映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

周りの目が気になったなら

 おはようございます。
 曜日感覚を失っている方も多いようですが、今日は日曜日です。
 僕は時短になりましたが、相変わらず週5.5日で働いているので、今日が休日です。
(ちょっと仕事のことを愚痴ると同じ部署の一人が、結構ピリピリするタイプの人なので、時短&その人が数日在宅勤務になって本当に助かってます。元の勤務体系に戻ったとき、僕はやっていけるのだろうか…。というか、辞めるかも。。。)
 天気が良ければ、(GW期間中も行っていた)ちょっと遠くて大きな公園に行って、のんびり読書しようかな、と思っています。
 
 個人的には、そろそろ警察庁から4月の自死者数の速報値が発表されるので、それに怯えているのですが、今気になっているのは、もはやウイルスにはほぼ何の意味もないマスクをしている人たちがたくさんいることです。
 なんか、もう、とにかくマスクしていれば良いみたいな感じになっていて、それって、つまり、多くの人が怯えているのはウイルスではなく、周りの人たちの目なのではないかと思います。

 僕も周りの人たちの目は気になります。
 僕は4月の半ば、「マスクの予防効果は非常に限定的、もしくはほぼないに等しい」と聞いて(【全文字起こし&音声配信】「マスクの意味、アルコールの代用品、BCGの効果…神戸大教授で医師の岩田健太郎さんに聞く新型コロナウイルス感染症対策」2020年4月14日(火)放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~))、マスクをしていることが息苦しかったので、しないで出勤したら、電車内で露骨にイヤな態度を取られました。
 僕はHSPなので(ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia)、「露骨に」というのは言い過ぎな捉え方かも知れませんが、そういった出来事もあり、その後は、ほぼ意味がないと分かっていても、ポーズ、アタイア、コード、ファッションとして、マスクをしています。
 

f:id:ysdnbm:20200509162956j:plain

 
 多くの人たちも、今ではもう、単なるポーズ、アタイア、コード、ファッションとしてマスクをしているように感じます。
 それほどまでにみんな「周りの目」が気になっているのだな、と思います。

 大変だなぁ、と言うだけでは何の解決にもならないので、おすすめしたいのが、(もし視力が弱かったらですが)普段メガネやコンタクトをして生活している人は、外してみると良いと思います。
 周りがぼんやりとして、よく見えなくなる。
 これ、本当におすすめです。

 僕が今年一番死にそうになっていた2月、どうやって乗り切ったのかというと、その一つが、この「メガネを外す」ということでした(他には書いたように、友人に会いに行ったり、カウンセラーに相談したり、処方されている薬飲んだり、ボルダリングしたり、お酒飲んだり(←飲み過ぎでした…)して凌ぎました)。
 通勤で使う駅にはホームドアがなく、いつ飛び込んでもおかしくない情況でした。
 仕事中に涙が出てきては、ぱっと席を立ち、人のいないところに行き、どうやっても止まることのない涙を、こらえようとすればするほど流れて来る涙と嗚咽をなんとか鎮めて、また席に戻り仕事をするという日々を過ごしていました。

 その時にやっていたことの一つが、メガネを外すということです。
 僕は近視と乱視で、メガネを外すと、今PCでこのブログを書いているのですが、目の前にあるこのPCの文字も読めません(なので、書けません)。

 メガネを外すと、世界がぼんやりとして、周りの人たちの表情や動きが入って来なくて、目の前にあることしか見えなくなる。
 それはとても快適な世界でした。
 僕がどんなに泣いていても周りがそれをどう見ているかなんて僕には全然見えなくて、世界と隔てられた僕だけの世界で僕は涙を流しながら帰宅していました。
 
 今でも「周りの目」が気になるときには、そうやってメガネを外すようにしています。
 僕の家にはテレビはありませんが、多くの人たちは暇になって(時間が出来るようになって)、だけど、一方的に情報が垂れ流されて、受け止めきれずにメンタルがやられてきているように思います。
 僕のようにそもそも家にテレビがなければ良いのですが、ゲームしたり、ドラマや映画を観たりしたいでしょうし、なかなかそこから離れることは難しいかも知れません。

