映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

2020年とこの1週間

 夏が終わる頃、2020年に何があったのか、自分の周りのことだけでも記録しておこうと思っていました。
 記憶はすぐに薄れていくし、時が過ぎれば過ぎるほど、誤作動も発生してしまうので。
 夏が終わる頃だったら、まだ1月からのこともなんとか書けるのではと思っていたのですが、結局2020年も終わり、2021年になってから10日も過ぎてしまいました。
 2020年の1年については、フィクションという形で書こうと思っていたのですが、それにも時間がかかってしまうのと、年明けからの仕事が1週間過ぎ、やはりそれはきつくて、それが理由でメンタルがやられていて、それに対する方法が、僕にとっては「書く」ということなので、とりあえず、2020年にどんなことがあったのか、今、書いてみようと思いました。

  1. 仕事
    2020年の1月から新しい職場で働くことになりました。
    本当は4月からの採用予定だったのですが、1日でも早く来て欲しいということで、10月に決まった採用を前勤務先との折り合いでなんとか区切れたので12月に辞め、1月から働くことになりました。
    それに当たって関東ではあるもの、今まで住んだことのない県に引っ越し、全く知らない土地で暮らすことになりました。
    それ自体は、22歳で実家を出てから引っ越しを繰り返してきた身としては引っ越し代は毎回かかるものの、まぁ、こんなものだよな、という感じだったのですが、仕事自体はとてもきつかったし、今もきついな、と思います。
    それというのも、簡単に言えば、当初からの人員不足に加え、引き継いだ仕事を把握している人が殆ど誰もいないという状況、そして、前職の関係で、そういうのは僕が詳しいということで、振られる仕事が多々あるからです。
    僕は3月末で定年退職になった人の代わりとして入ったのですが、3か月でその方がやっていた仕事を引き継げるわけでもなく、残りの9か月はほぼ何も分からず、自分でなんとかするしかありませんでした。
    当然ながら、そうするとミスも出て来るし、分からないこと、知らないこともあって、怒られるということもありました。
    また、COVID-19の影響は僕の職場にも当然やってきて、2月末から完全オンラインということになったので(と言っても、僕は毎日出勤していましたが)、6月頃から少しずつ戻ってきましたが、その対応にも追われました。

  2. 2020年の目標と資格取得
    2020年にどうしても終わらせておきたかったことがありました。
    それは、47都道府県全部を旅行しておくことでした。
    あと数県行けば終わるというところまで来ていた2020年ですが、日本でもCOVID-19の流行が起き、これは出来ないかも知れないと思いつつ、出来ないかもと思っていたら、いつまでも出来ないだろうし、何よりも日々ストレスを感じていた毎日の中で、ここで諦めてしまったら、何もせずに1年が終わるし、精神衛生上も良くないと思い、今となってはまだまだ序の口とも言えるような3月末に九州中央3県(宮崎、大分、熊本)に行きました。
    あと残すは三重県のみとなったのですが、この後すぐに緊急事態宣言が出て、もはや無理かな、と思っていたのですが、長男が通う中学校の運動会が完全無観客で行うことになり、その日有給を取っていたので、普段は土曜日は出勤なのですが、土日が連休になったので10月末に一泊二日で三重県に行ってきました。
    これで47都道府県旅行したことがあることになって、それはまぁ、実際のところ「おまけ」のようなもので、改めて実感したのは、旅に出ること自体が僕にとってはとても必要なことなんだということでした。
    以前から「(ムーミンに出てくる)スナフキンになりたい」と公言してきましたが、何故スナフキンになりたいのかと言えば、旅人だからです。
    まぁ、そんな感じで47都道府県旅行したことがあることになったのですが、もう一つ、これはとても簡単なものなのですが、資格も取得しました。
    一日講習を受け、学科試験と実技講習を受ければ取得出来るものなのですが、何せこのCOVID-19が流行る中、講習自体が制限されていて、2か月前から申し込み、なんとか取得することが出来ました。
    今の仕事に何の役に立つの?と言われれば全く役に立たないのですが、「何でも自分でやりたい」「何でも自分で出来るようになりたい」という性質の僕にとっては一つ「出来ること」「公にやって良いこと」が出来たのは嬉しいことです。

