映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

読書グラフ

 年が明けたので、去年を振り返ってみたいと思います。
 僕は、本や映画など、一応観たものはアプリで記録を付けているのですが、そのアプリで読書記録というグラフを表示してみたら、自分でも興味深いグラフになっていました。

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 読書記録なので、読んだ本(登録した本)の数がグラフで表示されています。
 本といっても、活字の単行本や文庫、新書などだけでなく、漫画や雑誌も含まれます。
 逆に、一般販売されていないような学会や出身大学の紀要などは含まれていないのですが、読んだ本の数の動きが、この一年の自分の状態を示しているような気がしました。

 3月末に家を追い出され、4月からは家事育児をしていた時間がなくなったので、時間を持て余し、その時間で何をしていたのかというと、うつ病の症状で活字を読むのが難しかったので、ひたすら漫画を読んでいました。
 その結果が4、5月の動きに反映されています。

 また、5月の終わりからもう1つの仕事が始まったので、6月からは微減し、うつ病の症状が落ち着いてきた8月からは活字も読めるようになってきたので、漫画の量が減り、結果的に読んだ本の数が減っています。
 秋にかけて徐々に読んだ本の数が減っている理由も、漫画ではなく、小説なども読めるようになったからです。
 そして、11月からまた本の数が増えているのは、体調が悪くなってきたので、活字を読むのが難しくなってきて、漫画を読むようになってきたからです。
 春との違いは、春は映画をそこまで観ていませんでしたが、映画を観て過ごす時間も多くなったのが、春と冬の漫画の数の違いかな、と思います。

 ちなみに、家から追い出される前の1~3月はというと、2、3月が増えているのは、調子が悪くなってきていたので、これも漫画を沢山読むようになってきていたからです。
 この時期からかなりうつ病の症状が顕著に出てきていたのだな、と改めて分かります。

 今まで、読んだ本をこうして改めて見返してみることはありませんでしたが、自分の心身の状態を理解する上で、便利だな、と気付いたので、今後もたまに見ては自分の状態を確認していきたいと思います。

「アイアンマン2」

 マーベル作品を最初から見直す一環で、先日の「アイアンマン」に続いて「アイアンマン2」です。
 この作品も前にテレビで放送していたときに観たことがあったと思うのですが、流れで観たわけではなかったので、改めて「アイアンマン」に続いて観てみました。
 今回もTSUTAYAディスカスで安かったので借りて観ました。

マーベル作品【フェイズ1】と呼ばれる6作品は以下の通りです。
アイアンマン」、「インクレディブル・ハルク」、「アイアンマン2」、「マイティ・ソー」、「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」、「アベンジャーズ

  


アイアンマン2 (字幕版)


アイアンマン2|ブルーレイ・デジタル配信|ディズニー


作品データ映画.comより)
監督ジョン・ファブロー
原題 Iron Man 2
製作年 2010年
製作国 アメリ
配給 パラマウント
上映時間 124分
映倫区分 G

あらすじシネマトゥデイより)
パワード・スーツ受け渡しの国家命令を拒否した科学者兼経営者のトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)。ある日、トニーの前にウィップラッシュ(ミッキー・ローク)なるアイアンマンと互角のパワーを持つ敵が現れたことから、トニーは再びパワード・スーツに身を包みアイアンマンとして立ち上がる。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 「アイアンマン」に続いて観たので、話の内容もよく分かって良かったです。
 マーベル作品の流れでは「インクレディブル・ハルク」が途中に入りますが、「アイアンマン」とは関係せず、アイアンマンだけの流れで理解出来ます。

 秘書ペッパー(グウィネス・パルトロー)との関係が徐々に近づいていく様子や、なぜトニー( ロバート・ダウニー・Jr)からペッパーに社長が交代するのか、ということ、社長としての責務の重さに若干苦しむペッパーの様子や、社長になったことで、さらに変化していくトニーとペッパーの関係も丁寧に描かれています。
 これほど関係が変わっていくと、関係が破綻してしまいそうですが、そもそもが恋人という訳ではなく、一線を引きつつもお互い惹かれ合っていたからこそ成り立つ関係なのかな、という感じがしました。

 また、トニーの友人で空軍中佐のローディ(ドン・チードル)がどのようにして「スーツ」を手に入れることになったのか、ということも描かれています。
 国が武器として「スーツ」を手に入れようという意図がある中で、それに従う素振りをみせつつも、時にトニーとぶつかりながらも、トニーを裏切ることはせずに共に戦うという関係性も魅力的でした。
  
