「恋妻家宮本」
Amazonでの評価が高かったのと、主夫仲間だった人がこの作品について触れていたのを見て、どんな内容なのか気になったので見てみました。
恋妻家宮本
恋妻家宮本(こいさいかみやもと) - 映画・映像|東宝WEB SITE
作品データ(映画.comより)
監督 遊川和彦
製作年 2017年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 117分
映倫区分 G
あらすじ(シネマトゥデイより)
子供が独り立ちした中学教師の宮本陽平(阿部寛)と妻・美代子(天海祐希)は、25年ぶりに訪れた夫婦二人きりの生活に困惑してしまう。ある夜、妻側の記入欄がきっちり記載された離婚届を見つけた陽平は激しく動揺するが、美代子に意図を聞き出すこともできず悶々とした日々を過ごす。混乱しながらも陽平は、料理教室の仲間や教え子と関わる中で家族の在り方を見つめ直し……。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
「セカンドライフ」というには早すぎる(若すぎる)ようにも思いますが、1人息子が就職&結婚で家を出て行き、残された夫婦が夫婦2人きりの生活に最初は戸惑いながらも、新たな生活を築き上げようとしていく、という内容です。
夫・陽平役の阿部寛のさえない感じがとても良かったです。
もっと格好いい役も出来るのに、なんとなくだらしがなく、清潔感もあるわけでもない中年をうまく演じています。
これがもっとスマートだったり、清潔感があって格好が良かったりすると物語の展開としても、「浮気」とか「不倫」とかそういう方面に進んでしまうと思うのですが、そういうことを全く感じさせず、それでいて、教師としても威圧的でもなく、ちょっと抜けてる先生っていう感じで生徒からも慕われている。
映画の冒頭から最後まで何回もデニーズでの場面が出てくるので何故なんだろうか、と思っていたら、原作が重松清の『ファミレス』ということで納得しました。
後に妻となる美代子と初めて出会った場所も、妊娠を告げられ結婚を決める場面も、息子が彼女を紹介してきたのも同じデニーズでの場面になっています。
子どもがいると、子どもが中心になることが多く、そうするとそれが20年以上も続くので、ふと2人になるとどうして良いのか分からなくなる。
ありがちだなぁ、と思いつつも、この映画を見てほんわかした気持ちになれるのは、妻・美代子が魅力的だからです。
魅力的というのは天海祐希の美貌とかそういうことではなく、じゃれてくると言うかそういう感じが良いな、と。
20年以上も経っていると「今更そんなこと」となってしまうところをあえて踏み込んでくるのがとても魅力的だと感じました。
おおのこうすけ『極主夫道』
先日、子どもたちと行ったとしまえんの帰りに、駅構内の書店で前面に展開されていて、それを見た次男が「これ読みたい」と言ったので買いました。
前面にドーンと展開されていた割には、狭い書店内には既刊の1、2巻が揃っていなかったので、池袋の三省堂で1~3巻まで買いました。
(ちなみに、長女はドラえもんを所望し、とりあえず1&2巻を買いました)
ということで、次男に買ってあげたものの、僕も前から少し気になっていた作品だったので、僕は僕で電子書籍版で読んでみました。
極主夫道 1巻: バンチコミックス Kindle版
内容(新潮社より)
元・最凶ヤクザが選んだのは、主夫としての道だった――。 鬼才の新鋭作家がおくる、アットホーム任侠コメディ!
