餃子の味、自分の味
先日、母の日だったので、実家にて餃子を作りました。
母の日だから、ということで一応僕が作りましたが、餃子を食べたかったのは僕自身でした。
一人で暮らしているのと、今住んでいるところが台所というのも相応しくないような料理する気力が全く沸かないところなので、外食時に餃子を食べたりしたものの、今いちしっくり来ませんでした。
先日、外出先で昼食の時間になったので、「ぎょうざの〇〇」(チェーン店)に入って餃子定食を頼んだのですが、なんだか僕の口にまったく合いませんでした。
母にその話をしたら、その店で売っている生餃子を家で焼いたらおいしかったということなので、僕の味覚が母とは違うのか、それとも、お店で焼いている様子を見ていたら大量に投入されていた油が原因なのか、どちらにせよ自分の口には合わず…。
ということで、自分だけのために作る気は起きませんが、何人かいるのなら、ということで、母の日という名目で作りました。
慣れていないキッチンやいつもと違うメーカーの材料で作るのは少し勝手が違い、包んだり焼き加減が難しかったものの、やはり「自分の味」になっていました。
自分の口に合っている食べ物を割と自由に食べられる環境って、それだけで幸せなことなのかも知れないな、と思いました。
田房永子『キレる私をやめたい』
先日、Twitterを見ていたら、この記事が目にとまりました。
LOVE PIECE CLUB - 田房永子 - 山口達也と非生産
この記事の中で、この言葉がすごく共感できました。
私個人が理想とする世の中は、朝の情報番組のメインパーソナリティーである国民的アイドルスターが「実は私、アルコール依存症の治療のため、いま現在、病院からここまで通勤しています」と告白できる空気のある世界。その経過を含めてみんなで見守れる世間。依存症になってしまったことを恥じるのではなく、本人の甘えとか弱さとかで済ますのでもなく、隠さないでいられる空気である。
たぶん、僕はこの「アルコール依存症」という部分を自分の「うつ」ということに重ねているのだと思います。
「うつ」を本人の甘えとか弱さで済まされることなく、隠さないでいられる空気。
「○○君どうしちゃったのか、心配になりました。支離滅裂なことを言っていて、疲れているのか病気なのか、診断名が出ればこちらも納得できるのですが」
と、僕のこの状態を病気だと理解してくれる言葉や存在。
文章の最後に、この文章を書いた田房さんの著者について触れられていました。
田房さんの著書は今まで『母がしんどい』(紹介した記事)、『男しか行けない場所に女が行ってきました』(紹介した記事)を読んだことがあり、朝日新聞でも夕刊にたまに漫画が載っているのですが、この本は読んだことがありませんでした。
知らなかったと言うことではなく、自分には関係がないかな、と思い読んでいなかったのですが、今回僕が突然家から放り出された原因が、まさにこのことだったので、そのまますぐに購入し、すぐに読みました。
漫画なので、読むのは30分くらいで読めたのですが、田房さんと僕とでは性別が違うものの、最初から描かれている、特定の人にだけキレるというところから、自分のことのように感じました。
この本の中ではゲシュタルト療法というものが載っていて、田房さんはそれがとても効果があったようなのですが、ゲシュタルト療法についての本を探してみましたが、手頃なものがなく、僕はまだ読めていません。
また、田房さんがゲシュタルト療法のカウンセリングを受けている様子も描かれているのですが、僕自身には少しハードルが高いように感じました。
けれど、その後に載っている、田房さんがやってみて効果があったとされる三つのこと、「休むこと」「『今ここにいる』ようにする」「自分をほめる」というのは自分でもやれそうだと思ったので、すぐにやってみることにしました。
休むことは、無理をしないこと。
新しい生活には「やることがない」、と戸惑うことも多かったのですが、逆に疲れていたり、眠かったら、いつでも寝られるということ。
とりあえず、疲れを感じたり、眠かったら、休んでしまおう、ということにしました。
「『今ここにいる』ようにする」ということは、抗うつ薬の効果もあると思いますが、不安に駆られたりするときに良い、と感じています。
