ピルカッター
昨年末に転居したので2月から新しい病院に通うようになり、 薬が追加されました。
今まで飲んでいたのは2種類です。
睡眠薬を規定量の2倍飲んでいるので、転院してまず最初に血液検査をしました。
その結果、全く問題がないということで、うつは割と軽いものの、睡眠を取れるようにしましょうということで、抗うつ効果もある睡眠薬が追加されました。
つまり、今は3種類服薬していることになります。
・抗うつ薬(SNRI:カプセル)
・睡眠薬(割と強いものを規定量の2倍:錠剤)
・抗うつ薬でもある睡眠薬(追加されたもの:錠剤)
「副作用で眠気が強く出るので強かったらやめて良いですからね」と言われ、まず1錠処方されました。
そして、最初飲んだ日、今までよりも眠れるようになりました。
翌日(つまり初日)、かなり眠気を感じたものの、1日中眠気が続くようなこともなく、しかも、その後は眠気をあまり感じず、今までよりも眠れるようになりました。
でも、本音を言えば、「もう少し眠れたら良いなぁ」、と思っていて、この間の受診時に医師にそのことを伝えたら、「じゃあ、4錠まで処方できるので、もう1錠追加しましょう。」とのことになりました。
今回も前回同様「眠気が強すぎたらやめて良いですからね」とのことでした。
で、2錠飲むようになり、前回よりも更に眠れるようになりました。
が、今回は前回よりも副作用の「眠気」が強く出るようになってしまいました。
仕事に支障が出るほどでもないのですが、かといって、なんだか眠い。
更に眠れるようになるというメリットがあるものの、「眠気」というデメリット。
1.5錠に出来たらなぁ、と思いつつ、1錠にしてみたり、やっぱり2錠にしてみたりしていたのですが、「1.5錠にしちゃえば良いんじゃ?」と。
なんとなく、勝手に薬の処方量を変えたり、薬を割ったりすることを「してはいけないこと」と捉えていたのですが、半分にしてみようと。
で、なんかうまく割れる(切れる)方法がないか、と思って調べたら、普通に売ってました。
なんだ、需要もあって、普通に売っているんですね。
もしかしたら、薬局とかで売っているのかも知れないのですが、なんとなく面倒だったので、僕はAmazonでポチりました。
で、半分に割り、1.5錠にしてみた結果ですが、なんか良いかも、って感じです。
僕の不眠の症状は、中途覚醒で、3時間くらいで目が覚め、その後眠れない、というものだったのですが、追加された薬のおかげで大体5時間くらいで目が覚めるようになりました。
そして、その後も(調子が良ければ)眠れるようになり、服作用の「眠気」もそこまで感じずにいられています。
「眠気」を感じずにいられれば、眠気を覚ますために職場に着いてからまず飲んでいたコーヒー(カフェインを取るため)も飲まなくて済みますし、このまま順調にいけば良いなぁ、と思っています。
またカフェインなし生活が送れたらいいなぁ、と思っています。
バリアとしての音楽
おはようございます。
時短勤務になり、ブログを書く時間が出来たぶみです。
誰が読んでくれているのかは相変わらず分かりませんが、5月になりアクセス数が増えたので(その前から更新もしていないのに増えていましたが)、正直戸惑っています。
先日、僕が高校3年生だった時のような生活を送っていて、この生活を送っていれば、うつ病も不眠症もなくなるのではないか、と書きました。
そういえば、高3の時と全く違うな、実はコーピング(ストレスコーピング | e-ヘルスネット(厚生労働省))になっていたな、と思うことがあります。
今日は、それについて書いてみたいと思います。
僕が高校3年生だったときと決定的に違うのは、音楽の聴き方です。
少なくとも高校3年生の時までは、僕は自分が「好きな」「聴きたい」音楽を聴いていました。
それはレッドホットチリペッパーズだったり、レディオヘッドだったり、ドアーズだったりと、基本的に洋楽でした。
なぜ洋楽だったのかというと、日本語の歌は僕にはストレートに言葉が入って来過ぎてつらかったからです。
ストレートに発される言葉よりも、一旦「英語」という母語ではない言語に変換される(変換する)ことによって、僕は音楽とその言葉を受け止めることが出来ました。