 この作品では、トニーとペッパー、ローディとの関係性がより深く分かるようになっていましたが、一番のテーマは、武器を巡る倫理の問題でした。
 トニーは、国から自分で作り出した「アイアンマン」の「スーツ」を引き渡すことを要求され、拒否します。
 その様子は、国からすれば、わがままだと映ります。
 けれど、ここには、強力な武器になるものを作り出してしまったからこそ、自分だけがその技術を独占しておかなければ、最悪な状態が起きてしまうということへの懸念が感じられます。
 実際に、この作品では、トニーに対抗して、他の技術者や企業が「スーツ」を作り、暴走します。
 自分たちが作り出したものが人を傷つけ、殺すことも出来るからこそ、その技術を提供することにはためらいがあり、また、自分たちが提供しなければ、他の人たちが同じようなものを作ってしまう、という葛藤が起きます。
 武器ではなくても、もっと身近なところでいえば、包丁でも薬でも構わないのですが、結局は、使う人たちの倫理性が問われますし、あるいは、銃のように気軽に手にできない状態であることが、無用な暴力を避けることにもなります。
 これらの倫理的な課題について、特にアメリカは銃社会だということも反映して、武器を作ること、売ること、そして使うことについて、それらの妥当性を観ている人に考えさせる作品になっていました。

武田友紀『「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる 「繊細さん」の本』

 HSP(High Sensitive Person)という言葉を聞いたことがありますか?
 僕が初めてこの言葉を聞いたのは、経済評論家の勝間和代さんがやっている無料のメールマガジンで、メールマガジンには勝間さんがどうやって料理をしているかや、どういう端末を持ち歩いているか、それらをどのように使いこなしているかなど、勝間さんの身近な関心事が書かれています。
 その中で、勝間さんは以前からADHD傾向があることなど書いていたのですが、HSPであるということにも触れていました(勝間和代 無料メルマガバックナンバー 6/13-6/19)。
 その文章の中で僕は初めてHSPのことを知り、そこに載っていた診断をやってみたところ、HSPに当てはまっていました。
 それ以来、発達障がいだけでなく、HSP関連の本も読むようになりました。(たとえば『内向的人間のすごい力』

 


「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる  「繊細さん」の本 Kindle版

 
内容飛鳥新社紹介ページより)
ささいなことが気になって疲れる人へ――
自分もHSPである専門カウンセラーだからこそ教えられる「超・実践テクニック集」!
◎まわりに機嫌悪い人がいるだけで緊張する
◎相手が気を悪くすると思うと断れない
◎細かいところまで気づいてしまい、仕事に時間がかかる
◎疲れやすく、ストレスが体調に出やすい
⇒そんな「繊細さん」(HSP)たちから、「人間関係も仕事もラクになった!」と大評判
予約殺到の「HSP(とても敏感な人)専門カウンセラー」による初めての本です!

感想
 勝閒さん同様、僕も発達障がい傾向があるとは思いますが、発達障がいとHSPがどのように関連するのかは分かりません。
 この本の中では、HSPを「繊細さん」と呼び、繊細さんは、非・繊細さんよりも、繊毛が多く、いろんなことを感じ取ってしまうと、イラストとともに説明がされていました。
 いろんなことを感じ取りやすい、ということは、いろんなことが例えば視覚情報として入って来やすいということであり、そうすると、落ち着かずに1つのことに集中しづらいということになります。
 「視覚情報を限定させる」ことや、「落ち着かず、1つのことに集中しづらい」ということは発達障がい傾向を示すものでもありますが、この本は医学書でもないので、学術的にどのくらい担保されたものなのかも分かりません。

 けれど、とにかく、この世界にいる75億人の中の5分の1ほどの人はHSPであり、それによって生きづらさを感じている、そして著者自身もその1人であるという前提に立って書かれています。
 この本では、自分がHSPかも知れないという人に、確定的な診断を下すものではなく、あくまでも、HSPだと思われる人が感じている生きづらさを、生きづらいと感じることなく生きていくための具体的な対処方が書かれています。

