映画と本と自分と山

映画が半分、残りは本と自分、時々山登りについて

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(字幕版)」

 ウォッチングリストに入れておいた作品がAmazonプライムで観られるようになっていたので見てみました。

 


フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法(字幕版)

 

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映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」公式サイト 2018年5/12公開

 

ストーリー(公式サイトより)
6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子供たちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごしている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく———

作品データ映画.comより)
監督 ショーン・ベイカー
原題 The Florida Project
製作年 2017年
製作国 アメリ
上映時間 112分
配給 クロックワークス

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 内容は上に書いた公式サイトにあるものでわかるものになっています。
 ディズニーランドの近くにある安モーテルに住む6歳のムーニーとその母親ヘイリー。
 食べ物は、同じモーテルに暮らす友人が働く安レストランからもらったものを、仕事は安く仕入れた香水などをリゾート施設に行き売るというもの。
 なんとか家賃を払いながら暮らしていく様子、いつ払えなくなりモーテルから追い出されるかわからないような状況がひしひしと伝わってきます。

 けれど、そのひりひりとした現実を、6歳のムーニーを通すことで、「貧困」だとか「売春」だとか、そういうものがわからず、ただただママがいて、毎日遊ぶ友だちがいて、という楽しい生活が映し出されていきます。

 フロリダ・プロジェクトとは、ディズニーランドの建設当初のプロジェクト名だったそうで、そのディズニーの「夢の国」との対比も鮮明にしています。
 僕は日本のディズニーランド&シーが苦手なのですが、その理由はここに描かれているものと同じです。

 ディズニーは「夢の国」だから、そこには「貧困」も「売春」もなく、ゴミもない。
 現実は貧困も売春もゴミもある。
 だからこそ、そのあまりの異世界ぶりに体も心も追いついていけないのです。

 もちろんディズニーランド&シーそのものを批判しているわけではなく、バリアフリーが行き届いていたりと良い面もありますし、実際に子どもたちのリクエストで行ってもいました。

 この映画は日本だったら是枝裕和監督の「誰も知らない」「万引き家族」、同じアメリカを舞台にしたものだと、「アメリカン・ハニー」になるかと思うのですが、子どもの視点から描いている以外にも、ラストがとても印象的でした。

 それは、僕が抱いている夢の国と現実の世界をつないでいるものになっているからです。

増税を初めて感じた出来事

 10月から消費税が上がったのですが、正直あんまり増税を感じませんでした。
 会社には通勤定期代の変更申請を出したりしたのですが、ある意味それは自分のお金じゃないというか。
 普段の買いものも、毎回同じものを買っているわけでもないので、正直なところ増税を感じていませんでした。

 が、先日、増税を実感する出来事がありました。
 それは、買いものではなく、通院後の薬局です。
 

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 毎回同じ金額だった処方薬の金額が違ったのです。
 医療費だから変わらないんじゃないの?とも思ったのですが、処方薬も消費税の対象になるそうで、2%分金額が上がっていました。

 そっかぁ、処方薬って、「買いもの」なのかぁ、となんだか腑に落ちない違和感を抱きつつ、増税したんだな、と実感しました。
 特に、僕が飲んでいる抗うつ薬ジェネリック(後発薬)がないので、もちろん払えない金額ではないものの、数週間分なので金額が変わっていることがすぐにわかりました。

「ドクター・ストレンジ」

 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」と同じ時にTSUTAYAディスカスで借りて観た作品です。
 マーベル作品としては【フェイズ3】の2番目の作品になります。

ちなみにフェイズ3は以下の作品です。
【フェイズ3】
シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016年公開)
ドクター・ストレンジ」(2017年公開)
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシ―:リミックス」(2017年公開)
スパイダーマン・ホームカミング」(2017年公開)
マイティ・ソー/バトルロイヤル」(2017年公開)
ブラックパンサー」(2018年公開)
アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー」(2018年公開)
アントマン&ワスプ」(2018年公開) 

 


ドクター・ストレンジ (字幕版)

 

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 ドクター・ストレンジ|映画/ブルーレイ・DVD・デジタル配信|マーベル公式

 

作品データ映画.comより)
原題 Doctor Strange
監督 スコット・デリクソン
製作年 2017年
製作国 アメリ
配給 ディズニー
上映時間 115分
映倫区分 G

ストーリー(公式サイトより)
突然の事故で神の手を失った天才外科医ドクター・ストレンジ。彼を甦らせたのは──魔術。厳しい修行により魔術を習得した彼は、世界を滅亡から救うため“闇の魔術”との戦いに巻き込まれていく。だが、医者である彼に、敵の命を奪うことはできるのか?大いなる葛藤を抱えたまま、いまドクター・ストレンジの本当の戦いが始まる!