感想
僕がこの作品の存在を知ったのはそれこそ、僕自身が主夫生活の終盤を迎えようとしていたときだったので、興味こそあれ、触手は伸びませんでした。
人気が出てきた去年から今年にかけては完全に僕は主夫ではなくなりましたし、次男が読みたいと言ったのは、僕が主夫だったからではなく、ネット上で無料で何話か読め、それが面白かったからだそうです。
実際、読んでみて、上に載せた内容に書いてある通り「コメディ」なので、笑って読めました。
何故彼が主夫になったのかという点については(まだ)描かれておらず、そもそも主夫を受け入れられない周囲との人間関係やそれに対する本人の葛藤といったような微妙というか繊細な展開は皆無です。
そもそも主人公の龍自身が「ヤクザ」というマイノリティだったこともあり、主夫になっても特にマイノリティとしての葛藤というようなものはなかったのかも知れません。
さらに、そもそも周囲から煙たがられるというかマイナスの目で見られることを前提として生きていた人にとっては、主夫になることは全く問題がないことなのかも知れません。
そして、さらに付け加えれば、子どもがいない家庭なので、「どうしても関わらなければならない人間」という数も限られているので、それもあるのかな、と思います。
笑える内容ですし、「シュフ」という仕事に焦点が当たるのはとても良いなと思いつつも、やっぱり最初に書いたように、彼が何故主夫になったのか、ということや、そもそも社会から排除されていたり見えなくされている存在が抱える葛藤のような部分も多少は読みたいなと思います。
「サバイバルファミリー」
Amazonプライムで観られる作品リストを眺めていたら評価が高かったので観てみた作品です。
サバイバルファミリー
作品データ(映画.comより)
監督 矢口史靖
製作年 2017年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 117分
映倫区分 G
ストーリー(東宝WEB SITEより)
ある日、突然サバイバルが始まった ―――!?
東京に暮らす平凡な一家、鈴木家。さえないお父さん(小日向文世)、天然なお母さん(深津絵里)、無口な息子(泉澤祐希)、スマホがすべての娘(葵わかな)。一緒にいるのになんだかバラバラな、ありふれた家族…。
そんな鈴木家に、ある朝突然、緊急事態発生! テレビや冷蔵庫、スマホにパソコンといった電化製品ばかりか、電車、自動車、ガス、水道、乾電池にいたるまで電気を必要とするすべてのものが完全にストップ!ただの停電かと思っていたけれど、どうもそうじゃない。次の日も、その次の日も、1週間たっても電気は戻らない…。情報も断絶された中、突然訪れた超不自由生活。
そんな中、父が一世一代の大決断を下す。
≪東京から脱出する!!≫
家族を待ち受けていたのは、減っていく食料、1本2,500円まで高騰する水、慣れない野宿。高速道路は車ではなく徒歩で移動する人でいっぱい、トンネルは真っ暗すぎて、一歩も進めない。しまいには食糧確保のために、必死で野ブタを追いかけることに…!?
一家は時にぶつかり合いながらも、必死で前へと進むが、さらなる困難が次々と襲いかかる!!
果たして、サバイバル能力ゼロの平凡一家は電気がなくなった世界で生き延びることができるのか!?
今、鈴木家のサバイバルライフの幕があがる!!
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
知らない作品だったのですが、面白かったです。
それもそのはず、観終わったあとで知ったことですが、監督が矢口史靖さんで、「ウォーターボーイズ」でヒットし、最近の作品だと「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」が面白かったです。
この作品はある日突然、電力が使えなくなり、電力を必要とするあらゆるものが使えなくなる中で生き抜いていく、ある家族を追っています。
電力が必要なものなので、当然携帯(スマホ)やパソコン、電車も使えませんし、バッテリーが使われている車類も動きませんし、飛行機も飛びません。
他にもATMも使えないので、お金も銀行から引き出すことが出来なくなります。
1日や数日ならまだ楽しむ余裕があったものの、それが1週間経ち、数週間経つとさすがに食べ物も水もなくなり(浄水場も電力が必要なので供給されない)、「サバイバル」情況に陥る。
その中で、口だけ偉そうに振る舞う父、魚をさばくことも出来ない母、家族とはほとんど話をせずにジャンクフードで過ごす大学生の息子、高校生の娘の鈴木家4人が最終的に、母の出身地である鹿児島の実家へ向かうという物語です。
