岩城けい『 さようなら、オレンジ』
新聞に載っていた書評を読んで手に取っていた作品です。
いつか読もうと思ってずっと置いてあったのですが、旅の中で読みました。
さようなら、オレンジ (ちくま文庫)
内容(筑摩書房より)
オーストラリアの田舎町に流れてきたアフリカ難民サリマは、夫に逃げられ、精肉作業場で働きつつ二人の息子を育てている。母語の読み書きすらままならない彼女は、職業訓練学校で英語を学びはじめる。そこには、自分の夢をなかばあきらめ夫について渡豪した日本人女性「ハリネズミ」との出会いが待っていた。第29回太宰治賞受賞作。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
2019年に読んだ小説で、ベストを選ぶとしたらこの作品を選ぶと思います。
(チョ・ナムジュさんの『82年生まれ、キム・ジヨン』、瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』と迷うところですが)
何故ベストなのかというのは、解説で小野正嗣さんが書いている通りなのですが、日本人による作品なのに「難民」が主人公であること、母語と違う言語、母国から離れて暮らす「移民」の物語であることです。
ついにこの時が来たか、と。
崔実さんの『ジニのパズル』のように、日本の中で日本人と同じように生きてきた人が抱える「国」や「文化」「言語」の違いやそこから生まれる「差別」を描いてきた優れた作品は出ていたものの、まだ日本人が他国を背景にして、言語や文化、差別の中で生きる人を描いた作品は出てこなかったように思います。
そして、単に「日本人」がそれを書いた、というだけでなく、この作品では、サリマというアフリカ出身の主人公を、読んでいる者のすぐ隣りにいる「自然な」存在として描かれています。
例えば、僕にとって印象的だった場面を載せてみます。
失うかも知れない、サリマは息子たちが父親に駆け寄るところを想像した。そしてさらに驚いたことには、もしそうなっても、自分ははじめからひとりぼっちだったんだから何もかわりはしないという考えが頭をかすめたことだった。いつくしんで育ててきたつもりだが、結局自分の持ち物ではないのだ。子供なんて、と。それでも、失うことは哀しかった。
突然いなくなった夫。
二年経ち、必死に働き、子どもたちを育ててきたサリマ。
突然夫から連絡があり子どもたちに会わせろと要求され、そして、子どもたちを引き取る、と言う。
その時のサリマの心情です。
僕は、一人で働き育てていたわけではありませんが、主夫として子どもたちを育てていました。
そして、それをある日「突然」失いました。
失ったことはとても哀しい出来事です。
けれど、「自分ははじめからひとりぼっちだったんだから何もかわりはしない」という気持ちも同じように持っています。
そして、実際に子どもの内の一人が父親の元に行ってしまったのですが、その時のサリマの心情も迫るものがありました。
でも、いまのサリマに必要なものは、自分を受け入れること、そして走り出すことなのかもしれない。行動が先で結果はそのあとからついてくるものなのだと理解するには、まず労働することを体に覚え込ませなければならなかった。労働で鍛え上げられたいまのサリマにならわかる。自分で立ち上がるしかないのだ。
「行動が先で結果はそのあとからついてくるものなのだと理解するには、まず労働することを体に覚え込ませなければならなかった。」という言葉。
労働は何でも良いと思います。
とにかく動くこと。
「行動が先で結果はそのあとからついてくる」。
それを理解するためにはまず、「労働」し、「体に覚え込ませなければならな」い。
サリマはアフリカ出身の「難民」で、僕とは全く違う環境に置かれています。
僕とサリマとの共通点はほぼありません。
けれど、こんなにも「隣りにいる」と思わせる。
ついに、こんな作品が出てくる時代になったんだ、となんだかとても嬉しい気持ちになりました。