 まず、最初に書かれているのは、繊細が故に生きづらさを感じているけれども、その繊細さによって「良いもの」も感じることが出来ていることです。
 

自分にとって「いいもの」を感じるのも「痛い・つらいもの」を感じるのも、同じ繊細な感覚です。

 
 例えば僕がホラー映画が苦手な理由は、映像から伝わる「痛み」を強く感じるからなのですが、その感じる「痛み」同様に、ちょっとした、たとえば今日の空はきれいだなと感じることも出来る繊細さがある、ということです。
 つらい面ばかり印象に残り、負の面ばかりで捉えていたものを、それがあるからこそ感じる良さについて、最初に触れられていたのは印象的でした。

感覚を麻痺させるということは、「嫌なものや痛いものは感じにくくなるけれど、同時に、生きていく上での喜びやときめきも感じづらくなってしまう」ことなのです。長いあいだ感覚を閉ざし続けると、「自分がどうしたいのかわからない」「楽しいって、どういう状態のことだっけ?」など、自分にとっての幸せがわからなくなってしまいます。一時的に対処しなければならないときも、感覚を閉ざすのではなく、ストレスのもとになるさまざまな刺激を「まずはモノで防ぐ」こと。そして、最終的には感覚を閉ざさずにすむよう、ストレスの大きな場所や相手とは距離をおくことが必要です。

 
 僕自身、ここに書かれているように「長いあいだ感覚を閉ざし続け」ていました。
 何が楽しいってことなのか、何が幸せなのか、いろんな感覚が麻痺しています。
 それは、辛く、イヤなことをどうにか対処する方法だったのですが、辛さや痛みを感じづらくなるものの、同時に、楽しかったり嬉しかったりすることも感じづらくさせていたのだと、理解出来ました。
 その麻痺してしまった感覚を取り戻す、あるいは感覚が麻痺しないようにするための方法として書かれていたコツもわかりやすかったです。

もうひとつのコツは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚という五感に分けて考えること。五感のうち「鋭い感覚」から重点的に対処すると効果的です。

 
 今まで、自分が感覚過敏かも知れないとは思っていたものの、五感を分けて考えることはありませんでした。
 確かに自分は味覚はそれほど過敏ではなく、それよりも視覚や嗅覚が鋭いように感じています。
 これからちょっと不快だなと思ったり、ストレスを感じた時には、五感のどの感覚で感じていることが原因なのかを考えてみようと思いました。

 他にも、今からあげる3つの言葉は、当然のことなのかも知れないけれど、忘れがちだったり、あるいは、当然なことなんだけど、重要だと思う言葉です。

人はそれぞれ価値観や考え方が異なる、と言いますが、繊細さんと非・繊細さんは、価値観や考え方の土台となる「感覚そのもの」が異なります。体の疲れにせよ、嬉しい、悲しいといった感情にせよ、感じる強度が全く違うのです。
繊細さんどうしなのか、繊細さん×非・繊細さんなのかにかかわらず、「言葉で伝えること」「話し合うこと」が大切なのです。 
それは「人は、自分のままで生きると元気だ」ということです。繊細さんにとって繊細さは、自分を構成する大切な一部分。繊細さを「いいものだ」と受け止めることは、自分を「いいものだ」と肯定することにつながります。

 
 感じる強度が違うのだから、僕が感じている感覚を相手に伝えないといけないし、伝える方法は「言葉」でなければなりません。
 態度や行動ではなく、「言葉」。
 直接話すのが大変だったら、手紙でメールでもとにかく言葉にしないと伝わらないので、誰かと関わるときにはそれはし続けないといけない。
 そして、この繊細さを「発達障がい」だとか、「気にしすぎ」だとか否定されたり、感覚を鈍らせようとする(=自分の感覚を否定しようとする)のではなく、そのままで「良いもの」なのだと自分で受け入れ、そしてそれを他者にも受け入れてもらうことこそが幸せにつながるのだということです。

 まずは、自分自身の麻痺させてきた感覚を取り戻し、受け入れることから初めてみようと思います。

「アイアンマン」

 この前「アイアンマン3」を観たら、「アイアンマン」シリーズとしては終わるような感じだったので改めて「アイアンマン」を観返してみることにしました。
 今回は、TSUTAYAディスカスで旧作が100円くらいで借りられた時に借りてみました。

 マーベル作品の内【フェイズ1】6作品は以下の通りです。
アイアンマン
インクレディブル・ハルク
アイアンマン2
マイティ・ソー
キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー
アベンジャーズ
 マーベル作品を通して観るなら、最初の作品になるので、テレビで放送しているときに何回か観たことがあったのですが、改めて観ることにしました。
 


アイアンマン(字幕版)

