映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「言葉」の学び直し

 なんだか、多くの人が暇になってきたからか(時間が出来たからか)、それともそれに伴ってストレスが過多になっているからか、過激な言葉や表現が目につくようになりました。
 また、在宅勤務(テレワーク)も進んだ影響で、「文脈以前に言葉そのものが伝わらねぇ」と思うことが増え、僕自身のストレスも増えました。
 ということで、いっそ、この際、日本語を学び直そうと思いました。
 で、どうしたのかというと、紙の広辞苑を買いました。 

 


広辞苑 第七版

 

『広辞苑 第七版』 - 岩波書店


内容案内(PDFリンク)

 僕は電子辞書を持っているので、そこには第六版の広辞苑が入っているのですが、紙の広辞苑(めちゃくちゃ高いけど)を買って良かったです。
 すごく楽しいです。

 その楽しさには、いろんな意味があって、シンプルに「紙」ということ、触れることが出来るということがあります。
 そして、もう一つはぱっと開いたところで思わぬ言葉が出てくることです。

 今、ぱっと開いてみたら、「しんり」というページ(1530頁)になりました。
 そこで最初に載っているのは「心理」という言葉の説明です。
 そこにはこう書いてあります。

 

①心の働き。意識の状態または現象。行動によって捉えられる心的過程をも指す。
②心理学の略。


 このように載っていました。
 じゃあ、「『心』って何?」と思った僕は「心」のページを開きます。
 そこには、こう載っています。

 

(猛禽などの臓腑の姿を見て「こ(凝)る」または「ここる」といったのが語源か。転じて、人間の内臓の通称となり、更に精神の意味に転じた)
①人間の精神作用のもとになるもの。また、その作用。(以下略)


 今回たまたま「心」に行き当たりましたが、最初に調べた言葉は【不幸】というものでした。
 そこから【幸せ】に移動し、【心】に行き当たりました。
 で、広辞苑を持っている人は是非【心】の箇所を読んでいただきたいのですが、上に書いた箇所だけで既にかなり曖昧です。

 なんだ、結局「言葉」も「誰か」、というか、「多くの人」が認識しているものであって、移ろうもの、定まっていないものなのだということを知って、なんだか安心しました。

 「あれっ?結局人間って使ってる言葉はかなり適当なんだ」と知ることが出来ました。
 ついつい、「言葉が伝わらねぇ」とイライラしてしまいがちでしたが、紙の広辞苑を開くことによって、「そもそも言葉は曖昧である」ということを知ることが出来て良かったです。
 (ちなみに、広辞苑の紙の「匂い」は僕の好きな紙の匂いではないので、それが理由で、広辞苑を開くのをためらってしまいますが…)