 なので、もし、メガネやコンタクトを普段からしている人ならば、一回それを外してみてください。
 すごく楽になると思います。
 この「メガネを外す」ということの他にも「周りの世界と距離を置く」方法はあるのですが、今回はとりあえずメガネってことで。

こんな日に外に出ないなんて

 「とりあえず、1回深呼吸しましょうか?」、と言いたくなる日が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
 僕はCOVID-19が日本で拡がっている現在も相変わらず、いつものように過ごしています。
 「いつものように」、というのは、朝起きて、瞑想し、朝食をとり、出勤し、その間に新聞読んだり、短歌を考え、仕事して、帰宅して、シャワー浴びて、夕食取り、映画観たり、本読んで、薬飲んで寝る、という日常です。
 そして、休みの日は休みの日で、ゆっくり休み、病院に行ったり、こうしてブログを書いたりしています。

 

f:id:ysdnbm:20200508165930j:plain

 
 「外出自粛」を求められている中、なんか色々言われるかも知れませんが、「いつも通り」過ごしていると、今置かれてる状況の「おかしさ」を感じます。
 それは上に載せた写真のように、子どもたちが遊ぶ遊具が、あたかも「事件現場」のように、「立入禁止」となっていたり、なんか間隔開けて長蛇の列があるな、と思って見てみたら食パン屋さんだったり。

 もう、何回も書いていますが、僕はうつ病なので、COVID-19でみんなが騒いでいるのが本当にピンと来ていません。
 それよりも、毎月1500人も自死(自殺)していることが気になりますし、その数が増えるのではないか、ということに怯えています。

 そして、先日の休みの日、すごく晴れていて、気温も20℃ちょっとで、本当に外に出るにはもってこいの日、散歩に行くと目にしたのが上の写真のような光景でした。
 公園の遊具が黄色のテープでぐるぐる巻きにされ、「立入禁止」のポールで囲われている。

 いや、落ち着けよ。
 ここは事故や殺傷事件の現場ではないでしょ?
 というか、そもそも、公園で多くの「禁止」事項のある日本にあって(WEB特集 公園のルール 多すぎない? | NHKニュース)、「自由に遊べる」という場は本当に貴重な場所だったのです。

 それが、絶滅することなど出来ず、共存することしか出来ないウイルスで、多くの人の行動が制限されてしまう、この事態。
 ゴールデンウィークだったこともあり、僕たちが暮らす日本の憲法を改めて読んでみました(日本国憲法)。

 前文にはこのように書かれています。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 
 また、第12条にはこのように書かれています。

 

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

 自由に出歩くことが「濫用して」いることかはどうかわかりませんが、とにかく僕が言いたいのは、僕らは「自由である」ということです。
 外に出ようが、自由なのです。

 けれど、何故か外に出てはいけない「雰囲気」があったり、指刺されるような情況があり、さらに、遊具の使用までも禁止される。
 感染に怯えるのは分からないではないですが、「禁止」したり「抑制」することにはもっと「慎重」になって欲しいのです。

 僕らが暮らす日本の憲法では「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。
 その「不断の努力」を簡単になかったことにしてはいけないと思うのです。
 行動を「抑制」し、「禁止」することはそれほど大きな出来事なのです。
 「やめろ」「できません」という言うことは、ものすごく簡単なことです。

 だからこそ、それを簡単に言わせてはいけないと僕は思います。
 この行動規制によって、今後さまざまな影響が明らかになっていくことでしょう。
 それは、僕が予想しているよりもはるかに大きいと思います。
 その時、特に、これからを生きていく若い世代にとって「負の影響」が残らないように、「大人」たちには慎重な行動を願います。

自死した友人についての話

 今年のはじめ、友人が死にました。
 僕がそれを知ったのは、(多分)2月の頭でした。
 その時は、仕事も忙しく、13連勤だったり、7時前には職場に出勤し、21時頃退勤するような時期だったこと、そもそもが新年から新しい職場、住居と環境の変化もあり、だからこそ、こんなに彼の死が悲しいのだ、と思っていました。

