映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

深谷かほる『夜廻り猫』

 手塚治虫文化賞などを受賞しているので知っている人もかなりいると思いますが、『夜廻り猫』の一巻がKindleで無料だったので、早速読んでみました。


夜廻り猫(1) Kindle版


 元々は作者の深谷かほるさんがTwitter@fukaya91)で投稿していた短編マンガなのですが、反響があって、今ではモアイというWebコミックで連載されています。

夜廻り猫/深谷かほる - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

 朝日新聞でも月に一回くらいで載っているので、それで目にしている人も多いかも知れません。

 

digital.asahi.com

 
 Twitterや新聞、Webで読んでいたものの、最初から読んでいたわけでも毎回読んでいる訳でもないので、一番最初の話から読めたのは良かったです。
 また、新聞では夜廻り猫の遠藤さんだけが出てくるものしか見たことがなかったと思うのですが、重郎などの他の猫たちや、それらの猫たちのエピソードが分かったり、1回では終わらない4回や5回に分けて描かれているエピソードなども読むことが出来てとても良かったです。

 個人的に力をもらったのは最後に描かれているこのシーンです。
 

f:id:ysdnbm:20180729164022j:plain


 最近も国会議員がLGBTなどのセクシャルマイノリティーの人たちを「生産性」という言葉を使って差別し、さらにそれを与党も思想の自由、表現の自由と言うことで許容したことが大きな問題だとして取り上げられました。

 そもそも子どもを授かることがなぜ「生産(性)」なのか理解出来ませんし(子どもは「生産」する(つくる)ものではなく、授かるものだと理解しています)、今までほぼヘテロセクシャル異性愛)だけを前提とした社会設計をしてきて、その環境を整えてきたにも関わらず、既にいることが科学的にも分かっている非ヘテロセクシャルの人たちが生きやすくなるような環境や社会設計をすることは当たり前のことだと思います。

 と、ちょっと話がずれましたが、夜廻り猫が語る言葉は非常に重いものだと思いました。

あの子は動かないが
耐えるという仕事をしている
あの子は何も出来ないように見えるが
二十四時間闘っている


 この言葉が重要だと思ったのは、経済的な指標だけが評価の軸になるのではないこと、さらに、「何もしていないように見えても違うこと」、そしてその「何もしていないように見える」ことに対しても積極的な意味を見いだしていることです。
 うつで苦しんでいるとき、どうしても死んでしまいたくなるときがあります。
 そのとき、自分が何も生み出していない、価値のない人間だと思い、また、実際に仕事をしていないと本当に無価値な人間だと感じてしまいます。
 そうじゃない、生きているだけで良いんだ、ということを実感するためには、そもそも経済的な指標だけが評価の軸ではないということを社会で認知され、共有されることが必要ですし、さらに、何もしていないように見えてても、例えば「うつで苦しむという仕事をしている」というように、今生きていることに積極的な価値を見いだすことが出来る、そういうとても大切な言葉なのだと思いました。