  3. パステル画
    2020年の僕の生活で大きく変わったことの一つは「絵を描くようになった」ということです。
    これは、以前書きましたが(パステル画はじめました)、坂口恭平さんの影響です。
    絵を描くことは僕自身とても苦手だと思っていました。
    それは、小学5、6年生の時の担任の影響で、その時、僕は人間を描いたのですが、その教師は「これは人間ではない。描き直すように。」と言ってきました。
    その時のことが僕の中ではずっと残っていて、学校の美術の授業と、子どもたちに頼まれて描くとき以外は、絵というものを描きませんでしたし、苦手でなるべく距離を取りたいものでした。
    けれど、描いてみると周りの人たちの反応は全く違うものでした。
    美術を専門にしていた大学&大学院の先輩からも褒められ、想像も出来ないような反応が返ってきました。
    正月にもらった年賀状でも、僕の絵について触れてくれている人も多く、僕が知っていた以上に僕の絵を見ていてくれて、楽しみにしていてくれる人がいることを知りました。
    褒められてとても嬉しいのですが、絵を描くこと、パステルで絵を描くことは、何よりも自分のためになっています。
    僕は夕食をとった後に一枚描くことにしていて、誰かと食事を取る(といっても2020年はほぼありませんでした)時や、泊まり(これもほぼなし)の時以外は毎日描いています。
    どんなに仕事で嫌なことがあったときも、昨日がそうだったのですが、メンタルがやられていて、あぁ、死んでしまいたい、と思うような日でも、描けるような気が全くしない日でも描いています。
    絵を描いているのは大体30分から長くても1時間なのですが、その時間だけは苦しくなることもなく、絵に集中することが出来ます。
    また、僕にとって良い働きになっているのは、絵の具がパステルだということが大きいと思います。
    絵を見せると、何で描いているのか、どんな道具を使っているのか聞かれるのですが、道具といえるものと言えば、紙を押さえるため(指に付いたパステルが付かないように)の小さな薄いステンレス板だけで、パステルと指を使って描いています。
    この「指で描く」ということが良いような気がしています。

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  4.  年末とこの1週間
    2020年が終わり、年が明け仕事が始まって1週間、何だがとても疲れました。
    2020年10月から、そもそも人員不足なところに、双極性障害のある同僚が休みがちになりました。
    遅刻と欠勤を繰り返し、それが12月まで続きました。
    僕が担当する仕事さえ分かっていないのに、その方の仕事もカバーしなければならず、流石にこれ以上は僕も続けられない、と上司にもそのまた上司にも伝え、12月には一番トップにも時間を作ってもらい、話をしました。
    そうして、とりあえず1月から3か月ということで、人を増やしてもらえることになったのですが、それが決まった12月中旬から、双極性障害のある方が躁状態になっていました。
    あまりの躁状態ぶりに年明けはうつになるかもな、なんて思っていたのですが、今のところ遅刻もせずに、若干躁状態気味ですが、また近々うつ状態になりそうな感じがしています。
    そんな状態なので、その方の状態にあまり左右されないようにしつつも、やはり影響はありますし、僕は躁にはならないので(うつだけ)、自分を保つことに集中しています。
    それと年末24日には出勤時にバイクに巻き込まれる事故に遭いました。
    その日から上司が入院が決まっていて、年内は出勤しないことが分かっていて、同僚も遅刻する状態だったので(実際遅刻してきた)、僕が出勤しなければ誰もいないという状況だったので、骨とかは折れていなさそうだったのと、頭は打たなかったので、そのまま出勤しました。
    バイク(原付)に乗っていた人には、クソとは思いましたが(状況としては僕が右曲がりの直線を走っていたところに左に入る道に進もうとしたバイクが無理矢理追い越そうとして僕を巻き込んだ形です)。
    とにかくその時は出勤しないと誰もいないということしか考えられず、あとになってみると結構ひどい状態でした。
    右に倒れたのでズボン、手袋、ジャンパーの右が破け、ズボンと手袋は捨てなければならなくなりました。
    そして、左ふくらはぎを自転車にぶつけていたようで、当日からとても痛かったのですが、肉離れを起こし、さらに内出血もしていたようで、左足を引きずりながら歩き、日に日に左足の足首にかけて赤黒くなっていきました。
    当然右側の身体も傷を負っていて、擦り傷でしたが、血が出ていました。
    1月に入り、新しく人も増えているのになんでこんなに疲れているのかと言えば、やっぱりCOVID-19の影響かな、と思っています。
    僕自身はほぼ外食もしないし、通勤も自転車ですし、休日も家で過ごしていて、関わる人も決まっているので、感染に関しては特に不安などもないのですが、とにかく2021年になってからというもの、周りの人がピリピリしています。
    12月31日の感染者(陽性判明者)数だったり、緊急事態宣言だったりと不安になったり、実際に困っているのだろうとは思いますが、僕はなんというか、「文句を言いやすい人」「文句を言われやすい人」で、年が明けてからすでに数人から色々言われ、それがメンタルをやられている理由だと思っています。
    まぁ、言い返せば良いのかも知れませんが、僕はあとからゆっくり考えるという性質なので、結局あとから色々あの時こう言えば良かったとか思ったところでも何にもならないので、結局メンタルはやられたままになります。

    ということで、メンタルをやられたままにしておかない方法として、少しでも回復させようということの一つが、僕にとってはこうして「書く」ということなので、書いてみました。