映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「ロケットマン」

 昨日書いた画家の島田優里さんと話している中で映画の話になりました。
 そこで、これから観ようと思っている映画作品であがったのがこの作品です。
 町山智浩さんの映画評をラジオで聴いて、観ようとは思っていたのですが、音楽の映画は映画館で観ないと!と言われ、確かにそうかも、と思ったのと、エルトン・ジョンの歌を久しぶりに聴いたら、観たいという気持ちが強くなったので(自分が観たい映画としては)久しぶりに映画館で観てきました。
 公開から少し経っていることもあるのか、観られる映画館が限られていて、しかも、Dolbyの音響が良いということで特別料金だったので、懐は痛んだのですが、「映画館で観て良かった」と心から思う作品でした。
 まだ間に合うので、是非映画館で観てもらいたい作品です。
 

youtu.be

 

映画『ロケットマン』公式サイト


作品データ映画.comより)
原題:Rocketman
監督 デクスター・フレッチャ
製作年 2019年
製作国 イギリス・アメリカ合作
配給 東和ピクチャーズ
上映時間 121分
映倫区分 PG12

STORY
(公式サイトより)
I WANT LOVE ―
愛が欲しい、でも叶わない少年時代
イギリス郊外ピナー。家に寄りつかない厳格な父親と、子供に無関心な母親。けんかの絶えない不仲な両親の間で、孤独を感じて育った少年レジナルド・ドワイト。唯一神に祝福されていたのは彼の才能――天才的な音楽センスを見出され、国立音楽院に入学する。その後、寂しさを紛らわすようにロックに傾倒する少年は、ミュージシャンになることを夢見て、古くさい自分の名前を捨てることを決意する。新たな彼の名前は「エルトン・ジョン」だった。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 僕がエルトン・ジョンという人の音楽をちゃんと聴いたのは、元チャールズ皇太子妃ダイアナさんが亡くなった時の追悼曲が始まりです。
 僕が中学生の時の出来事で、(小学生よりは)自分で使えるお金が増えたのと、その歌を聴いて(テレビで観て)、英語だったので当時そこまで歌詞はわかっていなかったと思いますが何か心を動かされるものがあり、その曲のCDを購入しました。
 そして、その曲を延々と聴いていた記憶があります。

 映画の内容ですが、映画を観てこんな状態になったのは初めての作品でした。
 というのも、感動的な場面もあって、涙する場面もあるのですが、観終わったあとの方が涙するというか、帰るまで(というか、これを書いている今も)涙がじわじわと出てくる内容でした。
(以後、ネタバレ含みます)

 この投稿を書くために公式サイトを見ましたが、「I WANT LOVE」という紹介が端的にその内容を示していると思います。
 なぜ僕が映画を観終わったあともグズグズと泣いているのか。
 それは、「I WANT LOVE」という言葉が端的に表していると感じています。

 映画では親(特に父親)から愛されなかったエルトンの姿が描かれています。
 世間的には「成功」したので気持ちを奮い立たせ、自分がゲイだと父親に告白しようとするけれど、それ以前に父親の態度から全く「愛」を感じられずに引き返すエルトン。
 そして、同時に母親にカミングアウトするも、それは誰にも言ってはいけないことで、「誰からも愛されることはない」と言われてしまう。
 また、愛し合っていると思っていたパートナーからも、「愛」でつながっていない現実を突きつけられてしまう。

 その中で、アルコールから始まり、コカイン、処方薬、セックス、買いものと様々なものに「依存」していきます。
 そこまでの様子は、エイミー・ワインハウスの死までを描いた「AMY エイミー」と同じような過程だなと感じながら観ていました。

 誰かから愛されること、特にこの映画で言えば「ハグ」されることを求めていたエルトン。
 けれど、一番求めている相手から拒否され、さらに(自身は気付いていないのだろうけれど)相手を試すかのように突き放そうとする。
 突き放すことによって、相手が自分のことを「愛」していることを確かめようとするエルトン。

 相手にとってはそんなことをされて受けいれられる訳はなく、逆にどんどん離れてしまい、益々アルコール、薬物、セックスに依存していく。
 それと同時に、自分の身を守る鎧かのように、派手になっていく衣装とパフォーマンス。

 このままでは破滅する、というところでエルトン・ジョンが「助け」を周囲に求めた結果、少しずつ回復し、今では結婚し、子どもも育てているという「ハッピー」な状態を知っているのでそのまま観られたものの、エイミー・ワインハウスのように助けを求めることが出来ない人を見てきて、僕もそういう人間でもあるので、それが逆につらく感じました。

 それこそ比べても仕方のないものなのですが、エイミー・ワインハウスエルトン・ジョンのように何か、多くの人に大きな感動や衝撃を残したのならまだしも、僕は何も残していないわけで、だけれども、誰かに「ハグ」されたいと思っている人間にとっては、正直なところしんどいな、と。
 この映画で誰がエルトンをハグし続けているのかというと、歌詞の共同制作者であるバーニーです。
 彼がいなかったら、エルトンはもういなくなっていたでしょう。
 パートナーではないけれど、出会った時から、どんなに自分がひどいことを言ったりしたときでも愛してくれている存在がいる。
 それがどれほど「生きる」上で大きな存在か。

 エルトンにとってのバーニーのような存在が自分にいるだろうか、あるいは自分が誰かのバーニーのような存在でいられているだろうかと考えるとき、また涙があふれてくるのでした。