イヤな出来事を度々思い出しては苦しむ、ということをここ数年してきて、薬を飲み始めた頃は、ついさっき送ったり送られてきたメールが頭から離れず、ずっと考えてしまい、考えずにはいられない、という状態だったのですが、そうなりそうな時に、「今ここにいる」ということに気持ちを向けるだけで、考えずにはいられないという、その深みにはまることがなくなりました。
「自分をほめる」ということについては、とりあえずマイブックに小さなことでも、その日出来たことを書くことを始めました。
まだ、効果は特に感じていませんが、この本の後に読んで昨日紹介した『うつからの脱出』の回復日記と同じようなことなのかな、と思い、ほめる、ということもそうなのですが、できた、これをやった、ということをとにかく書くようにしています。
この本だけでなく、『うつからの脱出』もそのすぐ後に読んだことで、2つの本の内容がリンクして、自分の中で理解が深まるというか、より実践してみようという気になりました。
下園壮太『うつからの脱出』
2年半前くらいから2時とか3時とかの早朝に目が覚めてしまい、眠れなくなる、という状態が続いていました。
うまく眠れていない、ということを同居人に話しても、「6時間くらい眠れてるなら大丈夫じゃない?」と言われ、元々8時間くらい(学生時代はそれ以上)寝ていたのですが、「そんなに気に病むことではないのかも」と自分を納得させていました。
でも、やっぱりうまく眠れていないと、昼間眠くなるし、かといって昼寝が出来る訳でもないし、頭もうまく動かず、体も張るというか、筋肉がこわばったりするので、睡眠に良いといわれることをいくつも試してみました。
睡眠に効くと言われる健康食品だったり、メラトニンを補うサプリメントだったり、アプリで睡眠の質を計ってみたり。
結局そのどれもがやはりうまく行かず、今年に入ってから、本当に心身の不調がひどくなっていました。
体の疲れに対しては栄養ドリンクを飲んだり、休日に少し昼寝することでやり過ごしていたのですが、精神面では、遠くに行きたい、誰もいないようなところに行きたい、1人でひっそりと暮らしたい、と思うようになり、それを家族の前でも言ってもいました。
娘はそれを思い出して、僕の前で何回か泣いたこともあるのですが、僕はそれを見ても何も感じず、益々絶望的な状況に追い込まれているような気持ちになりました。
そして、3月末、突然今まで生活していた家から放り出されることになったのですが、希死念慮があまりにもひどくなったので、すぐに病院を予約し、行くことにしました。
8年ちょっと前にも一度かかったことがあるのですが、「うつ」になっていました。
通院を始めて1ヶ月、睡眠に関しては改善していないのですが、精神的には希死念慮や不安などもかなりなくなり、気持ちは少し落ち着いてきました。
そんなときに新聞広告に載っていた本がこの本です。
突然新しい生活を始めることになったので、節約しなくてはならず、本を自由に買える状況でもないとは思いつつも、なんだかすごく気になって買いました。
届いた本をすぐに読み始めたのですが、すごく自分には励みというか、マッチしているというか、そういう印象を持ちました。
うつの治療として、認知療法、認知行動療法というものがあって、うつになっている人の考え方の特徴(偏り)がうつになった原因でもあるから、その原因である考え方の特徴(偏り)を自分自身で認識し、偏りをなくそう、というものです。
それは、つまり、シンプルに言えば、「今までの自分だと病気になる原因があるままだから、その原因である今までの自分を変えなくてはならない」ということです。
確かに、合理的というか、納得が出来る考え方ではあるのですが、自分自身の考え方に特徴(偏り)があると言われても、それが自分で認識できたとしても、その特徴(偏り)を意識して体得した訳でもないので、修正するのは正直難しいのです。
でも、この本で著者は、特徴があるのは良いこと、別に変えなくても良い、と書いてくれていました。
それよりも、不安が来るのは、元々身体に備わっているスイッチが入ってしまったから、だからそれを緩めるようにするにはどうすれば良いのか、ということを具体的に示してくれています。
例えば、呼吸を1~100まで数えてみる、とか身体の感覚に意識を向ける方法、回復日記を書いていくことなど。
