先延ばし話法
ちょっと前に、国会でのやりとりを「信号無視話法」と名付け、その内容を批判していることに倣い、元配偶者とのやりとりを「質問無視話法」と名付けてみました。
時間ばかりがかかり、ストレスと疲労ばかりが溜まっていくやりとりだったので書いてみたのですが、「質問無視話法」と位置づけ、少しでも引いた視点から捉えることで、客観的に考えるきっかけになったように感じています。
そこで元配偶者とのやりとりは「質問無視話法」ばかりではないので、他のやりとりについても少し考えてみたいと思います。
それが、「先延ばし話法」です。
これは、その名前のとおり、とりあえず「先延ばしにしてくる」というものです。
元配偶者とのやりとりでここに書いても特に問題がないと思うものをちょっと取り上げてみます。
これは、書類や荷物に関してのやりとりです。
まず最初、元配偶者からこのようなメールが送られてきました。
12日「今回は、他に送るものもあるので、コピーを宅配で送ります。
しばらくお待ちください。」
上の引用だけ読むとわかるかも知れませんが、13日に送られてきたメールの意味がわからなかったので(このとおりの文章で送られてきたので)、まず、13日のメールが何を意味しているのかよくわかりませんでした。
が、とりあえず、僕は以下のように返信しました。
13日「何を送ったのか、明確にし、事前に連絡してください。」
そして、元配偶者から以下のように返信が来ました。
14日「○○○○○庁から返信封筒に入ってきたもの、○○○○学会からきたクロネコDM便、確定申告で使うかもしれない病院の領収書」
14日のメールも意味がわからなかったので、「これは何を意味しているのですか?」という内容の返信したところ、翌日、以下の返信がありました。
15日「送る予定のものです。」
確認しておきたいことは、荷物を送る、と言ってきたのは元配偶者だということです。
それにも関わらず、結局荷物を発送したと思われるのが19日、受け取ったのが20日でした。
これはまだ元配偶者から言ってきたことだったのと、「○○○○○庁からの返信封筒に入ってきたもの」というのが、仕事に関するものだったので、早急に転送するように要求したので一週間くらいのやりとりで済んだのですが、元配偶者からではなく、僕が要求したことだと一向にやろうとせず、何度も何度も要求しなければなりません。
先延ばしにしようとする理由はどんなものがあるのでしょうか。
元配偶者自身の希望で、僕との関係が解消され、家から僕を追い出したのにも関わらず、なぜ関係解消のために必要な課題を先延ばしにしようとするのか、僕には全く理解出来ないでいます。
僕自身は最初こそ元配偶者との関係修復を望み、相手にそれを伝えましたが、元配偶者が完全に拒否したこと、また話し合いを持とうとしても、結局「質問無視話法」と「先延ばし話法」を繰り返されるので、それでは、とモノや関係を早く精算しようと気持ちも行動も切り替えました。
そもそも元配偶者の要求に沿う形になったにも関わらず、それを元配偶者が阻んでくるという自体に戸惑いを感じています。
なぜ先延ばしにしようとするのかわからないのですが、とりあえず、「あぁ、また『先延ばし話法』か」とちょっとだけ距離を置いて考えることが出来るようになったのは良かったかな、と思います。
「2つ目の窓」
知らない作品だったのですが、Amazonでおすすめ作品で表示され、河瀬直美監督の作品だったので観てみました。
と言っても、河瀬監督の作品は、「殯の森」と「あん」の2つしか観たことがないのですが…。
作品データ(映画.comより)
製作年 2014年
製作国 日本・フランス・スペイン合作
配給 アスミック・エース
上映時間 120分
映倫区分 R15+
ストーリー(公式サイトより)
島で暮らす16歳の少年・界人(村上虹郎)は、島に古代から伝わる八月踊りの夜、海に浮かぶ男性の遺体を発見。動揺する界人を同級生の杏子(吉永淳)が見ていた。杏子の母親イサ(松田美由紀)は島の人々の相談を受けるユタ神様として慕われてきたが大病を患う。一方、界人は恋人の影を感じさせる母親・岬(渡辺真紀子)のことを汚らわしく思っていた。界人は自分が幼いころに母親と離婚し、東京で暮らす父(村上淳)に会いに行くが、界人が島に戻ると岬は姿を消していて……。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★☆☆