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 フェイズ3の作品の流れとしては、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」よりも先に観るべきだったのかも知れませんが、精神的には「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」はクスクスと笑える内容で、この「ドクター・ストレンジ」はむしろ、何もかも失ってからの話なので、僕の状態としては、この順番で観て良かったです。
 「名医」として成功し、名声もお金も何もかもを得ていたかと思っていたドクター・ストレンジ
 けれど、それを一瞬にして失ってしまう。
 その失ったものを取り戻そうと必死になるけれど、他の人からも、直接この言葉を言われる訳ではないけれど、今の状態、情況を受けいれ、違う「幸せ」を見つけるように、違う「生き方」を見つけるように促される。

 けれど、どうしても諦めきれないドクター・ストレンジ
 その先に何が待ち受けているのかという物語で、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」を観た後だったからかも知れませんが、今回は笑える部分がなかったので、正直そこまで楽しめませんでした。

 だけれど、とても印象的だった言葉がいくつかありました。

名医になったのは、成功しようとしたからではなく、失敗しないようにしてきたから

 
 ようは「何かに挑戦しようとしたことがあるか?」という問いかけだと思うのですが、僕も割と「失敗しないようにしてきた」ので引っかかりました。
 「成功」しようとは特に思っていないけれど、挑戦しようとしてきたか、と問われると、失敗しないようにしてきただけで、何もしていないかも知れません。
 だから、今、初めてと言って良いかも知れない挑戦として、今まで自分の中だけでしまい込んできた言葉、詩をInstagramhttps://www.instagram.com/bumi_y/)で書くようになったのかも知れません。

 もう一つ印象的だった言葉はこれです。 

勝つことは出来なくても負け続けることは出来る

 
 この言葉はすごく勇気をもらえました。
 「勝つことは出来なくても負け続けることは出来る」なんていう勇気をくれる言葉だろうかと思います。
 僕は何かに「勝つ」こともなく、特にこの10年ちょっとは「負け続けて」来ました。
 この作品を観ないとこの言葉の持つ意味がいまいち伝わらないかも知れませんが、「負け続けること」にも意味があるということを教えてもらえました。

 今もまだまだ「負け続けて」ばかりですが、それでも大丈夫なのかも知れない、と思わせてもらえました。

坂村真民『詩集 念ずれば花ひらく』

 僕が子どもたちと暮らしていた街には沢山のお寺がありました。
 その中のある寺では、門柱に詩というか、一言が書かれていました。
 そこには末尾に「真民」だとかが書いてあって、その名前から高名なお坊さんの言葉なのかと思っていました。
 が、その詩や言葉がとても沁みてくるものがあったので調べてみたら、坂村真民さんというお坊さんではなく、詩人の名前でした。
 先日も少し書きましたが、長い文章よりも詩のような短い言葉を求めていたので、坂村真民さんの詩集の中でも評価の高かったこの本を手に取って読んでみました。 

 


詩集 念ずれば花ひらく

 

詩集 念ずれば花ひらく | サンマーク出版


内容サンマーク出版より)
坂村真民は国民詩人との呼び声も高く、さりげない言葉でつづられた詩に込められた深い心情と限りない情熱は多くの人の心をうち、日本国内にとどまらず、海外でも高い評価を得るに至っています。「念ずれば花ひらく」を初めとする詩碑が、日本全国と世界五大州に建てられ、その数が470の多きにのぼっていることは、まさに現代の奇跡ともいえる現象ともいえます。本書は坂村真民の半世紀に及ぶ詩作生活の中で歌い上げた一万余篇の作品の中から「念ずれば花ひらく」「二度とない人生だから」「鳥は飛ばねばならぬ」などの代表作を含む128篇を厳選して編んだ、待望の決定版です。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 沁みる詩が沢山載っていたので、付箋だらけになってしまい、そこからさらにこのブログを書くために絞り込んだのですが、それでも多くなってしまいました。
 なので、二つだけ紹介したいと思います。
 

吹き抜けて行け

吹き抜けて行け
吹き抜けて行け
善も
悪も
憎悪も
怨恨も
空っ風のように
わたしの体を
吹き抜けて行け
吹き抜けて行け


 詩というのは、その時の自分の気持ちとか状態によって響いてくるものが違うと思います。
 中でもこの詩は、今の僕にとって一番必要で、染み渡り、勇気をもらえるような気がしました。
 何もかも僕の体を「吹き抜けて行け」。
 まさにそんな心境です。
 「善」や「悪」だけでなく、喜びも悲しみも、何もかも「吹き抜けて行け」。
 僕にとっては、それが願いでもあるような気がします。
  

仕事

頭のさがるのは
年齢でもなく
学問でもなく
肩書きでもなく
その人がしている
仕事である
貧しい人のため
苦しんでいる人のため
希望を失った人のため
体を張って
生きている
マザー・テレサのような人である