なので、今でも基本的に聴いているのは洋楽です。
で、改めて自分の音楽への接し方を振り返ったとき、大学生以降は僕にとって「バリア」だったな、と。
このブログ、何故か一番読まれているのがひたすら音楽が流れるラジオの投稿です。
僕にとって、ひたすら音楽が流れるラジオの心地よいのは、周りとのバリアになっているからです。
楽曲を提供し、それを配信しているラジオ局の方々には本当に申し訳ないのですが、僕がひたすら音楽が流れるラジオを聴いているのは、周りの人、世界と隔てるバリアになっているからです。
僕はHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia)です。
なので、どうしたって、周りからの情報を過剰に取り入れてしまいます。
そこで、今になって気づいたのが、ひたすら音楽が流れるラジオが今までバリアになっていたということです。
ひたすら音楽が流れるラジオで聴いた曲の中でも「これは良い!」と思って買ったものもありますが、少なくとも20代から今に至るまで、洋楽以外の音楽は基本的に外の世界に近づかないようするための「バリア」でした。
あぁ、自分が日本語の歌が苦手な理由はこれなのか、さらに、何故洋楽が好きなのか、ということが今になってようやく分かりました。
僕にとって、音楽はバリアであり、癒やしである。
今後はそれを使い分けながら聴いていこうと思います。
「神は耐えられない試練を与えない」について
最近、このコロナ禍にあって「神は耐えられない試練を与えない」という言葉が身近なところからも、世間からも聞こえて来るようになりました。
まず、僕が伝えたいことは、神は耐えられない試練を与えます。
(原典での著者本来の意図は違うのですが、あえてこのように書きます。)
なので、耐えられなさそう、というか、少しでもやばいなと思ったら、逃げたり、相談したり、休んだりしてください。
具体的な対処法としては、一昨日書いたものにも載せた心理的危機対応プラン「PCOP」を用いてみてください。
その上で、じゃあ、この言葉がそもそもどこから出てきたのかということと、僕自身の経験を書いておきたいと思います。
「神は耐えられない試練を与えない」というこの言葉、キリスト教の新約聖書の中に載っている、『コリントの信徒への手紙Ⅰ』という、パウロという人が書いた手紙の中に出てきます(10章13節)。
パウロという人は、イエスの弟子ではなく、最初イエスの弟子やイエスのことをキリスト(救世主)だと信じていた人たちを迫害していた人で(少なくともイエスをキリストだと信じる人が処刑される場に居合わせていたことがある)、のちに回心して、イエスのことをキリスト(救世主)だと信じるようになり、各地を旅し、それを伝えた人です。
このパウロという人がいなかったら、キリスト教は世界に広がることはなかったでしょうし、今、キリスト教は残っていなかったと僕は考えています。
また、パウロは何らかの身体的な「障害」を持っていたと考えられ、多分それが理由で身体的「障害者」に対しては「優しい」眼差しを持っています。
ですが、同性愛的行為を禁じる言葉も残していて(『ローマの信徒への手紙』1章24-32節)、これは当時の社会文化的背景を考慮したとしても、現在にも及ぶ多大な影響を考えると、決して評価出来るものではありません。
簡単に言えば、パウロもただの人であって、良いところもあれば、悪いところもあり、良いことも書き残していれば、悪いことも書き残している、ということです。
で、ここからは実際にどのように書かれているのかを、載せておきたいと思います。
まずは、原文とされる(コイネー)ギリシア語です(用いたのはNESTLE-ALANDの、最新28版ではなく、手元にあった26(2006年発行)版です)。
πειρασμος υμας ουκ ειληφεν ει μη ανθρωπινος πιστος δε ο θεος, ος εασει υμας πειρασθηναι υπερ ο δυνασθε αλλα ποιησει συν τω πειρασμω και την εκβασιν του δυνασθαι υπενεγκειν.
