映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

水島広子『対人関係療法でなおす うつ病』

 先日書いた細川貂々さんと水島広子さんの『それでいい。』という、対人関係療法についての本、日本では保険適用ではないのですが、認知行動療法のように、うつ病に対する精神療法として、確固たる研究結果と実践に基づくものだということが書かれていました。
 『それでいい。』では、貂々さんのネガティブな性格をどうにかしたい、ということで相談に行くという形で書かれ、治療ということではなく、カウンセリングのような形で、うつ病に限らず、「自分はネガティブな性格だ」と考えている多くの人を対象にしたものになっていました。

 それはそれでわかりやすく、うつ病のひどいときなどは活字を読めなくなるので、本当に助かったと思いますが、僕としてはカウンセリングではなく、治療法としてもう少し詳しく知りたいと思いました。
 基本的に病院にかかると薬物治療がメインになるので、認知行動療法もそうですが、精神療法は受けたくてもなかなか受けられる場がなく、まして対人関係療法は保険適用外なので、セルフケアが出来れば、と考えたからです。

 


対人関係療法でなおす うつ病 病気の理解から対処法、ケアのポイントまで Kindle版

 

 セルフケアに役立てば、と思ったと書きましたが、版元の紹介ページでは、セルフヘルプというカテゴリーになっていて、対人関係療法シリーズとして、うつ病の他、社交不安障害、双極性障害など、テーマや症例別に出版されている本が紹介されていました。

商品詳細 - 対人関係療法でなおす うつ病 - 創元社

 本の内容ですが、『それでいい。』と基本的に述べられている趣旨は変わりません。
 わかりやすさを求めていたり、身近な人がうつ病になり、何かしたいけれど、どうしたら良いのかよく分からない、という人には『それでいい。』で十分かも知れません。

 では、『それでいい。』との違いは何かというと、タイトルに「対人関係療法でなおすうつ病」とあるように、うつ病に特化しているところです。
 そもそも病気というのはどういう状態なのか(これは『それでいい。』でも書かれていました)、うつ病はどのようにして発症するのか、うつ病といっても慢性うつ病躁うつ病とは同じなのか違うのかなど、それらをわかりやすく整理した上で、具体的な症状から、治療法が述べられています。
 たとえば病気ということについて以下のように書かれています。

病気とは何でしょうか。おおざっぱな考え方として、病気とは、「なるかならないかを自分で選べないもの」「どんな症状が出るかを自分で選べないもの」「本人にとって基本的に苦しいもの」と考えるのがわかりやすいと思います。

 

 この「自分で選べない」「基本的に苦しいもの」という指摘は何回か書かれています。
 それはなぜかと考えると、うつ病を患う人にとっても、その周りの人にとっても、「それがうつ病の症状なのか、わからなくなる」ということがあるからなのだと思います。
 自分がこんなにも絶望的な気持ちになるのは、不安になるのは、単に心配性だからなのではないか、周りの人も長く同じような状態にある人に接していると、もはや病気ではなく、本人の性格に問題があるのではないかと捉えてしまうことがある。
 だからこそ、何回も病気の症状なのかどうかということを本人にも周りの人にも分かるように、一度立ち止まって考えられるように指摘されているのだと思います。

 僕にとって、この本がとても良かったのは、対人関係療法で扱ううつ病の問題領域が具体的にわかりやすく整理されていたことです。

4つの問題領域
悲哀(重要な人の死を十分に悲しめていない)
役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)
役割の変化(生活上の変化にうまく適応できていない)
対人関係の欠如(上の3つの問題領域のいずれにもあてはまらない=親しい関係がない) 

 
 これら4つの問題領域について、具体例を用いながら、どのようなを診療を行っていくのかが書かれていました。
 この箇所を読むことによって、僕が今回なぜうつ病を発症したのか、そして、うつ病は再発を繰り返す度に再発の可能性が高いと言われる中で、前回のうつ病と今回のうつ病がどう違ったのか、前回と今回のうつ病の違いを明確に理解することが出来ました。

 度々このブログでは触れていることですが、今回のうつ病で僕にとって大きかったのは、やはり「役割をめぐる不一致(重要な人との不一致)」でした。
 「役割の変化(生活上の変化にうまく適応できていない)」ということもあったとは思いますが、それ自体はなんとか「病気」には至らずにいましたが、僕にとって最も重要な人物であった元配偶者との「役割をめぐる不一致」が発病させたということが自分の中でも整理して理解することが出来ました。

