相田みつを『相田みつを ザ・ベスト 一生感動一生青春』
先日から書いている相田みつをさんの『相田みつを ザ・ベスト にんげんだもの 逢』、益田ミリさんの『世界は終わらない』と同じく古書店で一緒に手に取った本です。
中身を見ずにささっと手に取り、相田みつをさんの本だったこともあり、てっきり『にんげんだもの』同様、詩が載っているのだと思っていたのですが、この本はエッセイになっています。
相田みつを ザ・ベスト 一生感動一生青春 (角川文庫)
相田みつを ザ・ベスト 一生感動一生青春 相田 みつを:文庫(電子版) | KADOKAWA
内容(KADOKAWAより)
筆を持つたびにわたしは 人間としての自分の至らなさを悟ります(本文より)真摯に自分をみつめることばの裏側を支えたのは、学び続けた仏教の心だった。人生の真髄をすっとしみこむようなやさしい文章で綴ったエッセイと書の数数は、わたしたちの前に続く道のりをそっと照らす、ことばの道標となることでしょう。書籍未収録作品を加えた、オリジナル編集でおくる「相田みつを ザ・ベスト」シリーズ!
勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆
感想
あとがきでは、単行本の『一生感動一生青春』からの抜粋だということが触れられています。
また、高島屋の雑誌に連載されていたものだということです。
詩だと思って読み始めたら、エッセイだったので正直な所、戸惑ったのですが、相田みつをさんがどんなことを考えて書にしていたのか、詩にしていたのか、その背景がわかって良かったです。
特に、相田さんは仏教への思いが強いようで、かといって押しつける事もなく、それでいて、とても仏教というか、お坊さんたちの教えについて詳しく学んでいることも伝わってくる内容でした。
仏教のことばも多く、言葉自体は知っていたけれど、その意味を理解していなかったものもあり、初めて知る言葉の中にも覚えておきたいものもいくつかあったのですが、「べんかい」についての文章を載せてみます。
汚れたネズ色の隣に、黒を持ってくる、という作業が、他人に泥をかけるという行為です。つまり、それがべんかいです。
どんなにうまくべんかいしても、どんなに他人に泥をかけても、自分の服の汚れ(ネズ色)は落ちませんね。自分の服の汚れを落とすためには、ザブザブと洗うことです。
これは、人間(相田さん含む)が持つ「弱さ」の話しの中で出てくるのですが、どうしても僕たちは「べんかい」してしまうことがある。
特に「いざとなると」。
それに対して、どんなに他人と比べたとしても自分の「色」は変わることはないのだ、と書いています。
そのうち
そのうち
べんかいしながら
日がくれる
この考えから上に載せた詩(書)が出来るのですが、僕は単に人間、自分の持つ弱さだけでなく、自分の「色」について考えさせられました。
僕にはすでに色がついていて、誰かを見て、誰かと比べてあの人の色になりたい、あの人の色が良い、と思う。
けれど、決して、その人の色にはなれないことがある。
というよりも、そもそも自分の色がどんな色なのかわかっていない。
自分の「色」を見つけることは難しいことですが、汚れたら洗うということだけでなく、自分がどんな「色」なのか、わかるようになりたいな、と思いました。
相田みつを『相田みつを ザ・ベスト にんげんだもの 逢』
先日書いた益田ミリさんの『世界は終わらない』と同じく、古本屋で目に留まったので手に取った中の一冊です。
相田みつをさんの詩って読んだことがあるようで(わりと好きなのは「人の為と書いていつわりと読むんだねえ」です)、一冊の本としては読んだことがなかったような気がするので読んでみました。
相田みつを ザ・ベスト にんげんだもの 逢 (角川文庫)
相田みつを ザ・ベスト にんげんだもの 逢 相田 みつを:文庫 | KADOKAWA
内容(KADOKAWAより)
「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」不安なとき、心細いとき、悲しいとき……人生によりそう言葉の数々を厳選した『にんげんだもの 逢』を、いまこそ読みたい内容にリニューアルした決定版。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