 
 坂村真民さんの詩を初めて見たのがお寺だったのと、その名前からてっきり仏教関係者なのかと思っていたのですが、特定の宗教には縛られていないことが詩を読んでいると分かります。
 新しい仕事が決まったことを書きましたが、その時にさらされたのは、年齢や学歴、肩書きです。
 大学生の時の就活(結局やめて大学院に進みましたが)でも感じましたが、「仕事」に対して根本的に抱いていた疑問というか違和感は、この年齢や学歴、肩書きで評価されていること、さらに「貧しい人」「苦しんでいる人」「希望を失っている人」のために働きたいという気持ちがあったからです。
 次の仕事は今よりはですが、それに近いことが出来るのではないかと思っています。
 「貧しい人」「苦しんでいる人」「希望を失っている人」のために「体を張って」生きていきたいと思います。

「ビースト・オブ・ノー・ネーション」

  1ヶ月間のNetflixオリジナル作品鑑賞月間。
 今回もエスクァイアの記事で紹介されていた作品です。 

 

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Beasts of No Nation | Netflix Official Site

 

作品データ(映画.comより)
原題 Beasts of No Nation
監督 キャリー・ジョージ・フクナガ
製作年 2015年
製作国 アメリ
配給 Netflix
上映時間 136分

内容Official Siteより)
西アフリカのとある国で内戦が勃発。家族を引き裂かれた少年は、武装集団に入ることを強要され、少年兵へと変貌していくのだった。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★★

感想
 映画ですが、ドキュメンタリーに近い要素を沢山取り込んだ作品でした。
 西アフリカのとある国の紛争地域の中立地帯に暮らしていた一家。
 学校では授業が行われず、クズを拾い集め、中立地帯に駐留している兵士に売り、お小遣いをもらう、紛争中だけど一見「平和」に見える生活。

 けれど、そこはやはり紛争地帯で、ある日突然中立地帯も関係なく、暴力にさらされる。
 母と小さな赤子である妹はなんとか車に乗って逃れることが出来たけれど(無事かどうかはわからない)、父が目の前で「処刑」され、兄も撃たれて殺される。

 何とか生きのびた少年は、武装集団に遭遇し、少年兵として迎えられる。
 生きる為にはそれしか選択肢はなく、人を殺す場面にも幾たびも遭遇し、自分が人を殺すことも徐々に「慣れて」いく。

 最終的には、国連軍に遭遇することで、更生への道を歩んでいく様子が描かれます。

 あくまでもこの作品は「フィクション」として描かれていて、アフリカを舞台にしていて、実際にアフリカが多いけれど、この作品で描かれている出来事は今も世界の各地で起きていることです。

 きれいごととして描かず、まるでドキュメンタリーかのように安定していた日常から一転する様子、混乱、そして処刑、少年が人を殺しいく過程。
 また、少年兵同士の友情とその友も死んでいく様子。
 紛争が終わっても残り続ける苦しみ。
 観るのがつらい場面もあるかも知れませんが、是非多くの人に観てもらいたい作品です。

穂村弘、東直子『回転ドアは、順番に』

 ちょっと精神的に不安定な日々を過ごしています。
 理由は二つあって、以前書いたように一つは惹かれている人がいるということとともになんだか無性にさみしいのと、もう一つは、退職願を出したら、退職願自体は割とすんなり受け取ってもらったと思っていたら、結構大きな騒動になってしまったことです。
 書ける範囲で書くと、僕はある会社の正社員として雇われているのですが、そこから違う会社に出向しています。 
 自分が所属している会社の上司には引き留められたものの(年収アップとか)、割とすんなり話が終わったのですが、出向先の人から熱心になんとか違う形(違う会社に所属する形とか)でも残ってくれないか、と引き留められたことです。
 辞めることは自分の中で決めてはいるのですが、出向先の方の落ち込みようを見て、自分もかなり動揺してしまっています。

 閑話休題、そんな精神状態なので、長い文章よりも詩とか軽く読めるものが良いと思い、以前から『本当は違うんだ日記』『世界音痴』とエッセイを読んでいた穂村弘さんの短歌を読んでみました。
 穂村さんは歌人なのに短歌を読んでこなかったというのもおかしな話ですが。

  


回転ドアは、順番に (ちくま文庫)

 

筑摩書房 回転ドアは、順番に / 穂村 弘 著, 東 直子 著

 