途中、僕の実家がある地元が出てきたり、東名高速を使って移動するので関東に暮らす人にとっては結構馴染みのある場所が出て来るのですが、僕の地元は良いとしても、よくここまで大がかりな撮影が出来たな、とまずはそれに感心しました。
サバイバル術や道具に関しては、僕は山に登る装備があるし、小さな時から父に連れられ各地をキャンプさせられていたので割となんとかなりそうだなと思いつつも、それでもやっぱり知らないことも結構あったので、興味深かったです。
一番良かったのは、深津絵里というかお母さんの存在で、家族の調和を取っているところでした。
口だけの夫に従いつつも、実はやっぱりこんなことを考えてたんだ!という場面もあって、それでもキレることはなく、家族の調和を保とうとする。
女はこんなに大変なんだ!と表現することも出来る役柄だと思うのですが、そういう「不満」を見事に昇華(消化)させつつ、誰もが「この人がいないとこの家族は家族としてなり立たない」ということを分からせているところがとても良いな、と思いました。
こんなことあり得ないし、と一笑に付すことが出来ないのは、東日本大震災を経験しているからで、そうすると僕はどうやって過ごそうかというと、本でも読んで過ごせば良いやと思うのですが、その本の殆どは自炊(電子化)してしまっているので、水や食べ物よりも、「時間」をどう過ごすかが一番の課題になりそうです。
としまえん
前回子どもたちに会ったときに、次男が「ジェットコースターに乗りたい」、「ディズニーランドに行きたい」と言っていました。
ディズニーランドは年に1回くらいのペースで行っていたものの、それは元配偶者のクレジットカードのポイントを貯めて行っていたものでした。
なので、「ディズニーランドはお母さん(元配偶者)と行って」と伝え、ジェットコースターに乗りたいということなら、僕の実家からも割と近いのでとしまえんに行ってみることにしました。
チケットは子どもたち3人分と僕の分を用意したのですが、中学生になった長男は事前に「行かない」と連絡があり、次男と長女の3人で行ってきました。
ちょうどあじさいが咲く時期だったこともあり、園内には沢山のあじさいが咲いていました。
子どもたちは初めてのとしまえんでしたが、僕自身も最後に来たのが小学生か中学生の時で、夏のプールだったと思います。
なので、20年以上ぶりだったので、ほぼ記憶がない状態で行ってみたのですが、近くてビックリしました。
池袋から豊島園行きの電車に乗って行ったのですが、池袋から15分くらいでしたし、駅の目の前がとしまえんで、めちゃくちゃ近かったです。
そして、雨の予報の時だったからか園内も空いていて、それが何よりも良かったです。
長男が来なかったので、彼のために用意していた電子チケット代は無駄になってしまったものの、次男は乗りたいと言っていたジェットコースターに乗れ、長女は下の写真の車にすっかりはまってしまい、10回以上、1時間以上も繰り返し乗っていました。
僕もこの車のことは覚えていて、20年以上経っても変わってない!と驚いたとともに、楽しかった記憶が蘇ってきたのですが、まさか長女が10回以上も乗り続けるとは思いませんでした…。
空いていたので、終わったらまたすぐに並んで乗る、ということの繰り返しで、最初の何回かは次男も一緒に遊んでいましたが、そのうち次男は1人で違う所に行ったりしていました。
さすがに1時間以上経ったので、「他の所も行ってみようよ」と渋っていた長女と他のところで遊んで、ちょっと休憩しているところに雨が降ってきて、次男が最後にまた乗りたいというジェットコースター的なものに乗って終わりになりました。
池袋から近かったことと、空いていたことから次男も長女もすごく楽しめたようで、「また来ようね!」と言っていました。
すごく楽しんでいることが伝わってきたので、長男が来なかったことと、長男分のチケットは残念でしたが、としまえんを選んで良かったです。
姫野カオルコ『彼女は頭が悪いから』
発売された当初から読みたいなぁ、と思いつつ、値段が高いので(2000円弱)文庫になるまで待とうと思っていたのですが、この春にまた脚光を浴びていたので、読みたいなぁ、と思っていたら、電子書籍だと50%分ポイント還元(実質半額)キャンペーンの対象になっていたので、読んでみました。
ちなみに、春にまた脚光を浴びた理由は、東京大学の入学式で上野千鶴子名誉教授が行った祝辞で触れたからです。
彼女は頭が悪いから (文春e-book) Kindle版
『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ | 単行本 - 文藝春秋BOOKS
作品紹介(文芸春秋より)
私は東大生の将来をダメにした勘違い女なの?