この文庫版は割と最近出版されたもので、東日本大震災後に編纂されことが相田さんの息子さんによるあとがきには書かれています。
今回は相田さんの詩と書が載っているのですが、僕が一番良いなと思った作品を挙げてみます。
一番わかっている
ようで一番わから
ぬこの自分
「その通り」というしかない言葉だな、と思います。
けれど少し希望があるのは、「わからない」ということが「わかってきた」のが年を重ねてくる毎だということです。
最初はわかっていたのにわからなくなってきたとすればかなりさみしい感じがしますが、自分のことをわかっていないということをわかってきたのは年を重ねる毎に深まってきている気がして、だからこそ、色々試行錯誤してみたりするわけで、それはそれで良いことなのかもしれないな、と思ったりします。
他にも「いのちの根」という詩は(あえて載せませんが)、ちょうど仕事が最後の時期に読んだということもあり(最後何故か柔和になってきたと思ったら、やっぱり最後の最後も上司がマウント取ってきました…)、支えられるというか、何も言わず耐えることも自分にとっては何か必要なことなのかもしれないと感じました。
益田ミリ『世界は終わらない』
先日、ふと古本屋さんに寄りました。
あんまり時間がなかったのですが、とりあえず100円コーナーに行ってみて、気になる作品を手に取った中の一冊がこの益田ミリさんの『世界は終わらない』です。
あとでレビューを眺めていたら評価が分かれていたのですが、その理由は単行本では『オレの宇宙はまだまだ遠い』というタイトルだったのが、文庫化の際にタイトルが変わり、それが1度買っていた人の反発を買ったようです(説明文もなかったようで)。
僕は割と益田ミリさんの本を読んでいる方だと思いますが、『オレの宇宙はまだまだ遠い』は読んでいなかったので、良かったです。
世界は終わらない (幻冬舎文庫)
内容(幻冬舎より)
書店員の土田新二・32歳は、後輩から「出世したところで給料、変わんないッスよ」と突っ込まれながらも、今日もコツコツ働く。どうやったら絵本コーナーが充実するかな? 無人島に持って行く一冊って?1Kの自宅と職場を満員電車で行き来しながら、仕事、結婚、将来、一回きりの人生の幸せについて考えを巡らせる。ベストセラー四コマ漫画。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
書店員の土田新二、32歳が主人公の漫画になっていて、日々考えていることや出会ったことなど描かれています。
たとえばこんなシーンがあります。
うらやましいのとも
違う
ただ、
ただ、
オレの人生の意味ってなんなんだろうって
明日からもここに帰りつづける
オレの人生の意味って
なんなんだろうって
考える夜もある
な~んて
振り出しというか、マイナスになった僕にとってはものすごくグサリと心に刺さってくるセリフでした。
特に、土田は誰かの人生と比べてしまって、比べても仕方のないことだと分かっていても比べてしまうことがある、ということも描いているのですが、そんな葛藤というかちょっとした悩みを持つ土田の年収よりも低い収入で、子どもたちからも離れて暮らし、恋人もおらず、友だちもいない、初めて暮らす場所に引っ越し、新生活が待っている。
正直、子どもたちと離れて暮らしていることが僕にとってはとてもつらく、今まで土曜日に授業公開があった時には行って、子どもたちに会ってきたのですが、今度の仕事は土曜日も仕事があるので、さらに会えなくなります。
それを想像しただけで不安というかつらく、この1年半ちょっとの自分をなんとか支えていたものがなくなってしまう気がしています。
そして、35(年明けには36)になることもあり、なんだかそういうことを延々と考えてしまいました。
この作品では最終的に恋人も出来、ハッピーな展開になっていて、益田さんの作品自体はいつもとても良いな、と思い、今回も良かったのですが、「それに対して僕は…」と考えてしまいました。
まぁ、引っ越しと新しい職場という新生活にただ不安がある、ということなのかもしれませんが。
なんだか、うつをさらけ出してしまいましたが、良かったのは、主人公が書店員という設定ということもあり、沢山の本が紹介されていたことです。
児童文学の名作から(でも僕は読んだことがない)、漫画など幅広く出てきたので、これ今度読んでみよう、という作品が出てきたのが良かったです。
