映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「しあわせはどこにある」

 一緒にいても不幸になるということだけは分かるので、元配偶者とやり直したいという気持ちは全くないのですが、自分にとって幸せとはなんなのか、ということを時々考えます。
 安定した職に就いてもおらず、同級生たちの稼ぎの3分の1も稼いでいませんが、誰かを養わなければならないということもなく、こうして映画を沢山観たり、本を読む時間があるので、これはこれで良いかも、という気持ちです。

 家族と一緒に住んでいた場所は都心で、博物館や美術館だったり、映画館にも近く、山に行くにしてもハブの駅へのアクセスが良く、設備面でも床暖房があったり、浴室乾燥が出来たり、キッチンも三口で使いやすいものでした。
 家から追い出されたすぐの時こそ、家賃の安さだけで選んだ物件だったので、「都落ち」のような感覚になりましたが、家族もおらず、料理を作るには必要だったコンロも一人だと使うことはなく、洗濯も毎日複数回していたのが、数日に1回になったので、浴室乾燥もいらない生活になりました。
 あとは美術館や映画館、そして山に行くときのアクセスだけはやっぱり都心だと便利だと思うものの、今と同じレベルの家を都心で探すと3倍くらいになるので、そのためにあくせく働くことを考えると、それは勘弁、という感じです。
 
 家事・育児をすることもなくなり、誰かを養ったり家を維持するためにお金を沢山稼ぐ必要もなく、その分の時間で映画を観たり、本を読む時間があって、これはこれでなかなか良いのではないかとも思っています。
 けれど、この生活が幸せか、と聞かれると、よく分かりません。

 30半ばの中年が何言ってんだか、という感じかも知れませんが、今回の作品は、中年の男性が「しあわせ」を考えて旅に出る映画です。
 


しあわせはどこにある(字幕版)

 
作品データ映画.comより)
監督 ピーター・チェルソム
原題 Hector and the Search for Happiness
製作年 2014年
製作国 イギリス・ドイツ・カナダ・南アフリカ合作
配給 トランスフォーマー
上映時間 119分
映倫区分 G

あらすじシネマトゥデイより)
美貌の恋人クララ(ロザムンド・パイク)と一緒にロンドンで満ち足りた日々を過ごす精神科医のヘクター(サイモン・ペッグ)は、自分を不幸だと思い込む患者たちの話を聞き続けるうちに、自身が幸せを感じられなくなってしまう。充実しているはずなのに自分の人生がつまらなく思えてきた彼は、幸せのヒントを求めて中国、チベット、アフリカなどを巡る旅に出るが……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 
精神科医をしているヘクターは、毎日同じペースの整った生活をしていました。
 恋人のクララが同じ時間に起こしてくれ、クララが作ってくれた同じ朝食を取り、同じ曜日の同じ時間に訪れる馴染みの患者たち。
 患者たちの話も大体決まっていて、ヘクターも大体同じ返答をする。

 そんな生活に不満もなく過ごしていたけれど、あるとき、患者である占い師の女性に自分がいつも適当に過ごしていることを含め、満ち足りていないことを言い当てられてしまう。
 そして、その女性の助言もあり、クララを残して一人旅に出る。

 旅の行き先で出会う人はとても魅力的ですし、その場所もそれぞれとても良いのですが、物語としては、チルチルとミチルが幸せを探して旅をする「青い鳥」の現代版です。
 その旅の後でヘクターが見つけ出す結論も目新しいものはないかも知れません。

 けれど、僕がとても良いな、と思ったのは、ヘクターが出会った人たちの「しあわせとは?」との質問への答えや、ヘクターが感じたり、考えたりした内容が書かれるクララからこっそりプレゼントされた旅の手帳です。
 ヘクターはその手帳に絵を描いたり、出会った人たちの「しあわせとは?」という質問への答えが書かれるのですが、特に2つの言葉が印象に残りました。
 

9. “Happiness is being loved for who you are.”
しあわせとはそのままの自分を愛されること

 

