映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

筒井大志『ぼくたちは勉強ができない』

 いつも(ラジオクラウドで)聞いているラジオ番組、荻上チキさんのSession-22、ちょっと久しぶりに、漫画の紹介がされていました。
 チキさんと僕はほぼ同世代なのですが、番組中でチキさんと番組パートナーの南部広美さんがおっしゃっていたように、少年週刊ジャンプの漫画は小学生から高校までくらいは読んでいたけれど(ONE PIECEでいうと20巻目くらいまで)、それ以降ほぼ触れることもなくなっていました。
 少年週刊ジャンプの漫画は久しく読んでいないな、と思い、紹介の中で気になったこの作品の2巻までを手に取ってみました(13巻まで出ているようですが)。
 

www.tbsradio.jp

 


ぼくたちは勉強ができない 1 (ジャンプコミックス)

 

『ぼくたちは勉強ができない』|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト

 

ストーリー(公式サイトより)
マジカルパティシエ小咲ちゃん!!」の筒井先生が描く新作ラブコメ!!
大学推薦を狙う高校3年生の唯我成幸は、なぜか天才美少女の文乃と理珠の教育係を任される。完全無欠に見えた二人だが実は意外な悩みを抱えていて...!?

感想
 13巻まで出ている作品を読み始めるというのは結構勇気のいる行為だったのですが(面白かったら続きを買ってしまうため=お金がかかる)、それでも読んでみようと思ったのは、一つの分野では突出した才能があり、成績を残せるけれど、本人はそれが本当にやりたいことではなく、そのやりたいことは、まるで勉強が出来ない=成績が悪いという話だという紹介だったからです。

 本人にはやりたいことがある。
 けれど、周りの人たちは、あなたには特別な才能があるのだから、(本人が望んでいない)そっちの才能を伸ばすべきだと勧める。

 この作品を読んで思い出したのが、朝日新聞の朝刊に載っている折々のことばに紹介されていたこの言葉です。

 

digital.asahi.com

 
 固い話になってしまいますが、今の学問体系は、神学から出発しています。
 近代の大学が出来たとき、専科は、医学、神学(哲学、数学も含む)、法学でした。
 (キリスト教を前提とした)神がこの世界を作り、その神が作った「法則」を解き明かそうとしたのが近代学問の成り立ちです。
 だから、理系や文系という言葉を使いますが、僕はその言葉にとても疑問を持っていて、アインシュタインスティーブン・ホーキングら、いわゆる「理系」で突出した才能や実績を残した人たちも多くの「宗教的」なことを語っています。

 作品に話を戻すと、一つの突出した才能を発揮することはもちろん大切だと思うのですが、それ以外も必要だということです。
 全く関係がないというような分野のことを「理系」や「文系」という言葉で区切るのではなく、とりあえず興味を持って学んでみる。
 そうすると、周りの人だけでなく、自分でも全く想像もしていなかったところへ到達することがあると思うのです。

 少年週刊ジャンプ連載なので、「勉強法」みたいな部分もあるのですが、「興味のあるものをとりあえずチャレンジする」ことの大切さを改めて実感しました。