東直子『春原さんのリコーダー』
僕は歌人の穂村弘さんが好きで(天才だと思ってる)いくつかの本を読んで来ましたが(『本当は違うんだ日記』、『世界音痴』、『求愛瞳孔反射』、『現実入門―ほんとにみんなこんなことを?』)、その中に東直子さんとの共著『回転ドアは、順番に』がありました。
『回転ドアは、順番に』では、穂村さん、東さんがどの文章を書いているのか分からなかったものの、良かったので、東さんの本を読んでみたいなぁ、と思っていたら、タイミング良く、第一歌集が文庫化されたというのが、この『春原さんのリコーダー』になります。
春原さんのリコーダー (ちくま文庫)
内容(筑摩書房より)
人気歌人で、作家としても活躍している東直子のデビュー歌集。代表歌「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」ほか、シンプルな言葉ながら一筋縄ではいかない独特の世界観が広がる347首。小林恭二、穂村弘、高野公彦らによる単行本刊行時の栞文に、新たに花山周子による解説、川上弘美との対談も収録。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
第一歌集ということもあるのか、載っている作品・短歌はそれほど多くはなく、解説というか、初版時の推薦文などがかなりの部分を占めています。
なので、ほぼ東さんの短歌で構成されていると思って読みはじめると戸惑うかも知れません。
けれど、様々な人(その中には穂村さんも)が語る東さんの短歌について、いかに優れているか、いかにその人にとって重要なのかが伝わって来ました。
とりわけ、みんなが触れずにはいられない作品である「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」は、それらの解説文を読んでいるとそのすごさが伝わってきたのですが、僕が一番良かったと思った作品は誰も触れられていませんでした。
なので、僕が一番良かったと思う作品を載せてみたいと思います。
「そら豆って」いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの
僕の中で一番残ったのはこの作品です。
もちろん「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」のすごさというか優れたところも分かるのですが、解説を必要としないストレートに響く言葉が僕は必要だと思っていて、言葉に「意味」とかを必要とさせない言葉が大切だと思っています。
だからこそ、この作品、「『そら豆って』いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの」はそういう言葉の「意味」とかが必要がなく、ストレートに響いてきたのでとても良いな、と。
人によっては、この作品を恋愛の歌とも読めるでしょうし(今読むとそう思います)、でも、僕はなんだか子どもたちと過ごした日を思い出しました。
「『そら豆って』いいかけたままそのまんまさよならしたの さよならしたの」。
僕はそら豆が好きで、その季節になって八百屋さんに並びはじめると買い、よくゆでていました。
「そら豆ってさぁ」とか言いながらそのまま終わってしまった子どもたちとの生活。
なんだか、僕には2年前には当たり前のこととしてあった子どもとの「日常」が目の前に浮かんできました。
辻村深月『スロウハイツの神様』
先日会った友人に勧められた小説です。
すごく良かったと言っていたのと、調べてみたら文庫だったので上下巻で長い作品ですが、さらっと眺めたところ評価も良く、手に取りやすかったので、読んでみました。
スロウハイツの神様(上) (講談社文庫)
『スロウハイツの神様(上)』(辻村 深月):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部
内容(講談社BOOK倶楽部より)
人気作家チヨダ・コーキの小説で人が死んだーー
あの事件から10年。
アパート「スロウハイツ」ではオーナーである脚本家の赤羽環とコーキ、そして友人たちが共同生活を送っていた。
夢を語り、物語を作る。
好きなことに没頭し、刺激し合っていた6人。