 14."Listening is loving."
聴くことは愛すること

 
 14の「聴くことは愛すること」は精神科医であるヘクターだからこそ書かれた内容なのかも知れませんが、シンプルだけれどもとても印象に残る言葉でした。
 9の「しあわせとはそのままの自分を愛されること」はどこかで聞いたことのあるような言葉ですが、改めてすごく大切なことだと思います。

 ヘクターが旅の手帳に書いた「しあわせ」は14あり、その中でも、この2つの言葉が僕の心に残ったということは、僕自身がお金やモノを得ることに幸せを感じているわけではないこと、そして、この2つを望んでいるのだろう、ということを明らかにしてくれたように思います。
 誰かにそのままの自分を大切にして欲しいと思っているし、誰かの話を聴きたいな、と。

 観た人がどの言葉が印象に残ったのかを考えるだけで、自分にとって何が大切なのか、何が幸せにつながるのかを知ることが出来る、それこそがこの作品の良さなのかと思います。

細川貂々、水島広子『それでいい。』

 医師から突然、薬を飲まなくても良いと言われ不安になっていたからか、 ある本が目に留まりました。
 (目に留まるとは言っても、そもそもAmazonで表示されたので、類似本を買っていた履歴があることや、そのとき類似本を見ていたということなのですが)


それでいい。:自分を認めてラクになる対人関係入門 Kindle版


 以前にもうつ病になったことがあるので、僕自身原作を読んだことがあり、TVドラマになったり、映画にもなった『ツレがうつになりまして』(ツレうつ)作者の細川貂々さんが書いた本です。
 ちょっと見返してみたら、貂々さんの本は今まで14冊読んだことがありました。
 ツレうつのようなパートナーの様子を綴ったものではなく、うつの専門家に聞きに行った本子育てに関する本不眠の本など自分の予想以上に沢山の本を読んでいました。

 貂々さんの本を沢山読んでいるものの最近はあまり読んでいなかったのですが、ふとそのタイトルに目が留まりました。
 実は、目に留まったのは新刊の『生きづらい毎日に それでいい。実践ノート』でした。
 他人と比べられないのでよく分からないのですが、最近、多分僕は他人よりも生きづらいのかも知れないと思っていたので、気になりました。
 そして、ちょっと見てみると、タイトルに実践ノートとあるように『それでいい。』という本があることが分かり、ちょっと勇気のいる値段ではあったものの、Kindle版だと少し安かったので読んでみることにしました。

 自分が以前にもうつ病を患ったこともあり、貂々さんのような柔らかい本をはじめ、専門書的なものまで読んできたのですが、それらの本を読んで初めて涙が出ました。
 本を読んで涙を流したこと自体もスティーブン・キングの『グリーン・マイル』以来20年ぶりくらいのような気がします。

 どこの箇所で涙が出てきたのかというと、そろそろ読み終わりそうな所でした。
 そこにはこんな言葉が書かれていました。

 

人は、成長する存在です。いくら口で「自分はこのままでよいのだ」と言っていても、ちゃんと前進するのです。逆に、「今は、これでよい」と思えない人は前進しない、ということを臨床経験から感じています。(157頁)


 「今は、これでよい」つまり、ここから、本のタイトルにもなっている「それでいい」ということへつながっていくのですが、これ以降涙が出てくるのを我慢しようとしながら読み進めました。

 薬を飲むことで、今では薬を飲まなくても良いと医師に言われるまで僕のうつ病はよくなりました。
 最近は希望を感じることもないものの、絶望感や不安で満たされることはなくなりました。
 僕自身もうつ病の一番ひどかったときから回復したことを実感しています。

 けれど、薬を飲んでいたことや、薬物治療以外でのうつ病に対する画期的な治療方法として取り入れられている認知行動療法含め、結局は、うつ病である自分というものは良くないもので、良くない状態なのだ、と考えて来ました。
 薬物療法認知行動療法も共通するのは、今の自分の状態が良くないから薬を飲んだり、認知(考え方、出来事の捉え方)を変えることによって、その良くない状態を良くしようというものです。