 けれど、それらは単に僕にとっての言い訳でしかなく、僕は彼が死んだことがただ悲しい。
 彼の死を知ってから3ヶ月経っている今も悲しみは薄まることも消えることもなく、ただ悲しい。
 今も悲しく、ただただ涙が出てくる。

 こうして彼の死について書いているのは、僕がその悲しみを浄化させたいとか、彼が確かに生きていたということを少しでも残したいというようなおごりでもなく、ただただ僕は彼が死んだことが悲しく、僕が悲しんでいるということに正面から向き合うためです。
 それすらもおこがましいことなのかも知れないけれど。

 死んだのは、神学校の同級生です。
 公にはされていませんが、自死(自殺)です。
 僕が知ったのは、彼が牧師だったからで、牧師の死は、たとえそれが退職していようとも公表されます。
 (記憶が曖昧ですが)僕が知ったのは、2月の一番忙しい時に見た公文書で、そこに彼が1月3日に亡くなったことが書かれていました。

 彼が精神的に病んでいたこと、そして、牧師を退職していたことは知っていました。
 一方的に年賀状を送りつけ、返事がなくても彼はきっと大丈夫なのだ、と勝手に思っていました。
 でも、彼は死んでしまった。 
  

f:id:ysdnbm:20200508135615j:plain

 
 僕に出来たことなんてなかっただろうし、もし、あのとき何かしていればなんて考えることはただただ僕のおごりでしかなく、それでも彼は死んだのだと思います。
 僕はただ彼が死んでしまったこと、そのことに悲しみを感じています。

 30年以上生きてきたことや、両親が(当時としては)高齢の時に僕が生まれたといういうこともあり、僕にとって「死」は身近な出来事でした。
 小さな時の親戚との思い出と言えば、新年の集まりよりも、葬式での出来事で、それは伯父、祖父、祖母、いとこ、はとこ(自死)だったりします。
 また、同級生が殺されるということもありましたし、それ以外の様々な身近な人が死んだこともありました。

 けれど、それらの人たちとは違って、今回の友人の死は僕にとって本当に悲しい出来事でした。
 その事実を僕が真っ正面から受け止めなくてはならないと思いました。
 僕は彼が死んでしまったこと、自殺してしまったこと、今この世にいないことがただただ悲しい。

 彼と過ごしたことを思い出す度に涙が止まらず、今も泣きながら書き散らかしているということ。
 それに向き合わなければいけない、と、それが僕の驕りだとしても今の僕は思うのです。

 彼の死を知ったとき、真っ先に大阪にいる神学校での同級生で牧師をしている友人に連絡をしました。
 携帯電話の番号を知っているし、年賀状のやりとりはしているけれど、その時の僕はもう何も考えることが出来なくて、仕事が終わって、涙を流しながらボルダリングで壁を登り、「これはダメだ」と思いながら、もう10年近くも会っていない友人に連絡しました。
 牧師というのは連絡先が公にされています。

 なので、彼が働く教会に電話しました。
 最初に出たのは、彼のお連れ合いで、最初、彼と話したいと言ったら、不審がられましたが、僕だということを伝えるとすぐに取り次いでくれました。
 そして、彼から、死んでしまった友人のことを教えてもらいました。

 牧師たちのネットワークで、彼の死は割とすぐに伝わってきたこと、だけど誰も葬儀に参列できなかったこと、やはり自死であろうこと、その死の知らせを受けて、彼も、また同じく同級生であるもう一人の友人も1月はまるで記憶がなく、僕が連絡した時点(2月頭)で、ようやく少し落ち着いてきたこと。

 どうしようもなくなった僕は、とりあえず2月16日なら彼がいる大阪に行けるので、16日に大阪に行くことにしました。
 また、それと同時に、職場にいるカウンセラーに(本来の仕事ではないのは重々承知の上で)、友人が自死し、どこか相談できるところはないか、直接話すと涙が出るので手紙を書きました。
 カウンセラーはいくつかの信頼できそうな場所を教えてくれましたが、本当に申し訳ないのですが、僕はそもそも精神科に通院しているので、それでなんとか過ごすことにして、大阪に向かいました。