空室だった201号室に、新たな住人がやってくるまでは。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
先に、ちょっと批判的なことを書くと、やっぱりちょっと長いなと僕は思いました。
それと、先が読める展開になっているところもあって、それまで結構面白く読んでいたのにこのまま終わるのかな…、という気持ちになっていたら最後、良い意味で裏切られる展開が待っていました。
作品の内容としては、現代版「トキワ荘」です。
スロウハイツがある場所もトキワ荘を思わせる場所に設定されていて(西武池袋線椎名町駅周辺)、そこに若い作家たち(脚本家、作家、映画作家、漫画家、画家)が一緒に生活するというものです。
登場人物たちの年齢は20代後半から30歳まで。
すでに活躍している人も、駆け出しの人も集まって暮らしています。
20代後半から30歳までという年齢層に、35過ぎの僕としては「この年齢だから出来ることってあるよな」と思いながら、ある意味自分を振り返りながら読んでいたのですが、実は登場人物たちは僕と同世代を過ごしてきたことが後から分かり、そこに虚を突かれた感じがしました。
他人の話だと思っていたら、最後、自分の話しだったというか。
さて、この作品の中で印象的だった文章を2つ取り上げてみたいと思います。
まずはスロウハイツに暮らすメンバーでは30歳と一番年齢が高いけれど、年長者だとまるで感じさせないどころか、むしろ「守られる」存在であるかのようなコーキの言葉です。
「いいことも悪いことも、ずっとは続かないんです。いつか、終わりが来て、それが来ない場合には、きっと形が変容していく。悪いことがそうな分、その見返りとしていいことの方もそうでなければ摂理に反するし、何より続き続けることは、必ずしもいいことばかりではない。望むと望まぎるとにかかわらず、絶対にそうなるんです。僕、結構知ってます」
この言葉、読んだとき、僕自身に響いてきた言葉なのですが、最後になって、コーキ自身の経験が反映されていることが分かります。
「僕、結構知ってます」という言葉の意味が分かるようになっています。
物語から離れて僕自身のこととして考えたとき、まず気になったのは、自分の今の状態、情況が「いいこと」なのか「悪いこと」なのか、どちらにいるのか、ということです。
「いいことも悪いことも、ずっとは続かない」としても、今の僕のこの情況はどちらなのか。
それさえも分からず見失っているような気がします。
もう一つ気になった文章は、漫画家である狩野が心の中でつぶやく言葉です。
ついてしまった傷を磨き、汚れを落とし、どれだけ注意深く扱っても、それでもなお、残るものがきっとある。他人には見えない場所でそれは静かに増え、刻まれていくのだ。
これは、ただただ「あるなぁ」と。
どれだけ注意深く扱っていたも、傷つけてしまうこともあって、それが致命傷になることもある。
ある意味、仕方のないことなのかも知れませんが。
そして、作品も良かったのですが、僕の中で一番良かったのは、西尾維新さんの解説でした。
誤解を恐れずに言えば、作家とは社会不適合者の別名である。作品は社会に不可欠であっても、作家のほうは生憎そうはいかない。社会の歯車などという自虐的な言葉があるけれど、その比輸にのっかっていうなら、彼ら彼女らは、外れてしまった歯車である。
西尾さんが書いている「作家」はクリエイターを指しているので、何かしらを作り出す人のことを指しています。
小説家ではなくても、何かしらを作り出す人のことです。
西尾さん自身が作家ということもあり、妙に深く納得させられる文章になっていました。
坂口恭平『まとまらない人』
最近、勝手に助けられている人がいます。
それは坂口恭平さんで、先日、彼を追ったドキュメンタリー映画「モバイルハウスのつくりかた」を紹介しましたが、坂口さんのツイートを見て、押しつぶされそうな気持ちをなんとか保っています。
そんな坂口さんの新刊が出たということで、読んでみました。
まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平
リトルモアブックス | 坂口恭平 『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』 【サイン本あり!】
内容(リトルモアより)
稀代の芸術家か? 革命家か? 誇大妄想狂か?