深夜のマンションで起こった東大生5人による強制わいせつ事件。非難されたのはなぜか被害者の女子大生だった。
現実に起こった事件に着想を得た衝撃の書き下ろし「非さわやか100%青春小説」!
横浜市郊外のごくふつうの家庭で育った神立美咲は女子大に進学する。渋谷区広尾の申し分のない環境で育った竹内つばさは、東京大学理科1類に進学した。横浜のオクフェスの夜、ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。しかし、人々の妬み、劣等感、格差意識が交錯し、東大生5人によるおぞましい事件につながってゆく。
被害者の美咲がなぜ、「前途ある東大生より、バカ大学のおまえが逮捕されたほうが日本に有益」「この女、被害者がじゃなくて、自称被害者です。尻軽の勘違い女です」とまで、ネットで叩かれなければならなかったのか。
「わいせつ事件」の背景に隠された、学歴格差、スクールカースト、男女のコンプレックス、理系VS文系……。内なる日本人の差別意識をえぐり、とことん切なくて胸が苦しくなる「事実を越えた真実」。すべての東大関係者と、東大生や東大OBOGによって嫌な思いをした人々に。娘や息子を悲惨な事件から守りたいすべての保護者に。スクールカーストに苦しんだことがある人に。恋人ができなくて悩む女性と男性に。
この作品は彼女と彼らの物語であると同時に、私たちの物語です。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
姫野カオルコさんの作品は多分初めて読みました。
物語の前半(以上)はこの小説の基となる東京大学の学生たちが行った強制わいせつ事件の加害者と被害者の「事件」が起こるまでの出来事を追ったものです。
どこからが本当のことでどこまでが本当のことなのか僕には判断がつきませんが、著者の姫野さんはこの事件の裁判を傍聴した上でこの作品を書いたとのことです。
前に、学歴コンプレックスについて書いたことがありますが、僕自身は学歴に何も思うところはなく(祖父が尋常小学校卒(今の4年生まで)や兄は高卒など色々いたり、受験した経験がなかったり、そもそも僕の年齢では大学を卒業してから時間が経ちすぎていて参考にならない)、「東大だから」とか「○○大だから」とか考えたことがありません。
同級生に東大に進んだ友人もいたし、社会人になってから東大卒の人と出会ったり、あるいは大学は東大じゃなかったけど東大の大学院に入った友人はいますが、特に大きな「差」を感じたことはありません。
なので、率直に、この小説の前半部分で東大生が考えている(であろう)優越感とか、東大生であるがゆえに想像出来ない(であろう)ことも、そんなことを感じているの!?と驚きを感じました。
でも、一番驚いたのは、上野千鶴子さんの祝辞で沸き起こった反発の中に少なからずあった、そもそも東大生自体が自分たちが「恵まれた環境」にいるということへの無自覚さです。
東大生の保護者の年収は、日本全体の平均年収のほぼ2倍(参考:東大生の親の年収 950万円以上が51.8% 教育格差は中学受験から始まる? (1/2) 〈AERA〉|AERA dot. )で、学校の成績と保護者の年収は強い相関関係があることが明らかになっています。
なのに、そもそもその本人たちが自分たちは「かなり恵まれた環境にいる」ということにとことん無自覚です。
この小説の中で描かれる暴行事件を「姦淫しようとしたわけではない」というその心境が分かると共に、こういう感覚を持っている人たちが中央省庁だったり、あるいは裁判官といった「国の中枢」にいたら、そりゃ、こんなボロボロの国になるわな、と思わざるを得ませんでした。
それこそ、評価は今でも二分していますが、田中角栄のような中卒の首相がいたような頃だったらまだ逆に多様性があったのかもしれませんが、今というかここ数十年は固定された人たちによる固定された人たちの国家運営が続いているので、そりゃ、こんなことになるわ、と、優れた小説だと思うと共に、この国の今後に暗澹たる気持ちになる作品でした。
