なのはもちろんのこと、毒島が二股三股を繰り返すのをじっと耐えながら、いつか自分だけを思ってくれる時を願う柔和だけれども実は芯の強い人物をとても上手に演じていました。

 その渡辺大知の初主演映画がこの作品とのことで、今回の作品は高校1年生の役で、線の細さや白い肌は、高校生でも通用すると思うものの、1年生ではなく3年生かなという感じでしたが、役柄にぴったりはまっていました。
 彼女が欲しいけれど、男子校なので学校では出会いはもちろんなく、家に帰って悶々とした思いを歌にすることで消化していく。

 初めての夏休み、中学生よりは自由になり、世界が広がったとしてもまだまだ自宅と学校くらいまでのことしか知らない高校生が、初めての冒険に出る。
 冒険に出る理由は何でも良いのですが、「フリーセックスの島がある」というのは、1970年代という時代を反映していますが、同時に男子高校生にありがちな発想でリアリティがありました。

 初めて自分と友だちだけで旅行に出かけ、そこでいろんな人たちに出会う。
 年上の女性や出会った大人によって、少しずつ、世界が広がっていく。
 出会いと別れを繰り返してきたわけではないので、一つ一つの出会いと別れが強烈に残っていく。

 その少し知ることが出来た世界の広がりから、日常である学校生活も少しずつ変化していくし、自分でも少しずつ変化させていく。
 うまくいくことも、うまくいかないこともあるけれど、その少しずつ世界が広いことを知っていき、その知った世界の広がりを日常に転嫁させていくという様子が、1970年代だったり、男子校だったりということを抜きに、高校生の青春という普遍的な物語を描いているように感じました。

 かつて自分もあったそんなときを肯定出来るからこそ、今というこの時も肯定出来る、そんな今生きることを勇気づけられる作品でした。