僕の小説は、1人の人間が書いてる感じじゃない。/なぜか僕はあらゆる人にシンパシーを感じたり、その人に対してかわいそうって思ったり、助けたいと思ったりする電気信号がある。/魔法は使えないけど料理ならできる/みんなからしたら、新政府が頂点だよね。でも、僕には通過点。/躁鬱病ゆえだと思うんだけど、大事なときは、ぜんぶ恐怖心が飛んでしまう。
(本文より)
坂口恭平が強さも弱さもすべてさらけ出した、3日間のインタビュー。
高速変幻自在男、矛盾に満ち溢れた矛盾のない全活動を語り尽くす。
勝手に五段階評価
★★★★★
感想
内容は坂口さんが直接書いたものではなく、3日間に渡って坂口さんが話した内容をまとめたものになっていて、タイトルの通り、「まとまらない人」である坂口さんのまとまらない様子が伝わってきます。
肩書きで言えば、建築家であり、エッセイストでもあり、小説家でもあり、画家でもあり、新政府内閣総理大臣でもあり、「いのっちの電話」といって自分の携帯電話の番号を公表し、様々な悩みを抱える人たちの相談にのっている活動家でもあります。
また、自分自身が躁鬱病(双極性障害)だということも公にしています。
この本の一番良かった点は、インタビューということが大きいと思うのですが、ツイートのように語りかけられているように伝わってくるところです。
僕がうつだからか分かりませんが、響いてくる文章が多くて読んでいたら付箋だらけになってしまったのですが、2箇所引用してみます。
みんなも晩年だと思って、どんどん下手な創作はじめたらいいのにって思う。認められるとか評価されるとか売れるとか金が入るとかダサいでしょ。すぐ鈍くなる。それで買えるもの買えても、アトリエ広くなっても、どうせつくらない。
「認められるとか評価されるとか」という言葉は、最果タヒさんの『きみの言い訳は最高の芸術』に載っている「共有したいっていう感情が、ずっとずっと邪魔だった。」という言葉とも共通する感覚のような気がしました。
先日会った友だちには僕がいきなりInstagramで詩や短歌を書き始めたことに戸惑い、心配されていたことがわかったのですが、坂口さんのこの文章にもさらに後押しされた気がします。
僕の場合は言葉にしないと逆にうつになるから書いているのですが、「認められるとか評価されるとか売れるとか金が入るとかダサいでしょ。」という言葉にはっとさせられました。
まだ誰かに認められたいというような気持ちがあって、それをダサいでしょ、と。
僕はただ書きたいから書いてるだけで、それが自分自身の健康を保つためにもなっている。
それで十分なんだよなぁ、と。
もう一つの文章です。
一貫性がない行動をしてたら、おかしい人って言われるでしょ。でも一貫性があるほうがおかしいと思うんだよね。それは僕の体質が分裂し続けてたから、そう考えるようになったのかもしれないけど、みんなだって多かれ少なかれ分裂してるはずだよね。本当は毎日、やりたいと思うことは違うはず。考えていることも毎秒変化してる。でもそれをそのまま素直に出して、生きていくのはとても難しいように思われている。いつのまにか、自分はどんな人間だっけ?と決めて、その道に沿って生きるようになっていく。でも、本当は違うはずで、毎日変わる。
分裂という言葉を使っているので少しインパクトがありますが、昨日と今日とで考えることややることが変わってもそれは当たり前でしょ、と。
むしろ、小さな時から同じ事が好きで同じ事を考えていて、同じ行動をしている方がおかしいというか、珍しいのでは、と。
生きていると色んな経験をして、だからこそその影響で考え方も行動も変わる。
「変わる」ということの方がむしろ当たり前のことなのではないか、と。
僕は小学校の時の成績表で「いろんなことをやろうとするのは良いけれど…」みたいなことを書かれ続けてきました。
つまり、一貫性がないと言われてきました。
それについて親からも苦言を呈されたこともあります。
でも、もし、僕が担任や保護者だったら違う言葉をかけると思います。
「好奇心旺盛で良いね」と。
子どもの時からずっと同じものが好きで、それを大人になってからも続け、仕事にして、という人にスポットライトが当たるので、それが「良いこと」のようにされているけれど、むしろそれは「変化していない」とも言える。
どちらが良いとかではなく、僕は変化していたいし、変化していきたい。
これかも色んな経験をして色んな刺激を受けて、変わって行きたい。
