映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

渡辺憲司『生きるために本当に大切なこと』

 ある日、ふとネットでこのニュースが表示されました。

mainichi.jp


 ここに写っているのはよく見覚えのある顔で、母校(大学)の学部の名物教授であり、その後母校(高校)の校長になった渡辺憲司先生です。
 学部では同じ文学部にいたものの、僕自身は大学で渡辺先生の授業は受けたことがないのですが(渡辺先生は当時日本文学科教授で僕は別の学科)、母が母校(大学)でパートとして働いていた際には母も接する機会があったとのことで、直接お話したことはほぼありませんが僕の中ではとても親近感のある大学の先生です。
 さらに、2011年の東日本大震災の際に学校HPに掲載した文章(「時に海を見よ」と題された訓示(卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。))もネットで反響があり、「さすが自由の学府」だな、と高校、大学の一卒業生として(特に自分自身は何もしていないものの)誇らしくさえ感じました。

 で、記事によるとその渡辺先生が本を出したということで、文庫だったので、読んでみることにしました。


生きるために本当に大切なこと (角川文庫)

 

 生きるために本当に大切なこと 渡辺 憲司:文庫 | KADOKAWA

 

内容KADOKAWAより)
僕たちは、未来をどう生きるか。今、本当のやさしさが求められている。
立教大学名誉教授、自由学園最高学部学部長、元立教新座中学校・高等学校校長の渡辺憲司は、2011年3月、立教新座高等学校の卒業式が中止となり、卒業生へのメッセージをインターネット上に公開した。TwitterをはじめネットやSNSで話題となり、3月16日の一日だけで30万ページビュー、合計で80万回以上の接続数を記録。その力強く優しいメッセージに老若男女が感動した。2020年3月、自由学園最高学部長ブログ146回「今本当のやさしさが問われている コロナ対策に向けて」が再び話題に。本書は当時のメッセージを再録しブログ原稿を採録、書下ろしを加えて再編成した。混迷の時代に、生きることの意味を問う、多くの気づきと自信を与えてくれる人生哲学書

感想
 自由学園最高学部長をしていることは知っていたものの(この3月で退職)、「今本当のやさしさが問われている コロナ対策に向けて」が話題になっていたことは知りませんでした。
 この本に収められているのは高校や自由学園最高学部長として書いていたブログを元に構成されていて、期間にするとおよそ10年間に書かれたものになります。

 東日本大震災から始まり、昨年からのコロナ禍を反映したものが書かれており、更に、江戸吉原の研究者でもある先生の専門分野に触れたものも多くあります。
 また、母校(高校)の校長はクリスチャンコード(クリスチャンじゃないと校長になれない)があったので、高校の校長に就任したということを聞いた時、「クリスチャンだったの?」と初めて先生がクリスチャンだったことを知ったのですが、キリスト教に触れた話もありました。

 今まで全くキリスト教の話を聞いたことがなかったので(話題を呼んだ訓辞でも特にキリスト教には触れられていません)、この本を読んで初めて渡辺先生からキリスト教の話を聞いたというか読みました。
 それがなんというか人柄を知っていると(ブラタモリに出演したこともあるので、それを観ると少しは伝わるかと思います)、なんとなくにやついてしまいつつも(愛とか説いてるので…)、とても新鮮な気持ちで読みました。

 僕が通った高校は本当に自由で、制服の着用義務もなく、基本的に「法律を犯さなければ良い」みたいな感じでした(注:20年近く前の話です)。
 なので、僕は暑くなるとハーフパンツとTシャツで学校に通い、寒くなってくると洋服を選ぶのが面倒なので学ランを着て行き、髪の毛を染めたり、ピアスをしていた時もあります。
 その高校3年間の間に与えられた「自由」というものが(まぁ、単位は取らないといけないので全くの自由というわけではないのですが)、とても居心地の良いものだったし、だからこそ、「責任」というものも感じることができ(基本的に放っておかれるので、やらなければ、そのままドロップアウトすることになり、実際にそういう奴や校内でタバコを吸っているのを見つかり停学になったりする奴や大学進学出来ない奴がいた)、担任からは「就職出来ないぞ」と言われるような学科に進学する選択が出来ました。

 渡辺先生の文章はその高校の時に感じたことを思い起こさせるような、そんな懐かしさを感じつつ、今こうして今の仕事を辞めることが決まり、どう生きていこうかと考えているときに、さて、どう生きていこうか、と考える時の杖(道しるべにはならないけれど、支えられ、どっちに行こうか迷ったら杖を倒して進む道を決めるような感じです)のように感じられました。