なぜ、心身がこんな状態になってしまっているのか、ということをわかりやすく説明してくれ、そして何よりもそれは誰しもが起きることで、だからこそそこからも脱出していける、ということが示されていて、今までいくつかの「うつ」に関する本を読んできましたが、一番良かったです。
もし、機会があれば、身近な人にも渡して、読んでもらおうかな、と思っています。
ブログ、仕切り直し
7年あまり、主夫としての生活を中心に、家事だったり、子どもたちとの日々の出来事を書いたブログをfc2で書いていましたが、自分にとってもすごく突然だったのですが、4月から主夫という役割はなくなり、新しい生活を始めることになりました。
新しい生活に少しずつ慣れ、そういえば、と、今まで書いていたブログをどうするか、と思い出しました。
主夫としての役割がなくなったので、今までのところでそのまま書く、ということは出来ないけれど、7年間書いてきたものを、全くなしにすることもなんだか自分を否定するようでイヤだな、ということで、場所を移してブログを書き続けようと思いました。
新しくはてなで書くに当たり、自分の趣味である、山や映画、本についての記事は残し、それ以外の子育てについてのものは削除しました。
ということで、2018年4月以前の記事は、リンク先がfc2時のものも多々あります。
時間があるときに少しずつ変更していきたいと思っていますが、過去の記事を読む際にはご注意ください。
「マリアンヌ」
作品データ(映画.comより)
原題 Allied
製作年 2016年
製作国 アメリカ
配給 東和ピクチャーズ
上映時間 124分
映倫区分 PG12
ストーリー(映画.comより)
1942年、カサブランカ。秘密諜報員のマックスとフランス軍レジスタンスのマリアンヌは、ある重大なミッションを通して運命の出会いを果たす。それは、夫婦を装って敵の裏をかき、ドイツ大使を狙うというものだった。その後、ロンドンで再会した2人は恋に落ちるが、マリアンヌは誰にも言えない秘密を抱えていた。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
この映画もAmazonプライムビデオ(プライム会員だと無料で観られる)で観ました。
ブラッド・ピットが主演の前作「フューリー」を観た際に、内容よりもブラッド・ピットの老けっぷりが気になりました。
まぁ、気になるといっても、50歳を越えているので、50歳くらいの役柄だったら気にならなかったのでしょうが、若手兵士役柄だったので、すごく気になりました。
今回の作品も割と若い役柄を演じるようなので、少しその点が気になっていたのですが、結果的には全く気になりませんでした。
むしろ、マリオン・コティヤールが老けたかな?という印象で、そうすると、2人がぴったりのカップルという感じに映ったので、設定的に丁度良い感じでした。
物語としては、スパイ同士だった2人が出会い、結婚、幸せに過ごしていたけれど、マリアンヌは二重スパイだった、というもの。
この作品が観客に見せようとしているのは、スパイの駆け引きだとか、アクションシーンとかではなく、このブラッド・ピットとマリオン・コティヤールという美男美女の2人の姿です。
出会って、結婚して、子どもも授かって、という流れなので、2人が抱き合っていたり、キスしていたり、半裸だったりするのですが、その2人の姿を見せたいのだろうな、という内容でした。
だから、他の人がこの2人を演じたら全く違う印象になるだろうし、それは、話の内容のおもしろさ、ということではなく、単にブラッド・ピットやマリオン・コティヤールの姿を見るためにある映画なのだろうな、と思います。
「サウルの息子」
作品データ(映画.comより)
原題 Saul fia
製作年 2015年
製作国 ハンガリー
配給 ファインフィルムズ
上映時間 107分
映倫区分 G
ストーリー(公式サイトより)
1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。サウルは、ハンガリー系のユダヤ人で、ゾンダーコマンドとして働いている。ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜した、同胞であるユダヤ人の死体処理に従事する特殊部隊のことである。彼らはそこで生き延びるためには、人間としての感情を押し殺すしか術が無い。
