「ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ」
前回の「三度目の殺人」に続き、観たいと思ってチェックしていた作品がAmazonプライム対象になったので早速観てみました。
ちなみに観たいと思った理由は、ラジオ番組のたまむすびで映画評論家の町山智浩さんが紹介していたからです。
(町山智浩『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』を語る)
ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ
映画『ビッグ・シック』公式サイト
作品データ(映画.comより)
監督マイケル・ショウォルター
原題 The Big Sick
製作年 2017年
製作国 アメリカ
配給 ギャガ
上映時間 120分
映倫区分 G
ストーリー(公式サイトより要約)
今日もシカゴのコメディクラブで、生まれ故郷のパキスタンネタで、笑いを取る駆け出しのコメディアンのクメイル(クメイル・ナンジアニ)。両親からは弁護士になれと迫られているが、ウーバーの運転手もしながら何とか暮らしている。ある夜、舞台に向けて歓声を上げた若い女性に、声をかけるクメイル。彼女の名はエミリー(ゾーイ・カザン)、セラピストを目指して心理学を学んでいる大学院生だ。二人は会うたびに惹かれ合っていくが、クメイルにはエミリーには言えない“家族のオキテ”があった。
厳格なイスラム教徒の両親は、パキスタン人との見合い結婚しか認めない。ある日、エミリーから真剣な想いを告白されるクメイル。さらに、彼女の両親とのランチに誘われたクメイルは、とっさにジョークのはずの「連続2日以上女性と会ってはいけない」という“2日ルール”を持ち出して断ってしまう。そんな中、別れは突然にやって来た。
数日後、エミリーの同級生から電話がかかって来る。重病で入院したエミリーに、付き添ってくれと言うのだ。家族の代わりにクメイルがサインをすると、エミリーは治療のための処置として昏睡状態にされる。翌朝、エミリーの父親テリー(レイ・ロマノ)と母親のベス(ホリー・ハンター)が駆けつけるが、別れるまでの経緯をすべて娘から聞いていた両親は、クメイルに冷たく当たる。
やがて同じ人の無事を願う3人に、温かな絆が生まれていく。だが、エミリーの病状は日に日に悪化し、遂には命に危険が及ぶ。未だ売れるチャンスは掴めないが、笑うことが大好きで、コメディアンとして成功する夢を応援してくれたエミリーのためにも、ステージに立ち続けるクメイル。果たしてエミリーは目覚めることが出来るのか? もし、二人の関係が元に戻れたとしても、クメイルの両親を説得できるのか? トラブルの山はまだまだ続く──。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★
感想
すごく良かったです。
主人公クメイルを演じているは、クメイル・ナンジアニという、アメリカのコメディアンで、彼の実話を元にしている内容になっています。
良かった点としては、クメイルの両親はアメリカへの移民第一世代で、自分たちの民族的・宗教的アイデンティティを保つためにも子どもたちにもそれを要求しているけれど、クメイルら第二世代にとっては、民族や宗教というものは「アメリカ」というものを前提にしていて、両親との間で齟齬が出来ている、ということを描いていることです。
第一世代は、タクシー運転手などから必死に働き、ITや医師などの富裕・知識層にまで上り詰め、築き上げた現在があって、その苦労を知っているからこそ第二世代も正面からは反発しない。
けれども、アメリカ人として育った第二世代はすでに金銭的にも満たされていて、自分のやりたいことをやりたい、という気持ちも持っている。
その両親ら移民第一世代とクメイルら第二世代とのギャップを描きつつも、自分たちはアメリカ人であると思っているにも関わらず、周囲の白人たちからは「ISISへ帰れ!」と言われるようなこともある。
家族とも自分が何人であるか、というアイデンティティにギャップがあるだけでなく、アメリカ人であるというアイデンティティさえも、実は否定されてしまうという、第二世代の抱えている「ビッグ・シック」をうまく描き出していると感じました。
「ビッグ・シック」というタイトルは第一義的にはクメイルの恋人であるエミリーが突如襲われて昏睡状態にまでなってしまう病気を指しているのですが、彼女と彼女の両親(白人)に向き合い、両親とも向き合って苦しんでいく様子、あるいは、クメイルらに苦しませるアメリカ社会のことをビッグ・シックと呼んでいるようにも感じました。
また、昏睡状態から目覚めたエミリーがクメイルの気持ちを最初受け入れなかったのもとてもリアルに感じました。
「あなたはこの数週間でいろんな経験をしていろんなことを考えて、変わったのかも知れないけれど、私は寝ていて目覚めただけで、何も変わっていない」というようなことをエミリーは言います。
闘病を支える家族やクメイルにとってはいろんなことを決断し、考え、経験する時間だったとしても、昏睡状態にあった本人からすれば、寝て起きただけです。
その違いを安易に飛び越えることなく、曖昧なままにすることなく、私は経験をしていないから受け入れられない、ということをはっきりと言う場面が描かれていたことがとても良かったです。