 2月16日の朝、新幹線に乗り、友人が牧師をしている大阪の教会に向かいました。
 その時点で既にCOVID-19の影響で、直接触れるようなことは出来なかったのですが、まだ礼拝自体は自粛されておらず、礼拝に参加し、牧師である彼と会い、ハグし、死んでしまった友人のことを話し、彼の子どもたちに絵本をプレゼントすることが出来ました。
 そして、先日書いた大学4年生の時にスリランカに行ったメンバーが会ってくれました。

 2月の記憶は殆どなく、3月の記憶も曖昧なのですが、それはCOVID-19の影響ではなく、神学校で3年間寝食を共にした彼が死んでしまったという、そのことにただ悲しんでいたからです。
 僕にとってはCOVID-19なんかどうでもよくて、彼が死んでしまったことがただ悲しい。

 死んでしまった彼のことを思い出す時、思い出すのは、校舎の屋上で一緒にたばこを吸った光景です。
 校内での喫煙所となっていたのは、校舎の屋上で、僕がたばこを吸っていると彼がやって来たり、僕がたばこを吸いに行くと既に彼がいたりと様々ですが、何故か、雨の日に、雨がかからないようにドアの近くに二人並んでたばこを吸っていた時の様子が思い出されます。
 その時に話したことは全く覚えていませんが、彼のことを思い出す時、その、雨の中、一緒に雨になるべく濡れないように並んでたばこを吸っていたことを思い出します。

 僕はあなたが死んでしまったことが本当に悲しい。
 これほど悲しい出来事は今までなかった。
 今もどうしたら良いのか分からない。

初オンライン飲み会の備忘録

 先日、初めてオンライン飲み会をしました。
 技術的なことではなくて、それで僕自身が感じたこと、考えたことを残しておこうと思います。

 率直に言って、オンライン飲み会、とても良かったし、楽しかったです。
 というのも、今回オンライン飲み会をしたメンバーは僕が大学4年生の時にYMCAの一員としてスリランカへ派遣されたメンバーだったからです。

 何故スリランカに派遣されたのかというと、その前年、スマトラ沖地震スマトラ島沖地震 (2004年) - Wikipedia)があり、当時、宗教&民族的な理由から対立し、混沌を極めていたスリランカで、インド洋に面した場所で暮らしていた人たち(少数民族)がたくさん亡くなり、孤児がたくさんいたからです。
 今では、多くの日本にいる人たちにとってスリランカは「観光」で訪れる場所かも知れませんが、当時は対立が激しく、1週間の派遣の間に外務大臣が暗殺されるということもありました。
 そんな、混沌というか、僕の想像を遙かに超えた情況に置かれた子どもたちに少しでも楽しめるプログラムを、ということでYMCAが企画したプログラムが大阪YMCAを中心にして企画され、僕は東京YMCAのメンバーとして派遣されました。

 スタッフを含め22人のメンバーが派遣され、(オンライン飲み会で初めて気づいたけど)一週間寝食を共にしたのですが、今でも実際に会うことのあるメンバーは僕は一人だけです。
 ですが、Facebookだったり、Instagramだったりでつながっている人もいて、今回、そのメンバー内でオンライン飲み会しよう、という声が出て、その翌々日の夜、オンライン飲み会をしました。
 

f:id:ysdnbm:20200507052552j:plain

 
 スリランカキャンプのメンバーの内、東京から派遣されたのは僕だけで、すでにその時点(2005年)で、正直なところ僕は疎外感というか、うまく連帯の輪に入れていないと感じていました。
 それは誰かを責めている訳では全くなくて、大阪YMCAを中心にしているから仕方がないことで、大阪近辺以外のメンバーもいましたが(北海道、盛岡、熊本)、それでもどうしても「距離」を感じてしまうのでした。

 それでも、その時のつながりはなんとかあって、一人のメンバーとはこの2月に会いましたし、年賀状でやりとりしているメンバー、SNSでなんとなくつながっているメンバーがいます。
 そして、今回はその中のメンバーたちがこのコロナ禍にあって、オンライン飲み会しようよ、ということを言ってくれたので、実現しました。