ある日、サウルは、ガス室で生き残った息子とおぼしき少年を発見する。少年はサウルの目の前ですぐさま殺されてしまうのだが、サウルはなんとかラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって手厚く埋葬してやろうと、収容所内を奔走する。そんな中、ゾンダーコマンド達の間には収容所脱走計画が秘密裏に進んでいた・・・。
*ユダヤ教では火葬は死者が復活できないとして禁じられている。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
僕は基本的にストーリーに関して殆ど予備知識を入れずに観始めるのですが、この作品は状況を把握するのに少し時間がかかりました。
物語の冒頭、主人公のサウルたちがやっている仕事(作業?)は、遺体の運び出し。
その様子が淡々と描かれる中、息子も殺されてしまう。
そこでものすごく悲しむわけでもなく、本当に淡々とその事実を受け入れる(ように見える)様子が絵が描かれます。
けれど、サウルはラビを探していくのですが、ラビを探し出すことに執着する様子は、自分の息子だからこそだということが伝わってきます。
サウルが激しく取り乱したりする様子がなく、淡々としているように見えるので、それに戸惑うかも知れませんが、それもそもそもサウルが置かれている情況そのものの異常さを考えると、どうにか平静を保とう、人間としての尊厳を保とうとしているようにも僕には見えてきました。
「SCOOP!」
作品データ(映画.comより)
製作年 2016年
製作国 日本
配給 東宝
上映時間 120分
映倫区分 PG12
ストーリー(映画.comより抜粋)
1985年に製作された原田眞人監督・脚本の映画「盗写 1/250秒」を原作に、芸能スキャンダルから社会事件まで様々なネタを追いかける写真週刊誌カメラマンや記者たちの姿を描く。数々の伝説的スクープをモノにしてきたカメラマンの都城静は、輝かしい業績も過去のものとなり、今は芸能スキャンダル専門の中年パパラッチとして、借金や酒にまみれた自堕落な生活を送っていた。そんなある時、ひょんなことから写真週刊誌「SCOOP!」の新人記者・行川野火とコンビを組むことになり、日本中が注目する大事件に巻き込まれていく。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆
感想
劇場公開されていた時から観たいな、と思っていて、TSUTAYAディスカスでリクエストしていました。
久しぶりにAmazonプライムビデオ(プライム会員だと無料で観られる)で観られるかどうかを確認したら、作品リストに入っていたので、TSUTAYAのリクエストを外して、Amazonで観てみました。
内容は、上に書いた通りのものなのですが、以前売れっ子だった週刊誌カメラマンが、現在はフリーのカメラマンをしていて、フリーのはずだけど、週刊誌の新人を任せられる、というもの。
週刊誌の売り上げも低迷していたのだけれども、二人がスクープを連発することによって、週刊誌の売り上げも回復し、二人の関係も深まっていく。
これだけだと物足りないとでも思ったのか、芸能人のスクープを中心にしていたのが、段々と社会的なテーマにも手を出していくことになり、最終的には、親しかったある人物が凶悪犯罪を起こし、それを親しいが故に写真に収めたり、師弟であるはずが、恋愛関係にもなる、という展開に。
親しかった人物が凶悪犯罪を起こす、というのはラストの展開なのですが、その前に師弟が恋愛関係になる、という展開で興ざめしましました。
設定上の年齢は分かりませんが、週刊誌カメラマンだった過去を考えると、新人との年齢差は20歳ほど。
仕事で毎日毎日2人きりでいたら親密になるのは分かりますが、20歳も離れている人と恋愛関係というか肉体関係を結ぶ、というのにどうしても気持ち悪さみたいなものを感じてしまいます。
こういう、年齢の離れた、特に男性が年上で、女性が若く、その2人が恋愛関係になる、というパターンは割と物語で描かれるのですが、男性側の妄想がフルに発揮されているようで、気持ちが悪く感じてしまいます。
その後に親しかった人物が凶悪犯罪を起こす、というのですが、これもあまりにも非現実的な展開で、何故これまでの流れをぶった切ってこんなことになるのだろうか、と。
前半は特に悪くなかったので、後半の展開があまりにも残念でした。