感想
作品の中で映し出される奄美の自然、歌がとても良かったです。
主演の2人、界人(村上虹郎)と杏子(吉永淳)が色黒で現地の人をオーディションで選んだのかな、という見た目で、また、物語の後半以降で杏子が歌う様子がとても上手だったので、2人は本当に現地の人なのかな、という印象を持ちました。
調べてみたら、2人とも俳優だったのですが、それほど2人は、そこにいる感じが自然な感じで、映し出される奄美の自然と合わさって、ドキュメンタリー的な印象さえ感じました。
自然の営みと、映画の冒頭で映し出される遺体、杏子の母が死にゆく様子、そして、界人と杏子のやりとりで度々繰り返される杏子からのセックスの要求は、生と死というものを対比させているのですが、あからさまに 「対比です」と言わんばかりで、自分は少し引いてしまいました。
同じように杏子からセックスを要求するとしても、お母さんの死にゆく姿を抱えきれずに求めるとか、あるいは、言葉で要求せずに、自然な流れでセックスに至る、とか他の表現はなかったのかな、と思います。
その点、先日映画館で観た「万引き家族」では、最後まで観ると、「あの場面は実は生と死を対比させてたのか」とわかるようになっているというもので、生と死を対比させるにしても僕にはちょっと露骨だと感じてしまいました。
レベッカ・ブラウン『体の贈り物』
バイトへの通勤時間が往復2時間ほどあるので、以前よりも割と読書をする時間が増えました。
電車に乗っているとスマホでゲームをしたり、SNSをしている人をよく見かけますが、僕の場合は、家族と暮らしていたときの方が隙間時間が短かったのでゲームをしていましたが、今は隙間時間が長くなったので、逆にゲームやSNSから離れて読書になりました。
ということで、積読していた小説を少しずつ読んでいます。
訳者:柴田元幸
内容
食べること、歩くこと、泣けること……重い病に侵され、日常生活のささやかながら、大切なことさえ困難になってゆくリック、エド、コニー、カーロスら。私はホームケア・ワーカーとして、彼らの身のまわりを世話している。死は逃れようもなく、目前に迫る。失われるものと、それと引き換えのようにして残される、かけがえのない十一の贈り物。熱い共感と静謐な感動を呼ぶ連作小説。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
短編の連作小説で、全体としてつながりがある作品になっています。
この小説は、とにかく良かったのですが、正直、その良さが伝わるかというと、とても難しいと思います。
それは、柴田元幸さんが訳者あとがきで書いている文章がとても的確に表しているように感じました。
訳した本はどれも、届くべき読者に届くことを祈りつつ世に送り出すものだが、こ
の本はいつにも増して、熱く祈りたいと思う。たぶんそれは、この本が、「とにかく読んでもらわないと魅力がわかってもらえない」本だということだと思う。むろん、つきつめて言えばどんな本だってそうなのだけれど、この本の場合は特に、その魅力を一口で伝えるのが難しい。
なぜ伝えるのが難しいのかというと、内容を要約すると、魅力が半減してしまったり、あるいは、その要約で一定の人たちを遠ざけてしまうだろうからです。
では内容をいざ要約すると、「エイズ患者をケアするワーカーの『私』がその日常での出来事を語る」というものです。
ケア・ワーカーなので、必然的に生や死、そして病というものが出てきますし、その現実に対しての様々な人たちの様々な反応(それは個人の違いでもあるし、個人においても情況においての違いもある)、それに関わる「私」の揺らぎが描かれています。
その生や死、病という言葉が出てきた時点で読むのをやめようという人も居るかと思います。
けれど、この作品の良さは、「私」がとても淡々と語っているところです。
もちろん「私」も現実や人間関係から揺らぐこともあるのですが、ケアをするということが「私」の日常だからこそ淡々と語られているように感じました。
とにかく、どの一篇でも良いから読んで欲しいなと思う作品です。
「時をかける少女(2010)」
Amazonでの評価が高かったので観てみた作品です。
映画「時をかける少女」Blu-ray&DVD 10月13日発売決定!