 先に書いたように、僕とこの15年間、リアルで会い続けているのは一人だけで、他のメンバーは年賀状だったり、SNSでつながっています。
 15年ぶりに会うメンバーはパソコンやタブレット越しだったとしても、あの、確かに一緒にスリランカで一週間を過ごしたメンバーで、それぞれの住んでいる場所や周囲の環境は違っても、15年ぶりとは全く感じることなく、楽しく嬉しい時間でした。

 さて、ここから本題の「備忘録」になります。
 まず驚いたのは、僕が想像していた以上に、みんな僕の近況を知っていました。
 それは、つまり、離婚したこと、一人で暮らしているということです。

 一人、本当に15年ぶりのメンバーが「ぶみ、子どもたちは?」と聞いたことから、話すことになったのですが、それまでなんとなく「あぁ、皆知ってるんだろうな。でも、話題にしちゃいけないんだろうな。」と感じていたのが、そのメンバーの質問のおかげで、逆に「みんな結構知っている」ということが明らかになりました。
 それは僕にとっても、とても驚く事実でした。

 確かにFacebookでたまーに投稿したり(特に調停中)、こうしてブログを書いたり、TwitterInstagramをやっていますが、スリランカキャンプのメンバーが読んでいるとは全く想像もしていませんでした。
 リアルに会う一人のメンバーと、そこから話の出るメンバー、そして、年賀状のやりとりをしているメンバーは僕の近況を知っていることは知っていましたが、それ以上に(というかオンライン飲み会に参加したメンバーの殆どが)知っていることに驚きました。

 なので、このブログも誰が読んでいるか気をつけなければいけないな、と思っています。
 それは、半ば冗談でありつつも本音でもあります。

 僕がブログを始めたのは大学生の時(15年くらい前)で、その時はlivedoorで、その後FC2で、今ははてなで書いています。
 livedoorで書いていたときのデータはなくなってしまったのですが、それでもこうして相変わらず書き続けています。

 僕は小さな時から「書く」ということをしてきました。
 スリランカの資料を探した時に自分でも驚きましたが、本当に小さな時から色々「ことば」にして来たようです。

 僕としては、このブログはコーピング(ストレスコーピング | e-ヘルスネット(厚生労働省))として位置づけていたのですが、この、初めてのオンライン飲み会で分かったように、リアルなつながりのある人が読んでいる、ということを、今回の初めてのオンライン飲み会で知りました。
 なので、今後は、そのことも念頭に入れながら(と言っても何か変わるわけではないのですが)書こうと思いました。
 また、それと同時に、先日書いたように、子どもたちにとって僕がどんなことを考えていたのか、ということを知ることが出来たら良いなと思いました。

 なんというか、僕がこうして書き散らしていた言葉や文章によって「つながり」があったということが嬉しかったです。
 そして、子どもたちにもこれらの、僕が書き散らした言葉や文章が、少しでも生きるときの支えになれば良いなと思いました。

「20センチュリー・ウーマン」

 観たいなぁ、と思っていた映画がAmazonで観られるようになっていたので観ました。
 多分、ウォッチリストに入れていたのは、新聞で取り上げられていたからかなと思います(歴史がつながって今がある 「20センチュリー・ウーマン」:朝日新聞デジタル)。
(いつものことですが、チェックしていても、観られるようになる頃には、数年経っているので曖昧です…)

 


20 センチュリー・ウーマン(字幕版)

 

作品データ映画.comより)
監督 マイク・ミルズ
原題 20th Century Women
製作年 2016年
製作国 アメリ
上映時間 119分
配給 ロングライド
映倫区分 PG12

あらすじシネマトゥデイより)
1979年のカリフォルニア州サンタバーバラ、自由奔放なシングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)は、15歳の息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)の教育に頭を悩ませていた。そこで、ルームシェアしているパンクな写真家のアビー(グレタ・ガーウィグ)と、近所に暮らすジェイミーの幼なじみジュリー(エル・ファニング)に相談する。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 物語の内容はまさに、タイトル通り、「20世紀の女性たち」です。
 第二次世界大戦前に生まれ40歳で一人息子を出産し、シングルマザーであるドロシアと息子であるジェイミーを中心に、彼が15歳である1979年のひとときを描いています。