 
作品データ映画.comより)
監督 ジョン・ファブロー
原題 Iron Man
製作年 2008年
製作国 アメリ
配給 ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
上映時間 125分

あらすじシネマトゥデイより)
億万長者で発明家の軍需産業会社社長トニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)は、視察に訪れた軍のキャンプでテロリストの奇襲に遭い、胸を負傷してしまう。やがて自分の会社の兵器がテロリストに悪用されている衝撃の事実を知ったトニーは、自ら戦闘用のスーツを作り、“アイアンマン”となってテロリストに闘いを挑む。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 「アイアンマン」の物語の始まりとして、またアベンジャーズにつながる物語の始まりとして考えると、改めて見返して良かったと思います。
 トニーがなぜ「アイアンマン」になったのか、そして、「アイアンマン3」を観終わっているからこそ、「アイアンマン」の最初と最後のつながりが分かりました。

 それは、胸のアーク・リアクターをなぜ取り付けることになったのか、ということから始まり、スーツを作るようになった理由と経緯といったヒーローとしての「アイアンマン」の流れであるとともに、最初は秘書だったペッパーとの関係が変化していく様子のことでもあります。

 物語の内容としては、何回か観たことがあったので、覚えている箇所も多く、目新しさはないものの、武器を製造すること自体が持っている絶対悪、つまり、使う者とその名目によって悪と正義に変わるだけで、武器自体が人を傷つけるものであることを問うきっかけの内容になっていると思いました。
 トニーとしては単に自分が持っている技術を高めただけ、そして、自分が正義だと思っている側にその技術を使った武器を提供しているだけで、今まで問われることのなかった倫理というものを、実際にその武器がどのようにして使われているかを目にすることによって初めて、自分が持っている技術とそこから作り出される武器によって、多くの人が傷つくのだと言うことを知る、というものでした。

 トニーが浮世離れしているとか、無邪気だとポジティブに捉えることも出来るのかも知れませんが、現代においては、何かを作り出すこと、また売るということには、買った人、それを使う人がどのように使うのか、どのような影響があるのか、という今まで責任を負わなくても問題がないとされていたことまでも問われているという、人や企業に課せられている倫理的課題をうまく描き出していると思いました。

オイルヒーター

 自分が働いている2つの職場両方ともで体調を崩している人たちが沢山います。
 寒くなったり、温かくなったり、湿度が高くなったり、低くなったり、そりゃ体調を崩すわ、と思います。
 僕も長く体調を崩していたので、この波には乗りたくないな、どうしたら波に乗らずに済むだろうか、と考えています。
 元配偶者から追い出された家には、加湿機能付きの空気清浄機と床暖房があり、その家に越してからというもの、子どもたちが冬場に体調を崩す機会が激減しました。

 なので、僕が今暮らしてる家でも同じように、湿度を保ちつつ、部屋全体を温かくする方法をすれば良いのですが、持っていません。
 加湿機能付き空気清浄機は高く、備え付けのエアコンを使うと部屋は暖まるけれど、乾燥してしまう。
 どうしたらあまりお金をかけずに、部屋の湿度を保ったまま(なるべく部屋全体を)温かく出来るだろうか、と調べたら、良さそうなものを見つけました。
  


アイリスオーヤマ ミニ オイルヒーター

 
 オイルヒーターです。
 オイルヒーターは、湿度を保ったまま暖めてくれます。

 以前の家にもオイルヒーターがあり、それはデロンギのものでした。
 同じようにデロンギのものを買うか考えたのですが、僕には値段が高いし、なにより今の僕の狭い家では大きすぎる。
 と思っていたら、アイリスオーヤマのオイルヒーターは小さく、値段も安かったので、買ってみました。

 使ってみた感想ですが、良かったのは、すぐに暖まることです。
 デロンギのオイルヒーターは大きかったので、オイルヒーター自体が暖まるまで時間がかかったのですが、こちらは小さいのでオイルヒーター自体がすぐに暖まります。
 なので、座っている隣に置いているオイルヒーターからの暖かさをすぐに感じることが出来ます。

 あんまり良くないな、と思う点は、土台が安定せず、ちょっとぐらつくことと、デロンギでは出来ていた時間調節が出来ないことくらいですが、値段を考えれば特に気になることではありません。