作品データ(映画.comより)
製作年 2010年
製作国 日本
配給 スタイルジャム
上映時間 122分
映倫区分 G
ストーリー(公式サイトより)
高校卒業を目前に控えた芳山あかりは、母・和子が薬学者として勤める大学にも無事合格し、新たな生活に胸を弾ませていた。ところが、和子が交通事故に遭い、事態は一転。「過去に戻って、深町一夫に会わなくては…」と必死に訴えながら昏睡状態に陥った母の願いを叶えるため、和子が開発した薬を使って1972年4月にタイム・リープすることを決心する。
時空を飛び越えたあかりは、過去の世界に到着。しかし、なんとそこは1974年2月。間違えて行くべき場所から2年も経った時代に飛んでしまったあかりだったが、偶然出会った映画監督志望の大学生・涼太とともに深町一夫探しを始める。
四畳半一間のアパートに同居し、涼太の映画製作を手伝ううちに、やがてあかりは涼太に恋心を抱き始めるが・・・。
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
「時をかける少女」自体は知っている物語ですし、アニメでも映画でも何回も作られている作品なのですが、この作品は観たことがありませんでした。
評価が高かったのは、主演の仲里依紗が良い、というのがあったのですが、僕自身はそこまで鮮烈な印象は受けませんでした。
でも、この作品で、主役をあかりを演じる仲里依紗とタイムスリップした1974年で出会った大学生涼太を演じる中尾明慶が出会って、後に結婚することになると考えると、なんとなく微笑ましい感じがしました。
物語としては、涼太が、あかりが本来生きている時代でどうなっているのか、また、あかりの母がなぜ1972年に行こうとしていたのかがわかる展開がとても良かったと思います。
少し惜しいなと思ったのは、過去に戻ったあかりがどのように生活をしていたのかという点のディティールがわからなかったところです。
お金を使おうとしても、使えないものもあるはずで、そういうちょっとした生活に密着するシーンがあれば、本当に過去に戻ったというリアルさが背景や服装だけでなく伝わったのではないかと思いました。
笑顔の練習
新しいバイトをはじめてから一ヶ月くらい経ちました。
サービス業ということもあり、接客に関してのマニュアルなどが一通り揃っていて、この一ヶ月はひたすらそのマニュアルを頭と身体にたたき込む、ということをしています。
その中ではっとさせられた文章が載っていました。
そのままの顔は怖く見えます。
いわゆる無表情ということですが、意識的に笑顔を作っていないと、それを周りから見たときに怖く見えてしまうので、意識的に笑顔でいるようにしましょう、ということが書かれていました。
周りから見たときに、怖く見えてしまう、ということもそうなのですが、意識的に口角を上げる練習をしていないと、中々うまく笑顔を出せません。
僕は特に「歯を見せるような笑顔で」と言われると、口角が引きつってしまうのですが、それも慣れというか、練習で口角を上げる筋肉を鍛える必要があるのだとわかりました。
もちろん心から笑顔を出せれば良いのですが、練習でどうにかなるものなら、どうにかしてしまおう、ということで、なるべく笑顔でいるように練習しています。
「男はつらいよ」
割と最近の作品を中心に観ていましたが、前から1度は見てみようと思っていつつも観ていなかった名作と言われる作品も観てみることにしました。
調べてみると、Amazonにプライム対象の作品があったので、とりあえず観てみようと思ったのが、「男はつらいよ」です。
自分が子どもの時から再放送でもよくやっていたし、シリーズが40作以上もあるので、自分よりも上の世代の映画、と思って今まで敬遠していました。
実際、「男はつらいよ」が好きと言っていた人は、自分よりも2世代くらい上の人ばかりでした。
でも、年齢に違いはあるけれど、そんなにとりこにさせる作品を観てみないわけにはいかない、ということで観てました。
作品データ(映画.comより)
原題 Am I Trying/Tora-san,Our Lovable Tramp
製作年 1969年
製作国 日本
配給 松竹
上映時間 91分
あらすじ(公式サイトより)