これを日本で一般的に用いられている新共同訳ではこのように訳しています。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
次に、僕が訳として一番信頼している岩波書店版(青野太潮訳)ではこのように訳されています。
人間的[な試練]以外の試練があなたがたを捕らえたことはない。神は真実[な方]である。その神は、あなたがたが[耐え]得ないような仕方で試練に会うようにはせず、むしろあなたがたが[それに]耐えることができるために、試練とともに出口をも造って下さるであろう。
(引用注:[]内の言葉は文脈から補われた言葉です。)
まず、簡潔に言っておきたいのは、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(新共同訳)、「試練とともに出口をも造って下さる」(青野太潮訳)と書いてあるように、「逃れる道」「出口」もあるということです。
決して、「耐えろ」というニュアンスで書いているものではありません。
なので、この言葉を使って、「耐えましょう」みたいに用いること自体がパウロの意図したものと全く違っています。
耐えられるように「逃れる道」「出口」も神は用意している。
つまり、僕ら人間としては耐えられそうになかったら、さっさと逃げるということも、試練に向かう一つの方法なのです。
その上で僕の個人的な体験を書いておきます。
僕が最初にうつ病になったのは、牧師になるための神学校で教員だった司祭や僕が所属していた教区の主教たち(≒牧師たち)によるパワハラが原因です。
僕はキリスト教の「聖職者」によって心身の健康を破壊されました。
一度壊れた心身の健康は二度と回復することはありません。
もし、回復したかのように思えても、元に戻ることはなく、前よりも脆くなります。
それは、一度寛解したものの(寛解:病気そのものは完全に治癒していないが、症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失すること。(広辞苑第六版))、うつ病を再発したという体験からも言えることです。
なので、今回のコロナ禍で、少しでも耐えられそうにない、と思ったら、逃げて下さい。
休んで下さい。
助けを求めて下さい。
耐えようとすれば死にます。
耐えられなさそうというサインは何か、というと、「眠れなくなること」です。
少しでも眠れなくなったら、すぐに相談しましょう。
というか、病院に行って睡眠薬をもらって、とりあえず寝ましょう(休みましょう)。
そして、誰かに相談しましょう。
相談場所はいくつもあります。
・信頼できる人(友人、知人、家族など)。
・心療内科、精神科などの病院(予約が必要なところが多く、すぐには診てもらえないかもしれませんが、とりあえず予約して下さい)。
病院は敷居が高いかもしれませんが、健康保険が使えるので経済的負担も少なく(初診で薬を含めて数千円、生活保護対象世帯はお金はいりません)、専門の医師が診てくれます。
(「カウンセリング」はよく調べないと質の担保ができないとともに、経済的負担も大きいのでお勧めできません)
・電話での相談
これは、厚生労働省が一覧を載せているので、電話できそうなところがあったら、そこに電話して下さい。
電話相談|厚生労働省
耐えられそうもないことから、逃げること、休むこと、助けを求めること、それも神は「逃れる道」「出口」として用意しています。
そもそも、多くの日本の人たちはキリスト教徒じゃありませんし、普段から教会に行っているわけでも、聖書を読んでいるわけでもないので、こんな言葉に振り回されずに過ごしましょう。
※尚、神学論争をするつもりは全くありませんので、議論したい方は教会や学会でお願いします。
コロナうつにならないために
おはようございます。
コロナ禍の中、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
僕は勤務時間が大幅に短縮されたこともあり(本来8~18時だったのが、コアタイム9~15時に)、こうしてブログを書く時間が出来るほどになりました。
(せっかくついてきた上半身の筋肉はなくなりましたが…。)
一昨日も触れたのですが、日本だけでなく世界中でCOVID-19で騒いでいますが、僕にはあまりピンときていません。
この気持ちは坂口恭平さんのツイートと完全に同じです。
今年に入ってすでに4500人の方が自殺で亡くなっとる。しかし社会問題にはならんしテレビでも言わんし国家は一言もなにも言わんし対策ももちろんせんから、いまはなんか騒いでるのもぜんぜんピンとこんし、やっぱおかしいなーと思う。