 それは、今まで散々自分でもやってきた、「ダメな自分」というものを突きつけられるものでした。

 でも、この本では、「それでいい」、うつの反応は当然のことで、それは当たり前のことなのだ、ということが書かれていました。
 うつによる症状は自分がいかにダメージを負っているかを表しているもので、自分がダメージを負っていることを認めよう、ということが書かれていました。
 これが僕にとってはとても新鮮で、心強い内容でした。

 読み返してみると、最初の方から貂々さんが対人関係療法について聞きに行った医師の水島広子さん(元衆議院議員)が担当するコラムの中で同じことを繰り返して書いていました。 
 

人間の変化は、現状の肯定からしかあり得ないのです。今の自分を否定し続けていると、地に足の着いた変化など起こせないのです。まずは、「事情を考えれば、今の自分はこれでよいのだ(当然なのだ)」ということを認めた上で、「でも、できればこういうふうになっていきたいな」と思えれば、実際に変化は可能でしょう。(51頁)

 

 水島医師は同じことを違う言葉で、違う具体例を使って何度も繰り返していました。
 例えば、沈めなければならない、抑えなければならないとされている「怒り」という感情について、こんなことを書いています。

 

「怒り=自分は困っている」という原点に返れば、攻撃的でないコミュニケーションが可能となるのです。まずは、自分の頭の中に「怒っている」=「困っている」という自動翻訳機を持ってみましょう。(68頁)

 

 「怒り」を覚えるのが当たり前な出来事がある。
 怒りを押さえ込むのではなく、怒りを覚えるのは自分が困っているということなのだから、怒りを覚えるほど困っていることを自分自身でまず理解し、身近な他者に伝え、助けを求めながら怒りのもとを解決していこう、と書かれていました。

 対人関係療法(Interpersonal psychotherapy、IPT)というだけあって、他にも以前から気になっていたコミュニケーションということについても書かれていました。
 

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 僕が大学に在学していた十数年前くらいからコミュニケーション能力だとか言われはじめ、その能力って一体何なんだ、と小馬鹿にした気持ちがありつつも、自分にはそんな能力がないと(元配偶者にも言われてきたし)自分で思ってきました。

 でも、そのコミュニケーションって一体何か、ということを考えてみれば、万人に好かれたり、万人と友だちになることもでもなく、親しい人、ちょっと仲がいい人、仕事上付き合う人、モブ、とそれぞれの層があって、それが自分の中で分けられるかどうか、ということが分かります。
 親しい、あるいは親しくしたいと思っている、パートナーだったり、子どもだったり、親だったり、親しい友だちと、仕事上付き合う人との親しさ、親しくしたいと思っていることは違います。
 指摘されれば当たり前のことなのかも知れないけれど、どこか、出会った全員と仲良くならなければならない、横暴な上司であっても受け入れなければならないという気持ちがあり、それが出来ない自分を責めてきました。
 70億人と仲良く出来るわけなんてないし、親しくなりたい、場合によっては親しくせざるを得ない人は実は数人、あるいは10人程度なのだから、その人たちと他の人を同列に考える必要はない、という指摘は改めてとても大切なことだと感じました。

「メゾン・ド・ヒミコ」

 実家で生活している僕より年上の同僚が、特に仕事があるかどうかについて、ポロッとこの後生きていけるのだろうか、という不安を口にしていました。
 外国人を積極的に入れようとしているくらいだし、今でもコンビニや飲食店など、ちょっときつい仕事では外国人頼りになっているので、大丈夫ですよ、と言ったのですが、不安がないと言えば嘘になります。
 僕の生活スタイルというか、人生で望むものに、家とか高価なものというのはないので、お金を稼ぐ上での仕事については、まぁ、なんとかなるだろう、とは思っていますが、僕も家族との5人での生活から突然追い出されたので、1人で生きていく、ということを考えると不安になります。

 僕自身は事実婚も経験したことがあるので、法的にパートナーとして認められてない人と共に生きていく、ということの危うさを少しは分かると思うのですが、そんな人たちの物語を今回観ました。