そういえば、(根拠は知りませんが)ある人がこんなことを書いていたのを思い出します。
「偉くなると共感力がなくなる」
僕はこの言葉を聞いたとき、だったら偉くなんてなりたくないと思いましたが、そもそも自分が「偉い」立場にいることに無自覚だったら、自分に共感力がないことにも無自覚なわけで、ある意味当然の帰結としてこの作品の基となる事件が起きたわけです。
それでも、上野千鶴子さんのような人がいることが東大にとって、あるいはこの国にとって数少ない希望なのかもしれません。
ジュンク堂池袋店の立教大学文学部書店
新聞を読んでいたら、ふとある記事が目に留まりました。
スクリーンショットなので読みにくいかも知れませんが、池袋にキャンパスがある立教大学の文学部の教員たちが選んだ本を、同じく池袋に本店があるジュンク堂に並べるという企画を紹介する新聞記事です。
僕、この大学、というか文学部出身なのと、ジュンク堂はそれこそ大学の時から好きな本屋さんなので行ってみました。
残念ながらというか、まぁ、ある程度想定済みだったのですが、僕の恩師は選書しておらず、僕が在籍していたときの教員の選書自体がわずかだったのですが、久しぶりに知的好奇心が惹起されました。
僕は文学部でもかなり特殊な学科にいたのですが、文学部じゃなかったら多分その学科には行きませんでした。
高校3年生になったとき、特にやることもなく(それまでは、部活だったりバイトしてました)たまたま見かけた本をきっかけに、読書をするようになりました。
僕が通っていた高校は(本当かどうか知りませんが)、当時、高校としては蔵書数が国内でも有数のものだということで、とりあえず、目に留まった本(小説)を片っ端から読む生活をしていました。
授業中は読書したり寝て、家に帰ったら借りてきたDVDで映画を観て過ごす、という日々を送っていました。
なので、大学に行くことになったとき、僕の中では「文学部」ということはとても重要なことでした。
担任には「(文学部だからではなく特殊な学科なので)就職出来ないぞ」と言われたものの、自分が何か物語を書くということは想像していませんでしたが、同じ学年で綿矢りさが出てきたり、とにかく文学とか映画とかに関われる方が良いと思い、選んだのでした。
で、久しぶりにジュンク堂に行き、企画コーナーを観ただけでなく、(冷やかしに)学部長のトークイベントにも少し顔を出してきました。
学部長は4年生の1年だけゼミに入らせてもらっていた先生でもあるのですが、話していた内容の殆どは聞いたことがあることでしたが、改めてこの大学出身で良かったな、と思いました。
「Pro Deo et Patria」
大学のシンボルマークの真ん中に書かれている言葉です。
ラテン語で「神と国のために」。
この「国」にあたる「Patria」の部分について学部長が学校の歴史の変遷と共に説明していたのですが、シンプルに言えば、「神と真理のために」という意味だということでした。
それを聞いて自分の中で再確認したのは、結局僕もこの「真理」ということを追究したいのだな、と。
死ぬまでその「真理」には到達出来ないかも知れないけれど、「真理」のために、「真理」を探究するために生きているのかもしれないな、とふと思ったのでした。
ちなみに、現学部生たちが選んだ本もあり、それらは絵本だったりするので、子どもから大人まで楽しめる書棚になっていると(かなりひいき目ですが)思いました。
10月末までやっているとのことなので、もし池袋に行く機会がある方は良かったら立ち寄ってみてください(最初に書いたように恩師U先生だけでなく、N学部長も一冊も選んでいませんでしたが…)。
荻上チキ、ヨシタケシンスケ『みらいめがね それでは息がつまるので』
いつも(ラジオクラウドで)聞いているラジオ番組Session22のパーソナリティを務める荻上チキさんの新刊が出るということで予約して買いました。