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 24, 2020
死ぬ前に09081064666
頼むー。
でも、今まで平気だった人も精神的にやられ始めているのは確かで、僕の知り合いの心理職の人とやりとりをしているのですが、その人は支援者であり、人のメンタル面を「支える」プロであるにも関わらず(プロだからこそ?)かなり精神的にやられています。
それは、東京自殺防止センターのこの↓ツイートと同じ情況なのだと思います。
やばいよね このままどうなっちゃうの
— 東京自殺防止センター (@tokyo9090) April 25, 2020
この先どうなるのか 誰もおしえてくれない
やっちゃいけないことばかり つまんない
今回のCOVID-19が日本で騒がれ始めたときに、僕がやりとりしているその心理職の人には「この後必要になると思うので知っている内容かもしれないけれど、読んでおいてくれると嬉しい」と渡したものがあります。
それが心理的危機対応プラン「PCOP」というものです。
評論家・ラジオパーソナリティの荻上チキさんが代表理事の、ストップいじめ!ナビが日本語版を作成し公開しています。
このPCOPの中に出てくるコーピング、是非「質より量」だと思ってやってみてください。
実際、今回、僕はぬいぐるみを買いました(恥ずかしかったけど、子どもの頃(小学校高学年になるまで?)ぬいぐるみに囲まれて寝てました)。
僕はうつ病なので、【不安】や【恐怖】とは長い付き合いです。
うつ病と最初に診断されたのが25歳の時で、それから考えると10年以上の付き合いで、その間に何回も死のうとしました。
相変わらず生きている意味とかはわかりませんし、長生きしたいという気持ちを持ったこともありませんが、それでも多くの人(友人、知人、家族、医師、同僚たち)やもの(旅、映画、漫画含めた本、ボルダリング、山登り、薬、お酒。そしてぬいぐるみ)に頼り、支えられながら生きてきました。
なので、僕は原因もわかっていて、対処方法もある程度わかっているCOVID-19に対して何故多くの人がこれほどまでピリピリするのかよくわかっていません。
確かに医療現場に立つ人たちはものすごく忙しく心身ともに多くのストレスを感じていることでしょう。
その人たちの負担をどうにか減らしたいという気持ちはあります。
けれど、僕のようなうつ病を患っている者は、原因もよくわからず、わかっていても、ある日というか、あるとき突然(本当にそれは突然に、自分の【意思】と関係なく)電車に飛び込もうという、防ぎようもない【衝動】の方がはるかに恐いのです。
より正確に言えば、僕は自分が死ぬことはどうでも良いのですが、今まで支えてくれた多くの人たちに、僕が死んだという【衝撃】を与えてしまうことが恐いのです。
なので、今回の騒ぎを見て、多くの人がいつまでも自分が生き続けていると思っているということに僕は驚いています。
まぁ、それでも恐いものは恐いのでしょうから、とりあえず見ておいてもらいたいものがあります。
それがまず日本赤十字社がYouTubeにあげている動画です。
長いですが、こちらの動画もとても大切だと思います。
そして、もう一つが、坂口さんのこのツイートです。
経済活動なんかどうでもいいけど体と思考の活動止めたら死ぬぞー。毎日何かをつくるように。これは趣味の話じゃない。生きるための方法であります。昔から糸をつくって、土器作って、笛作って、歌つくって、言葉つくってたのはなーんでだ。
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 21, 2020
僕が「いつも通り」の日々をどうにか過ごそうとしている理由がここにあります。
毎日同じ時間に起きて、(笑われながらも)同じもの食べて(それもこのコロナ禍で難しくなってきました…。特に納豆とキムチ)、仕事行く間に新聞読んだり、短歌考えたりして、仕事して、仕事が終わったら、ボルダリングして(今は休業中です。なので筋肉がなくなり太りました…)、夕食取って、ネットサーフィングして、シャワー浴びて、ちょっと本読んだり、映画見て薬飲んで寝る、という理由がここにあります。
経済活動は僕にとってはどうでも良くて、短歌(言葉)を作ったりすることがとても重要です。
ということで、もし、このコロナ禍でうつになりそうな人がいたら、「毎日何かをつくるように」してみてください。
そして、これは前述の心理職の方にも伝えたのですが、睡眠不足が一番やばいので、少しでも眠れなくなったと思ったら、睡眠薬をもらいに行ってください。
僕の通っている精神科クリニックは混んでおらず空いていました。