それで良いんだよ、と坂口さんとはスケールが全然違いますが、僕自身も「まとまらない人」で、それで良いじゃん、って肯定されたような気がします。
角田光代『愛がなんだ』
映画で観ようと思っていた作品(映画『愛がなんだ』公式サイト)なのですが、Amazonで詩や小説などを探していたら評価が高かったので、原作を読んでみることにしました。
(映画の方はまだAmazonプライムで無料で観られるようになっていないので観ていません)
愛がなんだ (角川文庫)
内容(KADOKAWAより)
OLのテルコはマモちゃんにベタ惚れだ。彼から電話があれば仕事中に長電話、デートとなれば即退社。全てがマモちゃん最優先で会社もクビ寸前。濃密な筆致で綴られる、全力疾走片思い小説。
勝手に五段階評価
★★★★☆
感想
タイトルからてっきり甘い恋愛物語だと思っていたのですが(表現が古い)、ますます映画を観たくなる内容の話でした。
KADOKAWAの紹介ページにあるようにこの作品「全力疾走片思い小説」という表現が最もしっくり来る内容でした。
さらに、主人公テルコの「全力疾走片思い」振りに目が引かれるものの、ふと思うとこの作品の登場人物たちのどの人も「片想い」なことに気づきます。
テルコもテルコが好きなマモちゃんも、テルコの友達の葉子のアッシー(分からない人はググって下さい)みたいな扱いをされてるナカハラくん。
その誰もがみんな「片思い」をしています。
その中で、特にテルコがナカハラくんを深夜呼び出してラーメン屋さんでのシーンがとても印象的でした。
でも、思ったんすよ。純粋に人を好きでいるってどういうことなのかって。そしたら、ぼくやバナリパ男みたいに、物欲しげにうろついてんのってちがくないかって
バナリパ男というのは、ナカハラくんが思いを寄せる葉子が今アッシー的にしている存在のバナナリパブリックの洋服を着ている男のことです。
ナカハラくんはナカハラくんなりに葉子に近づくことを諦めるというか辞めることしたことを語るのですが、ラーメン屋さんを出た後にナカハラくんはこう言います。
夜半に無性に人に会いたくなるのは、ぼくとか、テルコさんみたいな人種なんすよ。そもそも突然たまらなく人恋しくなるような人だったら、ぼくらみたいな行動に……って、まあ程度の差はあるだろうけど、ぼくらみたいなこと、なんかしらしてますよ。そうならない人だから、ぼくらみたいのが寄ってっちゃうんすよ
結局、葉子と自分は違う存在なのだ、と。
そもそも葉子のような人は夜半に無性に人に会いたくなったり、突然たまらなく人恋しくなるような人ではないのだ、と。
そして、だからこそ、ナカハラくんのような人が寄っていくのだけれども、葉子のような人はそもそも夜半に無性に人に会いたくなったり、突然たまらなく人恋しくなるような人ではないから、ナカハラくんのような存在が必要ではないのだ、ということです。
ナカハラくんと別れた後、テルコはこう回想しています。
たぶん、自分自身に怖じ気づいたんだろう。自分のなかの、彼女を好きだと思う気持ち、何かしてあげたいという願望、いっしょにいたいという執着、そのすべてに果てがないことに気づいて、こわくなったんだろう。自分がどれほど痛めつけられたって、傷ついたって、体がつらいと悲鳴をあげたって、そんなのはへのカッパなのだと、じきに去っていくであろうパナリパ男を見て知ってしまったんだろう、きっと。
自分がどれだけ痛めつけられたって、傷ついたってそんなのへのカッパである葉子に対しての気持ちの強さに怖じ気づいたのだろう、と。
さらに言えば、その自分の気持ちの強さに怖じ気づくだけでなく、決してそれを葉子が受け止めることがないということが分かったのだと僕は思いました。
それが先に出てきた、葉子は夜半に無性に人に会いたくなったり、突然たまらなく人恋しくなるような人ではない、「そうならない人」だという表現に表れていたと思います。
そこに気づいてしまったから、離れるしかないと考えたのではないかと。
それは怖じ気づくのとはちょっと違うような気がします。
誰かに思いを寄せること自体は自分自身のことなので、どれだけ尽くしたとしても平気です。
けれど、その気持ちを表しても、伝えても相手はその気持ちを受け止めてくれることがない。
だからこそ、ナカハラくんは葉子から離れようとしているだと僕は思いました。
最後に、一番沁みた言葉を載せます。
仕事に何も求めていないのに、仕事が私を救ってくれることがあるのだとふいに知る。
すごくシンプルで短い文章ですが、あるよねぇ、と深く染み渡る言葉でした。