 ドロシアだけでなく、他に出てくる女性としては、ルームシェアしているアビー(25歳)、ジェイミーの幼なじみのジュリー(17歳)です。
 また、ドロシアの家の管理人であるウィリアムと、3人の女性たちと2人の男性が登場します。

 この映画がとても良いと思ったのは、ドロシアとジェイミーの親子を巡る物語でありながらも、タイトル通り、20世紀の女性たちが抱える状況を描いている点です。
 それは、20世紀だけの問題でもなく、例えば、子宮頸がんだったり、フェミニズムだったり、妊娠への恐れだったりと、今でも変わることのない問題です。
 今でも問題であるということ自体が「問題」であるということはとても皮肉なことなのですが、それでも、今、「問題である」とされていることの萌芽が描かれていること、また、性やニコチン依存や家族、男女との関係は、20世紀だけでなく、普遍的なテーマだと思います。

 1979年を描いていますが、その後も語られていて、それは少しのかなしみを感じるものの、それでもこういう時を過ごせたということは、それはそれで幸福なひとときだったのだろうと感じました。

戸田真琴『あなたの孤独は美しい』

 一ページ目を読んで涙が出たのは初めてです。
 戸田真琴さんの文章を初めて読んだのは、どんなきっかけだったのかは忘れてしまいましたが、(無料で読める範囲だけだけど)noteでの文章を読み、この人の文章と感性は良いなぁ、と思いました。
 ですが、本を買うまでにはならなかったのですが、最近のnoteでの投稿(「悪気のない最悪」-岡村隆史さんのANNでの発言に対して思うこと|戸田真琴|note)を読んで、出している本が気になりました。
 で、いくつかのインタビュー記事を読んで、最初に出したこの本が良さそうだなと思って読みました。

 


あなたの孤独は美しい

 

あなたの孤独は美しい|書籍|竹書房 -TAKESHOBO-


内容竹書房より)
SNS社会で異彩の存在――AV女優・戸田真琴、書き下ろし処女エッセイ。
格差社会の拡大、未来への薄暗い不安、ただなんとなく日々苦しい……そんな押しつぶされそうな現実の中で、戸田真琴が贈る孤独賛歌。

感想
 最初に書いたように、最初のページを読んで涙が出ました。
 それは何というか、予想もしていなかったのに、突然今までのこともすべて肯定され包み込まれたような、そんな感覚でした。

 そこから読み進めていって、まぁ、いろんなことを考えたのですが、この本のタイトルにあるように「孤独」について書いていきたいと思います。
 「あぁ、僕は孤独だな」と、改めて思いました。
 今までも孤独だったし、今も孤独で、でも、それは決して悪いことではない。

 一昨年、暴力的に家から追い出された時、「さみしい」と感じました。
 それは一人暮らしをした経験がなかったこと、3人の子どもたちがいつもいたこと。
 その環境から突然切り離され、一人きりになったからで、その時「さみしい」と感じました。

 今はどうかというと、特にさみしいという気持ちはありません。
 子どもたちと離れて暮らす生活にもようやく慣れ、一人暮らしも3年目になり、一人で暮らす快適さも身についてきました。
 なので「さみしさ」は感じないのですが、この本を読んで改めて気づかされたのは、僕は孤独だったし、今も孤独だ、ということです。

 僕が一番孤独を感じていたというか、孤独であるということをひしひしと感じていたのは10代後半です。
 村上春樹の小説から始まって、小説を読むようになり、映画を年に100作品くらい観るような生活を送っていた10代後半、僕は僕が孤独であるということをひしひしと感じていました。

 時にはそれが「さみしい」という気持ちにも結びついたのですが、人間はそれぞれが孤独なのだということの気づきは、僕にとっては生き方の指針になりました。
 それから割とすぐに結婚し、子どもが生まれ、その家族と一緒に暮らしてきたので、いつの間にか忘れてしまっていた「孤独である」ということ。