病院に行くことも多くの人はためらっている印象がありますが、心療内科や精神科に行って睡眠薬をもらって、そしてそれを飲んでたっぷり寝てください。
眠れればひどいうつになることはないので。
いのっちの手紙
みなさん、いかがお過ごしですか。
僕はコロナの対応に追われ、毎日上からの指示が右往左往するので、仕事に追われています。
ですが、勤務時間が短くなったので(コアタイム9時~15時)、時間が出来るようになりました。
ストレスからちょっとやばい時もありましたが(ジョギングしようとしたら息苦しくなって走れなくなり、手が震え、涙が出そうに)、Twitterにつぶやいたら、連絡してくれる人もいて、イースター後は相変わらず毎日飲んでいますが過度の飲酒にも至らず、「いつも通り」過ごしています。
そんな中、坂口恭平さんがこんなツイートをしていました。
みんながやれば一瞬で自殺者がいなくなるという特効薬を持つわたしたち^_^ https://t.co/V3DwTxDIco
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 22, 2020
坂口恭平さんは躁鬱を公にしていて、自分の携帯電話の番号を公開して、「いのっちの電話」として9年も活動しているのですが、やま(も)と(@madoya530)さんがツイートしているように「いのっちの手紙」なら、自分でも出来るのではないか、と思いました。
それは何故かというと、坂口さんが指摘しているように、コロナにはみんなすごく騒いでいて、これでもかとピリピリしてるのに(それが職場でも職場に向かう電車内でもストレスなのですが)、毎月約1,500人が自殺していることは全然触れられないし、騒がれないからです。
今年に入ってすでに4500人の方が自殺で亡くなっとる。しかし社会問題にはならんしテレビでも言わんし国家は一言もなにも言わんし対策ももちろんせんから、いまはなんか騒いでるのもぜんぜんピンとこんし、やっぱおかしいなーと思う。
— 坂口恭平 (@zhtsss) April 24, 2020
死ぬ前に09081064666
頼むー。
警察庁によると、今年3月末までの速報値では4,749名の方が自死しています。
その中の一人は僕の友人です。
で、僕に何か出来ないか、と考えていた時に見たのが「いのっちの手紙」というアイデアなのですが、それをやるにあたり僕の中で一番のネックは、僕の住所を公開することです。
脅迫文とか誹謗中傷とかはどうでも良いのですが、3月末に子どもたちに会った際、今後何があるかわからないと思い、子どもたちに僕の職場の名刺を渡しました。
そうしたら、その直後に元妻が子どもたちの状況や予定などこの2年間というもの、一切連絡して来たことがないにも関わらず、「養育費を増やせ」と要求してきました。
調停については既に書いた通りなのですが、そもそも今払っている養育費自体が元妻の年収が高いので(そして僕の年収が低い)、裁判所の想定外の金額です(0円でもおかしくない)。
で、その連絡に対しては、「増額を求めるなら裁判所へどうぞ」と返し、速攻でブロックしたのですが、調停は二度とイヤなので(というか元妻自体がPTSDなので)、子どもたちにも僕がどの都道府県に暮らしているのかも知らせていません。
(今の家に転居した際、DV被害に遭った方々がとれるような、完全に誰からもわからせないような方法も取れたのですが、あまりにも手続きが煩雑でしなかったので、ちょっと時間と手間をかければわかってはしまうのですが…)
で、色々考えたのですが、このブログでコメントをくれた人や、Twitter、InstagramでDMをくれた人に住所をお伝えしようかな、と。
ということで、いのっちの手紙、始めてみます。
うまくいかなかったら、それはそれでそのとき考えます。
では、良かったら、僕と文通しましょう、という話でした。
ジョギング
新型コロナ(COVID-19)の影響で、通っていたボルダリングジムも休業してしまいました。
朝起きて、仕事行って、ボルダリングして、帰宅して、夕食取って、シャワー浴びて、ちょっとのんびりして、寝る、というサイクルで生活していたのですが、ボルダリングジムにいけなくなってしまいました。
せっかくまた少しずつ筋肉も付いてきたのになぁ、などと思いつつも、まぁ、仕方がないことでもあるので、どうしようか、ということで、とりあえず走ることにしました。
僕は小さな時から走るのって苦手です。
小学生の時サッカーをやっていたので走ること自体は特に問題はないのですが、学校主催の持久走大会やマラソン大会は本当に苦痛でした。
そこには、「強制させられること」への嫌悪が多分にあるとは思うものの、そのイヤな思いは成人しても抜けきれず、走ることはなるべくしないように過ごしてきました。