 何より、温かい時期になったらどこかにしまうことを考えたら、僕にとってはこのくらいの小ささがちょうど良いです。

「ラブ&ドラッグ Love & Other Drugs」

 Amazonの作品リストを眺めていたら表示された作品です。
 タイトルはちょっと敬遠してしまう感じでしたが(特にdrugs)、好きな俳優のジェイク・ギレンホールが表紙に映っていたので見てみました。 


ラブ&ドラッグ Love & Other Drugs (字幕版)

 
作品データ映画.comより)
監督 エドワード・ズウィック
原題 Love & Other Drugs
製作年 2010年
製作国 アメリ
配給 エスピーオー
上映時間 113分
映倫区分 R15+

あらすじシネマトゥデイより)
医学部中退の遊び人ジェイミー(ジェイク・ギレンホール)は、その口のうまさとノリでこれまでうまく世間を渡ってきた。彼は何度か転職を繰り返した末、大手企業ファイザー製薬のセールスの仕事に就く。やがて研修後にピッツバーグ配属となり、病院でパーキンソン病を患う美人で若いマギー(アン・ハサウェイ)と出会い……。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 主演のジェイク・ギレンホールは割と好きな俳優なのですが、最初に見たのは「ブロークバック・マウンテン」(2005年)なのですが、割と最近の「プリズナーズ」(2013年)、「ナイトクローラー」(2014年)、「ノクターナル・アニマルズ」(2016年)が印象に残っていて、その前の作品はあまり観ていませんでした。
 なので、この作品で、20代のジェイク・ギレンホールが、コメディタッチの作品に出ている、ということ自体が僕にとってはなんだか新鮮な感じがしました。
 特に最近観ていたジェイク・ギレンホールの作品はシリアスな役が多く、ほとんど笑わなかったり、あるいは立派なひげを蓄えていたりと、若さとかフレッシュさみたいなものはなかったので、かわいい女の子ととりあえずサクッとセックスする軟派な役に面白さを感じました。

 また、同じく主演のアン・ハサウェイもとても良かったです。
 一番良かったのは、その脱ぎっぷりで、下は見えていないものの、パーキンソン病を患っていることで病院で診察を受けるシーンなどでは、躊躇することなく胸を見せ、恋人にはならないけれど、身体の関係を続けているジェイミー(ジェイク・ギレンホール)の家に突然やってきて脱ぎ始めたりと、その脱ぎっぷりが、もったい付けるということがなくて良かったです。
 作品によっては、裸のシーンを「ここは裸のシーンだからよく観ておいてください」とでも観客に見せつけようとするものもありますが、物語の展開としてごく自然な流れでの裸なので、見ている方も(作中で実際言われていたことですが)「きれいなおっぱいだな」と思うくらいでした。

 映画の内容としては、アン・ハサウェイ演じるマギーが患っているのがパーキンソン病ということで、急激な進行がない病気であることや大きな外科的な手術が必要な病ではないということで、「病気を患っている人をどのように受け入れていくか」「病気を患っている人がどう他者に受け入れてもらうか」ということを、ゆっくりと描いていました。

 病状がゆっくり進行する病気や、あるいは劇的な変化や外科手術をあまり必要としない病気を患っていると、本人にとっても、何がその病気によるものなのか、特に精神面ではよく分からなくなってきます。
 自分がイライラしているのは、病気のせいなのか、それとも単に自分がイライラしやすい性格なのか、ということが本人でも分からなくなってくるのです。
 本人にも分からないのに、周りにいる人が分かることはもっと難しく、例えば、自分を邪険にするのは、病気で苦しんでいるからなのか、嫌われてしまうようなことをしたのかが分かりません。

 映画なので、最終的にはハッピーエンドで終わるわけですが、一番印象的だったシーンは、マギーに誘われて行った「パーキンソン病と家族の会」の会場で、ジェイミーと同じようにパートナーを支えている高齢の男性の言葉です。
 ジェイミーが「アドバイスはありますか?」と聞くと、その男性はこう答えました。

すぐに分かれて、健康な相手を見つけなさい。

 
 結婚してから何十年も経ち、その間妻を支え続けていたその男性の言葉に、長年病気を患う人を支え、共に生活することの難しさが表れていると感じました。
 こういう正直な言葉を聞くと、僕のようなHSPうつ病を持っている人間を受け入れてくれる人を見つけることは難しいんだろうな、と思いますが、それでもこの高齢男性のように「そう言いつつも」支え、共に生活してくれる人が見つかると良いな、と思うのと、自分も誰かのそういう相手でありたいな、と思います。