 僕は今また10数年経って、孤独である、ということを教えてもらいました。
 僕にとって「孤独である」ということは決して「さみしさ」と結びついているわけではなくて、それは、「個」であるということを表しているような気がします。

 僕は僕であって、僕以外の誰も僕にはなれないし、同じように、目の前にいる相手はその人であって、僕がその人になることも出来ない。
 だからどんなに自分が感じていることを伝えようとしても、相手に伝わったかのように自分が感じられたとしても、それが本当に「同じ」かどうかはわからない。
 というか、どんな言葉や行動、時間を費やしたとしても、わかり合えるなどありえないということ。
 それは相手のことを理解したいということや、自分のことを知って欲しいということへの諦めではなくて、僕の中では大切な「事実」である、ということ。

 10年以上「自分の」家族と暮らしていたことですっかり忘れてしまっていたなぁ、と。
 僕は今までも孤独だったし、今も孤独である、と。
 そこからまたはじめようと思いました。

 この本の中に書いてある戸田さんのエッセイは、その「孤独である僕」を包むというか、隣にいてくれるというか、そういう感じがしました。
 そして、なんてこの人は優しいんだろう、と。
 それはあらゆる「他者」への態度で伝わってきて、お姉さんとのエピソードでも、両親への接し方、クラスメイトへの接し方にあらわれているし、仕事の話でも伝わってくるし、「優しさの周波数」という項目も実際にあって、そういうことを考えること自体がそもそも「優しさ」に満ちあふれているな、と。

 まだまだたくさんのことを読みながら考えたのだけれど、今回はこの辺で。 

「頑張れ」と言わないで

 一昨日、ふと、何気なく、Facebookを開きました。
 そうしたら、トップにいきなりこの表示が出ました。
 「うげぇ」となった僕はすぐにFacebookを閉じました。

 

f:id:ysdnbm:20200503174637j:plain

 
 僕はテレビもないので、普段、ニュースという意味で接しているメディアは新聞とラジオがメインで、そのほかにはSNSです。
 SNSでもニュースという意味ではTwitterを見ていて、フォローしている人たちの中でも数人だけチェックしていて、他の人のは余裕があれば、TLを眺めるという感じです。

 という感じなので、趣味の領域なので、Facebookはもう最近は殆ど見ることはないのですが、ちょっと時間が出来たのもあって、開いてしまいました…。
 で、この表示。
 率直に言って、「Facebookチームよ、人びとを殺す気か」と思いました。

 もう、頑張っていますよ。
 殆どの人はもう十分に頑張っています。
 なのに、何故こんな言葉を一方的に投げつけてくるのでしょう。
 あたかも、まだ「頑張り」が足りないかのように。

 今、必要なのは「頑張れ」という気合い、根性を求めることではなく、正確な情報を伝えることです。
 感染者がどのくらいいて、今のままなら今後1週間後、2週間後にはどうなっているのか。
 コミュニケーションツールであるFacebookが示すべきは、それらの正確な情報に基づいて、「希望」を示すことではないでしょうか。

 あるいは、周りに困っている人がいたら、こういうところに、こういう手続きをすれば助かりますよという情報を示すとか。
 「Facebookチーム」の中の人たちは知らないようですが、既にこのコロナ禍で、仕事がなくなり、収入がなくなり、絶望している人たちがたくさんいます。
 そんな人たちにかけるべき言葉は「頑張れ」ではなく、「助かります」「助けます」というメッセージのはずです。

 ということで、経済的に困窮している人、また、近くにそういう方がいて心配している方は下のサイトを見て下さい。

新型コロナウイルス感染症に関する支援策等について | 困窮者支援情報共有サイト〜みんなつながるネットワーク〜


 そして、精神的にやられている人は、厚生労働省の下のサイトを見て下さい。

新型コロナウイルス感染症対策(こころのケア)|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト


 僕もコロナうつに関しては少し書いたので、暇だったら見てみて下さい。
コロナうつにならないために

 というわけで、Facebookとはまた当分の間おさらばです。
 これ以上頑張れないし、頑張りたくもないんで。
 僕の様子を知りたい方はTwitter眺めててもらえればなんとなくわかると思います。
 では。