映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「の・ようなもの のようなもの」

 少し前に観た「の・ようなもの」のオマージュ作品です。
 「の・ようなもの」は 森田芳光監督作品ですが、森田監督が2011年に亡くなっているので、この作品は続編という位置づけではなく、「の・ようなもの」から着想を得て、35年後を描いた作品となっています。


の・ようなもの のようなもの

 

youtu.be

 

作品データ映画.comより)
監督 杉山泰一
製作年 2016年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 95分
映倫区分 G

あらすじシネマトゥデイより)
東京の下町、師匠・出船亭志ん米(尾藤イサオ)の自宅に住み込み落語の修行に明け暮れる出船亭志ん田(しんでん、松山ケンイチ)は、ある日かつて一門に在籍していた志ん魚(しんとと、伊藤克信)を捜してほしいと師匠から頼まれる。志ん魚の消息を求めて師匠の弟弟子・志ん水(でんでん)や昔の門下生たちを訪ね回るが、手掛かりをつかめずにいた。やがて志ん米の娘・夕美(北川景子)も志ん魚捜しを手伝うことになり……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆

感想
 「の・ようなもの」の35年後を描いた作品ということで、「の・ようなもの」で主人公だった志ん魚(伊藤克信)、兄弟子志ん米(尾藤イサオ)、志ん水(でんでん)、近所の主婦として登場していた内海桂子が出演しています。
 出演している役者たちだけでなく、物語の舞台も「の・ようなもの」と同じ谷中なので、「の・ようなもの」の世界観や雰囲気をうまく引き継いでいると思いました。

 けれど、「の・ようなもの」では、落語家として駆け出しだった志ん魚がエリザベスと由美という2人の女性に出会い、揺れ動く姿を描いていましたが、この「の・ようなもの のようなもの」では、落語の世界から離れていた志ん魚を見つけ出し、彼が創った落語を披露するという、落語が中心となった物語になっています。

 なので、世界観や雰囲気は「の・ようなもの」を引き継いでいるものの、あくまでも今回の作品の中心が落語になっているので、「の・ようなもの」のような、駆け出しの若者が女性たち(じゃなくても良いですが)の間で揺れ動き、結局何もかも逃してしまうというような人間関係の機微は描かれません。

 志ん米の娘夕美(北川景子)と志ん米の内弟子志ん田(松山ケンイチ)の友情のようなものは描かれていますが、表面をなぞられているだけのような感じでした。
 落語を中心とする話にするなら、「の・ようなもの」の世界観と役者を引き継ぐのではなく、「の・ようなもの」とは全く違う、関係のない、話にしても良かったのではないかな、と思います。