メゾン・ド・ヒミコ



メゾン・ド・ヒミコ | アスミック・エース

作品データ映画.comより)
監督 犬童一心
製作年 2005年
製作国 日本
配給 アスミック・エース
上映時間 131分

ストーリー(公式サイトより)
 私を迎えに来たのは、若くて美しい男。彼は、父の恋人だった。塗装会社で事務員として働く沙織。ある日、彼女のもとに若くて美しい男・春彦が訪ねてくる。彼は、沙織と母親を捨てて出て行った父の恋人だった。沙織の父は、ゲイバー「卑弥呼」の二代目を継いだが、今はゲイのための老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」を創設、その館長を務めているらしい。春彦は、その父が癌で余命幾ばくもないと言い、ホームを手伝わないかと誘う。父を嫌い、その存在さえも否定して生きてきた沙織だが、破格の日給と遺産をちらつかせて、手伝いに行くことを決意する。死にゆく父親、その父親を愛する春彦、そんな二人を見つめる沙織……いつしか三人に微妙で不思議な関係が芽生えていく。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 
前から知っていた作品ではあるのですが、オダギリジョー柴咲コウを特にこれと言って好きではなかったこともあり、なんとなく敬遠していました。
 が、「深夜食堂」でオダギリジョーが結構好きになったことや、前から気になっていた作品だったことから、公開されてから13年も経っていますが、Amazonで無料だったので観てみました。

 主人公の沙織(柴咲コウ)がかつて家から出て行ったゲイの父親ヒミコ(田中泯)が創設したゲイの老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」にやってきます。
 沙織を呼んだのは、ヒミコの今のパートナーの春彦(オダギリジョー)。
 ヒミコは末期がん。
 死が迫ってきたので父親がかつて捨てた子どもに会いたいと願い再会を果たし、邂逅していく、ということではなく、パートナーである春彦が半ば無理矢理に引き合わせたという点が良かったです。

 最後の最後まで邂逅するということはなかったように見えましたが、ヒミコが言いたいことをとりあえず沙織に言ったという場面はとても感動的でした。
 たとえ死が迫ってきていても、それまであった溝を簡単には埋めることができない、という現実、だからこそ言いたいことは言っておく、というのがとても現実的に感じました。

 また、春彦と沙織が少しずつ惹かれ合い、セックスをしようとするけれど、結局出来なかったこと、それもあって沙織がクズだと分かっている男に身を委ねるという流れも分かるような気がしました。
 それでも良かったのは未来のない関係に完全に身や心を委ねていないこと、ヒミコが死んで関係が終わったと思ったホームのメンバーと沙織とがこれからも関係を続けていくようなラストです。
 春彦と沙織が恋愛関係や肉体関係を持つかは分かりませんが、それらを超えた結びつきというようなものがある、ということを示しているように思います。

 ゲイの老人ホーム、しかも、元々の建物がホテルということもあり、あからさまな差別を受けつつも、最初ずっと眉間にしわを寄せながら彼らに接していた沙織の表情が柔和になっていったり、いたずらを繰り返す中学生がホームのメンバーにいろいろ教えてもらったり、山崎さんと沙織が2人で女性ものの洋服を着回すシーンや、みんなで横浜に繰り出し踊るシーンなど、とても印象的な場面が沢山ありました。

 ゆったりと時間が流れるこの感じ良いな、と思ったら、好きな作品である「ジョゼと虎と魚たち」と同じ犬童一心監督、渡辺あや脚本でした。

相手と合わなかった理由を考える

 先日観た映画「しあわせはどこにある」 で、「幸せとは?」という問いに対して、主人公だったり主人公が出会った人々の答えが14の言葉になっていましたが、この映画にヒントを得て、自分と元配偶者のどこが合わなかったのかということを考えてみることにしました。

 