内容筑摩書房より)
ある春の日に出会い、そして別れるまで。気鋭の歌人ふたりが、見つめ合い呼吸をはかりつつ投げ合う、スリリングな恋愛問答歌。

勝手に五段階評価
★★★★★

感想
 
穂村さんと同じく歌人東直子さんとの連歌というか短歌と詩が交互に並んでいきます。
 お二人とも歌人なのでどちらがどちらの短歌を作り、どちらが詩を作っているのかはわからないのですが、その共鳴する感じがとても良かったです。
 上に載せた筑摩書房の紹介のように恋愛問答歌となっているのですが、読み終わって、著者お二人による解説を読むまでは恋愛問答歌となっていることに全く気付きませんでした。

 ここに載っている短歌や詩ではなく、あとがきや解説から印象に残った文章を引用したいと思います。
 まずは穂村さんのあとがきから。

好きな女の子とふたりで部屋に入って、鍵をかけると、胸がどきどきして息苦しい。
手足はぎくしゃくとして、あらぬことを口走る。
山岳小説によると、八〇〇〇メートルを超えた高地でもよく似た現象が起きるらしい。
そうなると靴紐を結ぶのに三〇分もかかるという。
おそろしいことだ。
恋はおそろしい。
だが、それらはみな私の苦手な現実世界の話である。
言葉の世界ではすべてが自由なのだ。
現実世界ではあがり症の私も言葉の世界では自然に笑える。

 
 この文章の中の特に最後の3行「だが、それらはみな私の苦手な現実世界の話である。言葉の世界ではすべてが自由なのだ。現実世界ではあがり症の私も言葉の世界では自然に笑える。」この言葉にしびれました。
 恋愛(だけではありませんが)は僕も苦手な現実世界の話です。
 けれど、「言葉の世界ではすべてが自由」。
 そう、言葉の世界ではすべてが自由、何を書いたって、何を表現したって(もちろんヘイトやデマは抜きで)自由。
 とても勇気づけられるような言葉でした。

 次に、東さんの言葉から。
 

人間って、人間の心って、じわじわと腐ったりもするナマモノだから。

 
 「人間って、人間の心って」「ナマモノ」だから「腐ったりもする」。
 すごいな、と。
 僕は離婚したことについて今もかなりの罪悪感を感じています。
 けれど、この言葉に少し許されたような気がします。
 人間は、人間の心はナマモノだから腐ることもある。
 僕の心(ともしかしたら相手の心)はナマモノだから腐っちゃったのかも。

 腐ってしまったものに執着するよりも、新しく育てていけば、新しく育てて行ければ良いな、と思います。

「プライベート・ライフ」

 1ヶ月間のNetflixオリジナル作品鑑賞月間。
 今回もエスクァイアの記事で紹介されていた作品です。
 

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プライベート・ライフ | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト


作品データ映画.comより)
原題 Private Life
監督 タマラ・ジェンキンス
製作年 2018年
製作国 アメリ
配給 Netflix
上映時間 124分

内容(公式サイトより)
長い間、不妊治療を試みてきた40代の夫婦。選択肢が狭まっていく中、居候をしにきた義理の姪(めい)が協力を申し出る。彼女は夫婦の最後のとりでとなるか。

勝手に五段階評価(基本的に甘いです)
★★★★☆

感想
 僕はどうしてもこの手の話、不妊治療の話や作品を観ると居心地の悪さを感じてしまいます。
 それは現に(離れているけれど)子どもがいて、「不妊」という悩みは一切経験したことがないからです。
 もしかしたら、これから新しくパートナーが出来て、そこで不妊に悩む可能性があるかも知れませんが、それでもすでに僕の子どもがいるという現実は変わりません。


 そして、さらに居心地の悪さを感じるのは、僕自身は自分の遺伝子を残したいという気持ちが最初から全くなかったし、今もないからです。
 子どもを授かれなければ、養子を取れば良いと思っていましたし、そういう子どもたちがいるところで働きたいという気持ちも学生の時は抱いていました。

 この作品でも実際に養子という選択も考えるのですが、それでも自分たちの卵子精子、あるいは「自分で産む」ということに(強い言い方になりますが)執着します。
 それによって、散々自分の身体(夫側も無精子症が判明)も夫婦の関係も壊れ、お金も沢山かかります。
 さらには夫婦だけでなく、他の家族というか親戚との軋轢をも生んでしまいます。

 そこまでして自分(たち)の遺伝的な繋がりをもった子どもを持ちたいという気持ちが僕にはわからず、けれど、それを実際に子どものいる僕が表明して良いのかどうかという居心地の悪さを最後まで感じてしまいました。

 子どもを育てたいのなら自分の身体も夫婦の関係もこれ以上傷つけず、お金もかけずに養子を取るなり、子どもがいない2人の生活を大切に過ごすなど、その葛藤が直接的にも間接的にも描かれるのですが、やはり僕には深く共感することは出来ませんでした。

 最後の場面は、それでもそう来るか、というとても印象的なシーンではあったのですが。