「重要な他者」との親しい関係は、人間の心の健康を守るために大きな役割を果たしているものです。「重要な他者」との関係が損なわれるとうつ病などの病気が起こりますし、病気になると「重要な他者」との関係の質も変わります。


 配偶者との対人関係が精神状態に大きな影響を与えることは、この本の中でも触れられているホルムズとレイによる「変化に適応するためのストレス」からも知っていたのですが、その断片的な知識が自分のうつ病とはうまく結びつけられていませんでした。

 この本では単に、うつ病にどのような要因でなったのかということだけでなく、4つの問題領域それぞれに対してのアプローチを具体的に書かれています。
 僕自身も問題が明確になったので、そこに書かれている具体的なアプローチをした方が、病気を回復させるためにもいいのでしょうが、僕の場合はそれは出来ません。
 病気を回復させるためにはこの本に書かれていることをする方がいいことは分かってはいても、どうしてもそれが出来ない場合にはどうしたらいいのかも書かれていたら、尚良かったかな、と思います。

 他の良かった点を上げれば切りがないのですが、僕にとって一番良かったのは、『それでいい。』と同様に、対人関係療法の基本的な人間観です。

 

 うつ病は必然の結果として起こってくるものです。幸せに暮らしていたのに、何のきっかけもなくある日突然うつ病になる、ということはあり得ません。本書で述べてきたようないろいろなきっかけがあって起こってくる病気です。
 ですから、「うつ病にさえならなければ自分の人生は充実していたはずなのに」という考え方はやめましょう。それはあり得なかった選択肢なのです。なぜかと言うと、うつ病は、自分を守るためのセンサーだと考えられるからです。これ以上現状を続けると命は保証しませんよ、ということを教えてくれるものなのです。


 前回うつ病になってから、僕は何年もあのときうつ病にならなければ、うつ病になるような経験が起きなければと考えてきました。
 その思いから逃れることは出来ませんでした。
 けれど、今回のうつ病もそうですが、そこには原因があって、それは命の危険があり、だからこそうつ病という形で心身のセンサーが働いた。
 まだ今もたまに起きる、あのとき死んでいればこんな苦しい目にも遭わなくて済んだ、という気持ちが完全になくなることはないものの、「うつ病は病気だから必ず治る」「病気は自分では選べないし、基本的に苦しい」「うつ病には原因がある」と、精神論ではなく、根拠と論理をもって述べられていることが、納得するだけでなく、勇気づけられるというか、まだ生きていても良いのかも知れない、という気持ちにさせてもらいました。

 「役割をめぐる不一致」に対して僕が今から出来ることは、発病の要因になった元配偶者との関係でこの本に書かれていることを行っていくことではなく、今後の対人関係で、うつ病の発症となる傾向が分かったことを生かしていくことなのだと思います。
 それは例えば、この本で書かれている、一週間に一回は必ず話し合いの時間を持つことや、沈黙するのではなく、沈黙してしまうのならば、文字にして伝えるということで、それを念頭に置きながら生活していくだけで、今の状態も、また快復後の再発を予防にも大きな力を持ってくると思います。

 最後に、この本の中で一番重要だと思った言葉を引用します。

 自殺願望という症状は、絶望感と最も関連するものです。ですから、症状を理解するときに「死ぬ」「死なない」というところだけにこだわるのではなく、「それほど希望が持てない辛い状態なのだ」というところを理解してあげてください。

 
 前回のうつ病の時、僕が信頼していた人たちに、この「辛い状態」にいる、ということを理解してもらえませんでした(理解してもらえたとは感じられませんでした)。
 今回のうつ病では、最も「重要な他者」である元配偶者は理解出来ないのではなく、そもそも理解しようともしませんでした。
 だからこそ、この本の中に書いてあるようなうつ病発症の要因となった問題に対してのアプローチを僕が取ることはないのですが、もし、身近にうつ病の人がいたら、まずはその人が「辛い状態」にいることを知って欲しいと思います。
 「辛い状態」にある人ということを分かっているかどうかだけで、自分のその人への接し方は全く違うものになると僕は思います。