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 僕が結構好きなコラムニストにアルテイシアさんという方がいます。
 陣内智則藤原紀香が結婚するきっかけになったドラマの原作者で、「恋愛作家」という肩書のこともありますが、パートナーの見つけ方や、現在のパートナーに関して人生のパートナーなのかという悩み含め、広くパートナーシップについて書いている方です。
 そのアルテイシアさんがいろんな所で繰り返し書いていることに、パートナーに求めることを他の人にも分かる言葉で具体的に書き出し、優先順位を付けることというものがあります。

恋愛作家アルテイシアに聞く「冷めない愛の見分け方」| ELLE mariage [エル・マリアージュ]

男は言葉が不自由で近視ぎみ」と思えばいい。“男女の戦争”の終え方 | 女子SPA!

 たとえば、こんな言葉が出てきます。

自分は何が好きで何が欲しくて何が嫌だというのを知っていたほうがいい、というより知らないと始まらないですよね。でも、それを知るのって当たり前なことのようでけっこう難しい。

 

女子ってよく「一緒にいて楽しい人がいい」「尊敬できる人がいい」とか言いますけど、どんな人といると楽しいか? どんな人を尊敬できるか? は人によって違いますよね。それをきちんと把握するために、第三者が聞いたときにイメージできるような文章に落とすことが大事だと思います。

  

 主に女性を読者と想定しつつ、パートナー探しをしている人に向かって呼びかけている内容だと思っていたのですが、男性との対談でも同じようなことが書かれていました。
 さらに、優先順位をつける、ということだけでなく、失敗した時に何が悪かったのか知ることの重要性も説いていました。

PDCAサイクル、すなわちPlan(計画)→ Do(実行) → Check(検証)→ Act(改善)を回すこと、その中でも特にCheck(検証)がカギだと思います。
勉強にしても、答え合わせしないと永遠に間違いはわからないですよね? でも恋愛になると「私の性格がダメなんだ」「見た目がダメなんだ」とざっくり全否定する女子が多い。それだと自信とやる気を失うだけなので、しっかり過去を振り返って検証してほしいです。

 

フラれた女性たちに「絶対恨まないから自分のダメなところを教えてくれ」って聞いたら「思ってたのとぜんぜん違う!」って答えが返ってきたりするらしくて。女子もそうだけど、同じ失敗を繰り返したくないならちゃんと答え合わせしたほうがいい。

 
 元配偶者との12年間に及ぶ法律婚事実婚がこの春に終わりました。
 アルテイシアさんが言うように、元配偶者に何が決定的にダメだったのかということを確認することの大切さは分かるのですが、僕自身元配偶者とやりとりするだけでうつの症状が出て来たり、家庭裁判所を介して話し合いをしているような間柄なので、そこはやめておいて、とりあえず、自分にとって「家族」に何を求めていたのか、何が優先順位で高かったのかを改めて考えてみることにしました。

 僕が自分を含め子どもたち家族に求めていた(感じていた)「しあわせ」で特に優先順位が高い3つはこれです。

 

1、大きな病気や怪我もせず、元気で健康で生きていること
2、楽しいと思えることを楽しめること
3、自分と同じくらい大切だと思える人がいること

 
 アルテイシアさん流に言えば、10個上げた内、3つがどうしても譲れない部分だということになるので、僕としてはこの3つが譲れない部分なのだと思います。
 逆に言えば、これ以外は「譲れない部分ではない」ということ。

 そう考えてみると、元配偶者とは何もかも違ったのだと思います。
 元配偶者にとって一番重要なのは、今家庭裁判所を介して話し合いを進めているように、「お金」なのだと思います。
 僕はお金はそんなに重要でなく、今あるお金の中で上の3つが満たされれば良いので、住む場所にもこだわりはありません。
 でも、元配偶者は10年以上指摘してもこの感覚はおかしいと思わないようでしたし、改める気持ちもないようでしたが、東京23区内、しかも山手線内以外は「田舎」と言って蔑むような感覚を持っていました。
 「田舎」に住むことは受け入れられず、今後も山手線内で高い生活費を払って生きていくのでしょう(元配偶者は高給取りなので、それが贅沢だったり、身の丈以上を求めているとは思いませんが)。