チキさんの本は今までもいくつか読んできたものの、予約購入してまで読んだ理由は、共著者がヨシタケシンスケさんだったからです。
僕はヨシタケシンスケさんのファンで、ヨシタケさんの新刊絵本が出る度に買い、子どもたちと一緒に読んでいましたし、サイン会にも行ったことがあります。
内容については全く知らなかったのですが、チキさんとヨシタケさんが組み合わさったら読まずにはいられない!ということで予約して購入し、すぐに読みました。
みらいめがね それでは息がつまるので
内容(暮しの手帖社より)
気鋭の評論家荻上チキさんと大人気絵本作家ヨシタケシンスケさんの共著。『暮しの手帖』の好評連載が1冊にまとまりました。本書は、荻上さんのエッセイとヨシタケさんのイラストで、ひとつのテーマを二人の視点から解き明かす新感覚エッセイです。生きづらさにつながる「~すべきだ」「~らしく」という言葉や、もやっとした不安。『みらいめがね』は、そんな思いにとらわれた心をほぐし、世の中を見る目を変えていきます。連載時の15話に加えて、ヨシタケさんの傑作あとがきマンガが付いています。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
僕は普段買う本は基本的に自炊(電子化)して、タブレットで読んでいるのですが、この本はその作業さえ面倒なので、購入後すぐに紙の状態で読み始めたのですが、紙のまま読んで良かったです。
何故かというと、手元に紙の本として残したいと思う内容だったからです。
どんなことが書かれているのかというと、上に載せた暮しの手帖社の紹介にあるように、チキさんのエッセイに、ヨシタケさんのイラストが載っています。
出版された直後の番組(【音声配信】「荻上チキ復帰!ヨシタケシンスケさんとの共著『みらいめがね』発売!▼2019年5月24日(金)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」))で番組パートナーの南部広美さんがおっしゃっていたように、チキさんとお母さんとの話は、チキさんとお母さんとの和解(のようなもの)の話でありつつ、女性の「ガラスの天井」の話でもあり、個人が抱えている課題が社会と密接に関わっているということを優しい文章で書いたとても優れた文章だと感じました。
また、チキさんがうつ病を患っていることから、それに絡む話も載っていて、「人生病、リハビリ中」というエッセイでは、「何かに依存するのを無理にやめるのではなく、むしろ依存先を増やすことによって分散することが重要なのだ」ということは「『理屈では』とうに知っていた」けれど、「いざ自分が、『当事者』となった時、そのあまりの重圧に驚いた」という文章は、心の底から「そうなんだよ」と思いました。
「『呪いの言葉』に向き合う」というエッセイは電車の中で読んでいたのですが、思わず涙が出てきました。
通勤電車内ではなかったのでまだ良かったのですが、そのエッセイには、チキさんが「呪いの言葉」にどう向き合ってきたか(向き合っているか)だけではなく、「『自分は参っている』と打ち明け始めた」ことが書かれていました。
僕もようやく去年になって、自分が参っていることを親や友人に伝えることが出来るようになりました。
そのときのことがツーっと自分の中で沸き起こってきたのかもしれません。
ここまで書いてきたことだけの紹介だと固い話ばかりのように感じるかもしれませんが、かつて僕も聞いていた「ツインビーパラダイス」(ラジオ番組)の話だとか、(チキさんとはほぼ同世代なので)僕自身もすっかり忘れていた当時のことを思い出し懐かしく感じるものや、就職と今の仕事にどうやってつながってきたかなどの話も勝手にチキさんに抱いていた「すごい人」像を壊してくれると同時に、僕もなんとかやっていけるかもしれないなと感じるものでした。
これからもチキさんのエッセイをどこかで読めると良いな、と切に願っています。