が、ボルダリングが出来ず、次に好きな水泳も出来ず、ジョギングならしても良いといいうことなので、走ることにしました。
ですが、前述のように僕にとって走ることはイヤなことで、苦痛でもあります。
なので、走る上で少しでもテンションが上がるような環境を整えようということで、走る時用のイヤホンを買いました(TaoTronics ワイヤレス イヤホン Bluetooth 5.0)。
ズボンとかシャツはまぁ今あるもので良いのと、靴も一回走ろうとしていた時期があるので持っていたので、ほかに準備したのはスマホにAmazon Musicをインストールしたことです。
スマホとイヤホンをBluetoothでつなぎ、走りながら音楽を聴くことにしました。
ボルダリングもそうですが、僕にとって重要なのは、「無理しないこと」。
ということで、20分ほど走りました。
走って気づいたのは、結構良いかも、ということ。
12月末に引っ越してきた場所で、仕事の拘束時間が長く、勤務日も多いので(週6日)家と職場の往復&通院というような生活を送っていました。
なので、この地域にどんなお店があるのか、何があるのか全く知らなかったのですが、ちょっと走っただけで、ここにこのコンビニがあるのか、とか、このスーパーがあったんだ、とかシンプルに知らない場所を色々知ることが出来て面白かったです。
普段使っていなかった筋肉を使ったので、筋肉痛にはなりましたが、これもボルダリングと一緒で少しずつだと思うので、生活のルーチンに入れられれば良いなと思います。
睡眠薬追加
お久しぶりです。
あっという間に、前回の投稿から3ヶ月近く経ってしまいました。
更新できなかった一番の理由は年明けからの仕事で、10時間拘束の週6日勤務なので、シンプルに時間がありませんでした。
皮肉なことに新型コロナ(COVID-19)の影響で、ようやく時短勤務になり、少し時間が出来たので、久しぶりに書くことが出来ました。
この3ヶ月の間に何があったのかというと、
1月―とにかく新しい職場に慣れるのに必死。ボルダリングも再開。
2月―13連勤など多忙を極め、過労から月末に発熱。PCが壊れる。
3月―年度末業務に加え、新型コロナ(COVID-19)対応に追われる。病院を変える(引っ越しで遠くなってしまったため)。
4月―新年度業務、新型コロナ(COVID-19)対応が一旦落ち着き、ようやく時短勤務に(ほかの人は3月から既に時短、4月からはテレワークに)。
仕事自体は時短勤務になったものの、僕はまだテレワークにはなっていません。
今週中にはテレワークの日も入れつつ仕事する予定になっています。
と、既に時短やテレワークに移行していた人たちとは違い、僕は仕事で忙しかったので、新型コロナ(COVID-19)の報道に接する機会もあまりなく、テレビもないので、新型コロナ(COVID-19)に関してのストレスはあまり感じずに済みました。
店舗に行って商品棚に何もない、というときに気づくということが多かったです。
という感じで過ごしていたのですが、先日月に一度の通院があり、(抗うつ効果もある)睡眠薬が追加されました。
飲み始めてまだ2日ですが、とてもよく眠れるようになりました。
僕の睡眠サイクルは寝入りはほぼ問題がないのですが、3時間くらいで目が覚め、その後考え事をしてしまい、半分寝ているような感じで朝まで過ごすという感じでした。
が、追加された薬を飲んでからは、以前と同じように一度目が覚めてしまうものの、その後は明け方まで再度眠れるようになりました。
初日はものすごく疲れていたのか、それとも医師から伝えられていた副作用のせいか、起きたときにものすごく眠かったのですが、2日目はものすごく眠いということは起きませんでした。
なので、このままうまく眠れるように過ごせれば良いな、と思っています。
ちなみに、新型コロナ(COVID-19)でストレスをものすごく感じていたり恐怖を覚えている人もいるようですが、僕はかなり落ち着いています。
というのも、僕自身が既にいつも死と隣り合わせにいるからで、通勤で使っている2路線ではホームドアがなく、飛び込みたくなることが度々あり、いつ死んでもおかしくないな、と感じているからです。
自分ではコントロール出来ないという点では感染も電車への飛び込みという衝動も変わりません。
そして、感染はある程度防ぐことが出来ますが、衝動は防ぐことも出来ないので、僕にとっては電車に飛び込もうとする自分自身の「衝動」の方が怖いのです。
ということで、周りの人が騒ぎ落ち着かずにいる姿を見て、むしろ自分自身は落ち着くというか、逆に冷静になっている感じがします。