 自分にとっての優先順位を改めて考えてみると、元配偶者との間に大きな溝があると分かりました。
 自分が何に「しあわせ」を感じるかということについては、まだリストが10に満たないのでこれからも考えていきたいと思いますが、PDCAサイクルのCheck(検証)が少しは出来たのではないか、と思います。

「水曜日のエミリア」

 主夫だった以前程ではないものの、割と限られた人としか関わることのない生活をしているので、パートナーや子どもがいる人と恋愛関係になる、という出来事を自分のこととして感じた経験がありません。
 「不倫だ!」とか騒ぐ以前に、そもそもそんな関係になりそうな出会いもないので、どこでそんな出会いがあるのだろうか、とも思うのですが、不倫じゃなくても、出会いの場というのは職場というものがやはり多いのでしょうか。

 と気になったので、調べてみたら、国立社会保障・人口問題研究所の調査が出てきました。

第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)|国立社会保障・人口問題研究所

 夫妻が出会ったきっかけを見てみたら、「職場や仕事で」28.1%、「友人・兄弟姉妹を通じて」30.9%、「学校で」11.7%でした。
 また、18~34歳の未婚者だと、「職場や仕事で」男性18.5%・女性21.5%、「友人・兄弟姉妹を通じて」男性20.7%・女性20.9%、「学校で」男性27.8%・女性23.7%でした。

 付き合う時は学校で出会った人で良いけれど、結婚となると職場など仕事で出会った人が多くなるというのが、興味深かったです。
 どおりで映画でもドラマでもエンタメニュースでも仕事場で出会った人たちとの不倫だとか結婚が多いわけだ、と納得しました(結婚のきっかけで職場や仕事が増える、ということは不倫のきっかけにもなっているということが読み取れる)。

 今回の作品はまさにこの調査結果の通り、職場での出会いによる不倫、結婚の物語です。
 


水曜日のエミリア (字幕版)


水曜日のエミリア | 映画 | 日活

作品データ映画.comより)
監督・脚本 ドン・ルース
原題 Love and Other Impossible Pursuits
製作年 2009年
製作国 アメリ
配給 日活
上映時間 102分
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
心ときめく恋、永遠の愛を誓い合う結婚、子供の笑い声が響く家庭ー女性なら誰しも、その全てを手に入れたいと願うのは当然のこと。新人弁護士のエミリアも、ごく普通の幸せを求めただけだった。しかし。彼女の場合、最初のボタンを掛け違った。既婚者の上司に恋をしてしまったのだ。 エミリアの妊娠をきっかけに離婚が成立した相手と結婚したものの、世間の見る目は“略奪女”。以来運命が彼女に配るカードはどれも不運ばかり。週の半分をいっしょに過ごす夫の息子は、決して心を開かない。エリート医師の元妻は、エミリアの子育てを厳しく監視し、何かと小言を言ってくる。とどめは、愛する夫との間に生まれた赤ちゃんの突然死だった。追い詰められたエミリアは娘の死にまつわる“秘密”を告白すると、愛する家族との絆はぷっつりと切れてしまう。家を出る決意をするエミリア。しかし、そんな家族を再び結びつけたのは、ある意外な人物だった…。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 日本語タイトルや公式サイトに載っているストーリーなどの紹介文から想像する内容とは違って、人間の悲しみ、その悲しみを抱えつつ歩んでいく姿を丁寧に描いた良い作品でした。

 作品の表紙では誰だか分からなかったのですが、主人公エミリアを演じるのは「ブラック・スワン」でアカデミー賞をはじめ、数々の賞を受賞・ノミネートされたナタリー・ポートマンでした。
 このナタリー・ポートマンが、結婚に至るまでの出会いや出産、その後数日で訪れる娘の死、その後も続く夫や継子との関わりという、喜びや悲しみを抱えたり、継子と探り探り関わりを深めていく様子をとても上手に演じていました。