寅さんが20年ぶりに、故郷柴又に帰ってくる。歓迎ムードも束の間、寅は妹さくらの縁談をぶちこわし、また旅の人となる。奈良で旅行中の御前様とその娘・坪内冬子(光本幸子)と再会。幼なじみゆえ、気さくな冬子に恋をした寅さんは、帰郷してからも冬子のもとへ日参する。一方、裏の印刷工場につとめる諏訪博は、さくらへ想いを寄せていた・・・
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
「男はつらいよ」シリーズは全く観たことがなかったので(あったとしても子どもの時で覚えていない)、とりあえず第一作から観てみることにしました。
寅さんや寅さんを演じる渥美清さんの映像は何度も見たことがあったものの、とにかく、出ている人たちが「若い」ということに新鮮な驚きを感じました。
第一作では渥美清がまだ40歳になったばかり、妹さくらを演じる倍賞千恵子が20代後半、さくらの夫になる博を演じる前田吟も25歳くらいです。
話の内容もよく知らなかったので、この一作目でさくらと博が結婚するという展開が、40作以上も続いているシリーズとしては早い展開に感じましたが、40作以上も続いたのはあとからの視点なので、一作品としては、当然の展開なのかもしれません。
内容自体よりも、特筆すべきことは、なんと言っても寅さんの口上でした。
啖呵を切ったり、弁舌を振るったり、とにかく、その口上がすごかったです。
人情劇としての魅力も映画にはあるのでしょうが、僕はとにかくこの口上に惹かれました。
「男はつらいよ」というタイトルの意味もわかったし、第二作も観てみたいと思います。
#私を救ってくれた本
先日、cakesで以下の記事を読みました。
翻訳家、エッセイスト、洋書書評家の渡辺由佳里さんの記事で、有名人の自死の報道からご自身のうつの経験を綴り、「「うつ」の処方箋としての「読書」」というものを紹介していました。
私にとって効果があったのはフィクションだった。幼い頃、学校でいじめにあっていた私を救ってくれたのは『秘密の花園』と『小公女』だったし、『赤毛のアン』、『若草物語』、『高慢と偏見』は心を癒やしたくなったときに必ず読み直す本だ。今ではそれらの本は原書を読むが、それを目指すのも子供時代の「生きる理由」のひとつだった。
また、この記事等の呼びかけで、Twitterでは #私を救ってくれた本 というハッシュタグで多くの人が投稿しています。
この記事やTwitterでの投稿を見てみて、自分にとってうつに効果があった本って、何だっただろう?と考えたのですが、うまく思いつきませんでした。
うつに限らず広い意味で救ってくれた本は何か、というと、高校生の時に読んだ村上春樹の小説だったと思います。
その当時出版されていた村上春樹の小説はすべて読み、その後も読むようになるくらい
どの作品も好きなのですが、とりわけ残っているのは、リアリティ小説である『ノルウェイの森』でした。
初めて読んだときには、この小説がかつてものすごく売れたということも知らずに読んだのですが、主人公「僕」の生き方というか考え方が許される、ということに救われたような気がしました。
中学生の時、男の中でも誰と友だちなのかで周りからの評価が変わったりすることにもうんざりしたり、女子と話すだけでなんか言われたり、そもそも男同士で「つるんでいる」ということ自体にうんざりした気持ちを持っていました。
高校で男子校に入ったので、「女子」との関わりだとか、「恋愛」だとかの話が周囲からほぼなくなったのはとても快適だったのですが、もう一つの男子同士で「つるむ」ということについては、高校に入ってもありました。
そんなうんざりした気持ちを持っていたときに読んだのが『ノルウェイの森』で、その中で出てくる「僕」は誰かと「つるむ」ということはせずに自分の考えで行動しているように見えました。
一般的に批判されているように、村上作品ではなぜかすぐに女性と寝ることができるという点は、僕にとっては現実的ではなかったものの、それでも、誰か(基本的に複数)と「つるむ」ということが強要されているように感じていた僕にとっては、誰とも「つるむ」ことのない「僕」にとても勇気づけられたことを覚えています。
最初に読んだときは「救ってくれた」というほど感動したり、大きく心揺さぶられた、というのではないのですが、「あぁ、これで良いんだ」ということを思わせてくれたのは、その後の僕にとってとても大きな意味があったと感じています。