映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

パートナーとして一番大切なこと

 最近、ちょっと具合が悪いです。
 身体の具合が悪いと心も弱り、心が弱ると身体も弱り、どっちが鶏の卵なのかわかりませんが、とりあえず具合が悪いです。
 こんなとき、やっぱり、誰か支えてくれる人がいると良いな、と痛感します。

 さて、度々触れている好きなコラムニストのアルテイシアさんが書いているコラムで、パートナー選びやパートナーとの生活を「病めるときベース」で考えてみる、ということがあげられています。

www.huffingtonpost.jp


 キリスト教式の結婚式をすると、「その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、 悲しみのときも(略)誓いますか。」というようなことを聞かれます。
 キリスト教式で結婚式をした人はそのときに誓ってるはずですが、実際は病めるときも一緒に生きていく、というのは中々大変です。

 僕はうつ病になり、それで元配偶者に家から追い出されましたが、実際、うつ病で離婚という話はよく聞きます(調査があるかなと調べてみましたが、管見の限りでは出てきませんでした)。
 日本の法律的には、相手の病気だけを理由に離婚は出来ないので、働けなくなり、家でだらだらしているように感じ、医療費もかかり、関係が劣悪になる、という過程を経て離婚に至るのでしょうが、いかに病んでいる人と一緒にいることが難しいかを物語っているように感じます。

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 僕が結婚していた相手は、とても健康な人でした。
 風邪を引いていて高熱が出ていても「とんかつを食べたい」と言ったという学生時代のエピソードがあったり、結婚生活中も、生理中や妊娠のつわりもひどくなく、産後の肥立ちもよく、始終寝込んでいるということは見たことがありません。
 風邪を引くこともほとんどなく、ちょっと熱がある、と言った時には早めに寝ていれば、次の日にはもう大丈夫になっているような人でした。

 僕はといえば大学時代に入院するような病気になったり、1度体調を崩せば1ヶ月くらいは体調が回復しなかったり、病弱とは言わなくても、そこまで身体が強くありません。
 小学生の時もよく熱を出していた記憶があります。
 20代後半で最初のうつ病を発症し、その後1度回復したものの、それ以降は特に自分の体調と向き合う日が続いてきました。

 なので、特に健康な身体を持っている元配偶者には、僕のように心身が快適な情況というものがほぼない生活を送っている人の気持ちや具合というものは、想像も理解も出来なかったのでしょう。
 元配偶者からすれば、「眠れていない」というのは大したことではなく、眠れていないことで、身体が重く、やろうと思っていることも十分に出来ず、イライラしてしまい、そのイライラと後悔でさらに眠れなくなる、ということも全く理解出来なかったのでしょう。
 
 相手が弱っているときにそれを受け入れられるか、支えられるか、あるいは自分が弱っているときに受け入れてもらえるか、支えてもらえるかという点は、やはり生きていく上で、パートナーとしては一番大切なことなのだと思います。

 僕の場合はうつ病でしたが、明確な「病気」ではなくても、例えば誰かの介護が必要になり、自分がやるしかなく、大変な状態になることがあるときに、それをパートナーとして受け入れ、支えることが出来るか。
 子どもを妊娠し、つわりで苦しんでいるパートナーを受け入れ、支えることが出来るか。
 出産後に授乳させるだけで精一杯の女性を受け入れ、支えることが出来るか。
 あるいは、突然の病気や事故で苦しんでいるパートナーを受け入れ、支えることが出来るか。

 恋人同士やたまに会う友人くらいの関係だと、会うときは基本的に健康な時なので、「健康なとき」ベースで相手のことを知ります。
 けれど、一番大切なのは、自分が「病んでいるとき」、あるいは相手が「病んでいるとき」、それを受け入れ、支えることが出来るかです。

 実際に病んでいる人を支えるのは大変です。
 ある友人とうつ病を患っている共通の友人のことについて話題が上ったとき、「家に帰って鬱々としている人間がいたら嫌だな」と言っていたことがあります。
 すごく良い奴なんだけど、良い奴だってのは分かってるんだけど、ということが分かった上でしたし、批判しているわけでも悪意があるわけでもなかったので、余計に僕はショックを受けたのですが、うつ病を患っている人と暮らしたことがない人から見てもそう感じるのなら、実際に一緒に暮らす人は大変なのだろうな、と思います。

 何も出来なくなって、布団から出られなくなり、ちょっと回復してきたと思ったら、始終イライラしていたり、自殺しようとする。
 育児なら終わりの期間も見えますが、いつ終わるかも、良くなるのかも分からない情況で、それを受け入れ、支えるのは本当に大変だろうと思います。
 けれど、だからこそ、1度でも構わないので真剣に、相手が弱っているとき、病んでいるときでも受け入れることが出来るか、支えることが出来るかを考え、覚悟しておくことが必要だと思います。

 僕の場合は、結婚式で牧師の前で誓っていたはずなのですが、元配偶者は覚悟などしていなかったようで、僕が「病んでいる」ということを受け入れることも支えることも拒否しましたが、ある意味、「病んでいるとき」を受け入れない相手はパートナーになり得るはずもないので、明確になって良かったのかもしれない、という気もしています。