 自分が生んだ子どもがすぐに亡くなってしまったのは自分が不倫をしたからなのか、とか自分に何か落ち度があったからなのではないか、という考えはとても理解出来ます。
 また、これは文化と言って良いのか分かりませんが、僕の現実の生活を振り返っても、多様なルーツで成り立っている地域の人たちは、特に話をすることやスキンシップを重んじていると思うのですが、それでも伝えていなかった思い、というものがある、ということもすごくリアルな出来事のように感じました。

 継子のウィリアムはもっとわがままを言ったり、怒りをぶつけたりしても良いと思うのだけれど、エミリアが悲しみの中にいることも感じているから、ぶつけることはない。
 ぶつけることもないのだけれど、それは距離を保ったままということなので、近づくこともない。

 その近づくことも離れることもない関係の中で少しずつお互いが現実を受け入れ、前に進もうとする。

 本題ではないのですが、2人が交わす会話やエミリアの本音が面白かったです。
 ハーバードに関する考えだったり、コロコロ変わる雰囲気や髪型を違和感なく演じているナタリー・ポートマンが「美人がフラレる映画って嫌い」と言ってのけたり。
 
 ラストで、一旦関係を断ち切ることを決断した2人が修復に向かう、ということは予想外でしたが、敵対するかのように接していた者同士が、他の大切な誰かを大切にしようとする行為によって、その相手に大きな力を与えることが出来る、というのはとても良い展開でした。

 こんなに優しく接することが出来たら、また、敵対していても、その優しさを素直に受け入れることが出来るって、とても素敵なことだな、と思いました。

福満しげゆき『中2の男子と第6感(1)』

 去年書いた『妻に恋する66の方法』と同じ福満しげゆきさんの『中2の男子と第6感』の一巻がKindleで無料だったので読んでみました。

 『妻に恋する66の方法』は今も読み続けていますが、最初どうにか元配偶者との溝を埋められないかと試行錯誤する中で読み始めたもので、自分はもう独り身になったので、今後も読み続けるかどうか思案中です。
 まぁ、ラブラブなのを見せつけられるという感じではなく、掛け合い漫才的な感じなので、楽しめてはいるのですが。

 


中2の男子と第6感(1) (ヤングマガジンコミックス) Kindle版


 この作品、とても良かったです。
 福満さんの作品は、基本的にネガティブな主人公が過ごす日常を描くものだと思うのですが、ネガティブだとしても決して単にそれで終わりではなく、その日常の中で笑える出来事を描き出すところがすごいな、と思うのですが、この作品もそのあぶり出し方が秀逸でした。

 主人公の中学2年生の男の子は学校でいじめられ、妄想でメガネ女子の「師匠」を作り出す。
 師匠の元にケンカの練習をしたり、漫画を書いたりするのですが、実は師匠は単なる妄想ではなく、実在の人物とリンクしている、という、単に「厨二病」とも揶揄される中2男子の妄想で済ませずに物語を成立させています。

 師匠の訳の分からない色気とか、やりとりも面白いのですが、この作品の中でとりわけ惹かれたのは、師匠の言葉です。
 いじめられて、死のうとする中2男子に向かって、師匠がこんな言葉をかけます。

死んであいつらに ダメージを与えるつもりなら
そんなに効果はないよ
それどころか DQNは「仲間」とかをテーマに
ポエムみたいなことを 言うのが好きだから
DQNポエムのテーマにされて
のちに「イジメ相談」 的なNPO法人を 立ち上げ
やがて 議員にまで 出世するかも しれないね

 
 単に「そんなことしちゃダメ」とか「悲しむ人がいるよ」とかいう言葉ではなく、結局自分が死んでも、そこまで追い詰めた人物は一切痛みを感じることはなく、むしろそれを利用する。
 苦しみにあって、死のうと思い悩んでいる人にとっては残酷な言葉でさえあるのですが、それが現実なのだと思います。