受け入れることと謝まること

 12年に渡って一緒に暮らしていた子どもたちとの生活から突然暴力的に排除されたことは自分で思っているよりも大きな傷になっているようで、対人関係療法の本などを読むことによって一時回復してきたと思ったうつ病も、再度大きくぶり返してしまいました。
 精神的な調子が悪いから、ということもあるでしょうし、対人関係療法の本で明らかになったように、今回のうつ病発症は、重要な他者である元配偶者との不一致が原因なので、どうしても元配偶者との関係について考えてしまいます。
 対人関係療法では、重要な他者との不一致を解消するような具体的なアプローチが書かれていて、それによって回復することが目指されていましたが、僕の場合は、元配偶者がこの春だけでなく、もう何年も(というか結婚当初から?)僕とまともに話すことを拒んできたので、不一致の解消は不可能です。

 なので、僕は、元配偶者とまともなコミュニケーションが取れるような関係を築くことを目指すのではなく、何が不一致をもたらしたのか、その不一致が僕にとってなぜダメージだったのかをいろいろと考えています。

 元配偶者との12年間の生活で、大きな不一致だったのは、イヤだということを共有できていなかったことです。
 僕がイヤだと感じていることを、元配偶者は軽んじていました。
 性犯罪を受けた人やイジメにあっている人によく言われることですが、「大したことではない」、あるいは、そのイヤだということを受け入れたのは僕である(=だからしょうがいないこと)と言われ続けました。
 離れて暮らす今だから分かるのですが、これは本当に異常な状況で、誰かがイヤだ、すごく傷ついていると言っていることに対して、大したことではない、受け入れろ、というのはパートナーとしては、最悪な相手だったと思います。

 また、自分自身の「しあわせ」を考えたときに、一番重要だなと思うのは、「そのままの自分を愛されること」なのだということです。
 イヤだと感じている自分を、そして、辛いという自分を、そのまま受け入れてもらえることがしあわせなのかな、と思います。
 病める人を受け入れることは大変なことではありますが、元配偶者は眠れず病み辛い状況にいる僕を受け入れないばかりか、さらに追い詰めて殺そうとしたので、本当にパートナーとして最悪な相手でした。

 そして、もう一つ、決定的に僕にとってパートナーとして大きな不一致だったのが、元配偶者は「絶対に謝らない」人だったことです。

 

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 ささいなこと、家事のやり方が悪かったというか、方法がうまくなかったというのなら良いのですが、むしろ家事の量を増やすようなことをされた時にそれについて指摘をして、次からはこうして欲しいと伝えたような時にも、元配偶者は決して謝ることをしない人でした。

 僕自身は自己肯定感とか自尊心が極度に低いので謝ることというか、「ごめんなさい」とか「すみません」と言う言葉を日常的によく使うのですが、元配偶者からこの言葉を聞いた記憶がありません。
 その言葉を1回言うと何か自分の中でなくなるものでもあるとでも考えているのか、はたまた、教師という仕事をしているので、自分が絶対的に正しい存在とでも考えているのか分かりませんが、絶対に謝るということをしない人でした。

 謝らなかった、ということを書くと、謝って欲しい、謝罪して欲しいというように聞こえるかも知れませんが、パートナーとしては、謝って欲しいというよりは、自分がした「失敗」を受け入れてもらい、どうしたら「失敗」にならないのかすりあわせて欲しい、まずは自分のしたことを認めた上ですりあわせる方法を一緒に考えて欲しいと考えていました。
 相手がした行動で、僕自身に大きな負担が起きてすごく困ることがある、だから次からはそういうことがないようにしてほしい、というということです。

 けれど、そもそも元配偶者のように、絶対に謝らない人というのは、自分がしたことが相手に大きな負担を起こしていて、相手が困っている、ということを認められないし、受け入れられません。
 そうすると、それ以降同じようなことが起きないようにお互いに快適な状態にするための「すりあわせ」をすることも出来ません。
 この点もパートナーとして本当に大きな不一致だったな、と感じます。

・イヤだということを共有できているか。
・そのまま(特に病んでいるとき、弱っているときベース)の自分を受け入れてくれているか。
・素直に謝ることができるか。


 12年間も費やして、ものすごく大きな傷を負うことになりましたが、何がダメだったのか、自分にとってパートナーとの関係で重要なことはどんなことだったのか、ということを自分なりに少しずつ言葉に出来てきたのは良かったと思っています。