 僕もうつになり、何度も死のうとしましたが、その時は死ぬことしか考えられなくなりましたが、あとになってみると、自分が死んだところで、むしろそこまで追い詰めた人物は何の痛みを感じることなく過ごしているし、僕が死んだところで逆に「自分が近くにいなかったのに救ってあげられなかった」と言ってはばからないでしょう。
 そんな人間だからこそ人を追い詰めることが出来るのだし、そういうことを言える人物こそが生き残る。

 『妻に恋する66の方法』や『僕の小規模な生活』では、作品の設定上、こういう社会をどう見ているかということや福満さんの知識などは描かれないのですが、この作品では、「『ファイト・クラブ』システム」だったり、「『我思う故に我あり』的な理論」だったりと、福満さんの知識や観てきた映画などが垣間見えるシーンがあり、そのネーミングセンスも含め、それが良いなと思いました。

「ゲット・アウト」

 ホラー映画が苦手だと言いつつも、Amazonでの評価が高かったので観てみました。
 といっても、やっぱり苦手なので、カバーの写真がどう見てもホラーというか恐いので、ダウンロードしてから実際に観るまで10日くらいかかりました…。
 


ゲット・アウト(字幕版)

 

作品データ映画.comより)
監督ジョーダン・ピール
原題 Get Out
製作年 2017年
製作国 アメリ
配給 東宝東和
上映時間 104分
映倫区分 G

あらすじシネマトゥデイより)
ニューヨークで写真家として活動している黒人のクリス(ダニエル・カルーヤ)は、週末に恋人の白人女性ローズ(アリソン・ウィリアムズ)の実家に招かれる。歓待を受けるが、黒人の使用人がいることに違和感を覚え、さらに庭を走り去る管理人や窓に映った自分を凝視する家政婦に驚かされる。翌日、パーティーに出席した彼は白人ばかりの中で一人の黒人を見つける。古風な格好をした彼を撮影すると、相手は鼻血を出しながら、すさまじい勢いでクリスに詰め寄り……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 
観終わってすぐにはこの作品の意味というものがいまいち分からなかったのですが、少しずつ振り返ると、この作品の良さがじわじわと染み渡って来ました。

 というのも、この物語では直接的に白人と黒人という違いが描かれていて、主人公クリスの恋人ローズの実家に行き、その家族はもちろん白人で、そしてその周辺に住む人や友人たち、警察官もみんな白人です。
 白人が住む地域に住んでいるので、当然そこでは黒人であるクリスは、異物というか、はっきりと違う人間だということが画面で描かれます。

 もちろん今の時代、黒人だからということで排除したり、馬鹿にしたりすることは許されないので、家族もあからさまに排除するような対応は取らないものの、画面を通して明確な違和感を終始突きつけてきます。
 その違和感がなぜだったのか、ということが後半にかけての展開で明らかになっていくのですが、じわじわと染み渡ってきた良さ、というのは、様々に張り巡らされた伏線です。

 僕が一番感心したというか、観客に考えさせているなと思ったのは、度々登場する鹿です。
 まず最初に登場するのは、ローズの実家に行く際、道路を横切った鹿をはねてしまう場面で、その後、ローズの実家で目にする剥製として、そして、その剥製を使ってクリスがある行動を取るのですが、これらを振り返って考えてみると、この鹿というのは黒人を表しているのではないか、と思うのです。

 また、クリスが窮地に追いやられることになる紅茶、そして、その窮地から救われることになる綿、それらは近現代における黒人の歴史において切り離せないものです。
 紅茶も綿(綿花)もプランテーションで収穫されてきたものであり、そこでは多くの黒人たちが労働させられてきました。

 最初はそれらの黒人の歴史と紅茶や綿というものが結びつかないで観ていたのですが、観終わったあとに、直接的に黒人と白人という境界線を見せつけながら、間接的、あるいは比喩的な表現で様々に黒人と白人が今も尚抱えている問題というか、黒人に対する差別と抑圧というものが描かれていることが分かって来ました。

 1回観ただけなので、まだまだ十分に理解出来ていないと思いますが、随所にちりばめられた伏線や比喩など、とてもよく出来た作品だと思います。